群馬の松は、高崎市役所の北西約12kmのところ
県道126号線で、榛名山へ箕郷町から進むと
道路脇に石碑が立ちます、霊木群馬松の石碑と群馬の名の由来群馬の松の案内板です
川を渡ります
渡った所に説明版が有ります
「群馬之松」縁起
群馬之松は車川中州の巌根上にある。
群馬之松のある巌根は水が淀み廻っており、霊巌と呼ばれ、その形船の如し、松は
霊松と呼ばれ、(初代松については文献が無い為不詳であるが)
霊松=古松(第二代)は樹齢八百余年(千年の説もある)
幹回り八尺一寸樹高不詳 盆栽型・・がっちりして枝が太い
神松=新松(第三代)は(樹齢二百十年)
幹回り五尺 樹高六条六尺 喬木型・・背が高い
この双幹を霊木群馬の松と呼ぶ
霊松は明治39年に地籍の争いが起こり、同41年静夜に倒伏し去った、神松も昭
和11年11月雪害を受け倒伏した。
現在の松は第4代目か第5代目にあたる。
経過・宣言
霊巌にそびえていた双幹の霊木ゆえに地籍の争いに身をもって「和の心」を持って
警告して生命を終えた歴史を学んだ、十文字地区と駒寄地区は平成13年に和議を結
び、三百年以上に亘り地籍を争った歴史に終止符を打った。
群馬の名の発祥になった「群馬之松」を世に出したいと、群馬之松史跡公園の建設
に向かって、群馬県・榛名町・箕郷町の協力を得て、第一段階としてこのように整備
された。しかし、これで終わったのではなく、これから如何にこの群馬之松史蹟を後
世に伝えると共に、大勢の人々に訪れてもらえるよう努力していくことを誓う。
平成19年2月吉日 群馬の松史跡公園建設推進委員会
先へ行って見ましょう
間もなく群馬の松が見えて来ます
手前が七代目の松ですが枯れてしまっています、奥に八代目が育っています
石碑が有りますが、難しくて読めませんね~
では、次へ行きましょう
県道126号線で、榛名山へ箕郷町から進むと
道路脇に石碑が立ちます、霊木群馬松の石碑と群馬の名の由来群馬の松の案内板です
川を渡ります
渡った所に説明版が有ります
「群馬之松」縁起
群馬之松は車川中州の巌根上にある。
群馬之松のある巌根は水が淀み廻っており、霊巌と呼ばれ、その形船の如し、松は
霊松と呼ばれ、(初代松については文献が無い為不詳であるが)
霊松=古松(第二代)は樹齢八百余年(千年の説もある)
幹回り八尺一寸樹高不詳 盆栽型・・がっちりして枝が太い
神松=新松(第三代)は(樹齢二百十年)
幹回り五尺 樹高六条六尺 喬木型・・背が高い
この双幹を霊木群馬の松と呼ぶ
霊松は明治39年に地籍の争いが起こり、同41年静夜に倒伏し去った、神松も昭
和11年11月雪害を受け倒伏した。
現在の松は第4代目か第5代目にあたる。
経過・宣言
霊巌にそびえていた双幹の霊木ゆえに地籍の争いに身をもって「和の心」を持って
警告して生命を終えた歴史を学んだ、十文字地区と駒寄地区は平成13年に和議を結
び、三百年以上に亘り地籍を争った歴史に終止符を打った。
群馬の名の発祥になった「群馬之松」を世に出したいと、群馬之松史跡公園の建設
に向かって、群馬県・榛名町・箕郷町の協力を得て、第一段階としてこのように整備
された。しかし、これで終わったのではなく、これから如何にこの群馬之松史蹟を後
世に伝えると共に、大勢の人々に訪れてもらえるよう努力していくことを誓う。
平成19年2月吉日 群馬の松史跡公園建設推進委員会
先へ行って見ましょう
間もなく群馬の松が見えて来ます
手前が七代目の松ですが枯れてしまっています、奥に八代目が育っています
石碑が有りますが、難しくて読めませんね~
では、次へ行きましょう