行塚は、長岡市役所の北約13kmのところ
かつての中之島村ですので、国道8号線で北へ進むと
北陸自動車道の中之島見附インターチェンジの入口先を左斜めに入ります
また直ぐ左へ、信濃川右岸を通る県道378号線へ
県道から北側へ斜めに伸びる市道へ、家並みの切れた田圃の中に在ります
西側に、駐車スペースが用意されています
南側から
南東側から
行塚の石碑です
説明版です
大榎と行塚
この榎の樹齢は定かでないが、随分古いものと思われる。
ある古老の話によると、明治初年頃訪れた行者が古木の偉容と村人の人情の厚さに感し
「私はこの木の下に生佛として入りたい」と申し入れた。
村人は申し入れに戸惑いながらも強っての願いに乞われるまま鉦と粟一つかみを持った
行者を箱に納め、麻桿をたてて埋めたという。
以来、此処を行塚と呼ぶようになった。 平成元年10月
北側から
西側から見上げました
では、次へ行きましょう
かつての中之島村ですので、国道8号線で北へ進むと
北陸自動車道の中之島見附インターチェンジの入口先を左斜めに入ります
また直ぐ左へ、信濃川右岸を通る県道378号線へ
県道から北側へ斜めに伸びる市道へ、家並みの切れた田圃の中に在ります
西側に、駐車スペースが用意されています
南側から
南東側から
行塚の石碑です
説明版です
大榎と行塚
この榎の樹齢は定かでないが、随分古いものと思われる。
ある古老の話によると、明治初年頃訪れた行者が古木の偉容と村人の人情の厚さに感し
「私はこの木の下に生佛として入りたい」と申し入れた。
村人は申し入れに戸惑いながらも強っての願いに乞われるまま鉦と粟一つかみを持った
行者を箱に納め、麻桿をたてて埋めたという。
以来、此処を行塚と呼ぶようになった。 平成元年10月
北側から
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