弁慶腰掛の松があるのは、弥彦村役場の直ぐ裏にあります
県道29号線沿いに村役場が有り、直ぐ西側の道路を北へ入ると

大きな松が有ります

二松之碑です

石碑があります
二松の由来
文治3年の昔、源義経、弁慶の主従等、兄頼朝の追討の難を逃れて寺泊より弥彦に入って、
弥彦神社に参拝祈願し、藤原秀衡氏を頼りて、奥羽落ちの途次、この街道を通過したりと傳う
その折義経、弁慶等の主従、この松の下に暫しの憩いをとり、着ていたる鎧、袈裟を脱ぎて枝
にかけ、松の根に腰かけて休みたりと。爯来幾百星霜「義経、弁慶腰掛の松」と称し、学區民
に愛慕されて今日に到る。
明治37年、この地に矢作小学校を建設、以後学校の象徴として校歌にも歌われ、ここに学
ぶ者の心の掾り所となる。
昭和35年春、御新田川の改修に当り学區民一同の熱望に拠り、二松保存会を結成し、浄財
を集め、松の根もとに石垣113mを巡らし土盛をなす。
昭和43年は明治百年に当たる。幾百星霜の風雪に耐えて生き続けた二本松、またこれを守
り通して来た先祖の心こそ、無言の教訓として子供達に受け継がれ、さらに次代へ守り継がれ
ることを学區民深く祈念して「二松之碑」を建てる。二本の老松の格調高き風情に、つきない
愛着を覚えると共に、後世二松の保存に一層の協力を切に望む。
昭和43年8月14日序幕
矢作小学校明治百年記念事業委員会

弁慶腰掛の松です



東側の松です、根元から2m程の所で大枝が広がっています



西側の松です


東側の松が西の松より太いものです

北東側から観ました
では、次へ行きましょう
県道29号線沿いに村役場が有り、直ぐ西側の道路を北へ入ると

大きな松が有ります


二松之碑です


石碑があります
二松の由来
文治3年の昔、源義経、弁慶の主従等、兄頼朝の追討の難を逃れて寺泊より弥彦に入って、
弥彦神社に参拝祈願し、藤原秀衡氏を頼りて、奥羽落ちの途次、この街道を通過したりと傳う
その折義経、弁慶等の主従、この松の下に暫しの憩いをとり、着ていたる鎧、袈裟を脱ぎて枝
にかけ、松の根に腰かけて休みたりと。爯来幾百星霜「義経、弁慶腰掛の松」と称し、学區民
に愛慕されて今日に到る。
明治37年、この地に矢作小学校を建設、以後学校の象徴として校歌にも歌われ、ここに学
ぶ者の心の掾り所となる。
昭和35年春、御新田川の改修に当り学區民一同の熱望に拠り、二松保存会を結成し、浄財
を集め、松の根もとに石垣113mを巡らし土盛をなす。
昭和43年は明治百年に当たる。幾百星霜の風雪に耐えて生き続けた二本松、またこれを守
り通して来た先祖の心こそ、無言の教訓として子供達に受け継がれ、さらに次代へ守り継がれ
ることを学區民深く祈念して「二松之碑」を建てる。二本の老松の格調高き風情に、つきない
愛着を覚えると共に、後世二松の保存に一層の協力を切に望む。
昭和43年8月14日序幕
矢作小学校明治百年記念事業委員会

弁慶腰掛の松です




東側の松です、根元から2m程の所で大枝が広がっています




西側の松です



東側の松が西の松より太いものです


北東側から観ました

では、次へ行きましょう

