富士吉田市の中心部が下吉田地区です
地区の西側、国道139号線の旧道沿い
国道が屈曲する外側に小室浅間神社が鎮座します
浅間神社ですので参道は富士山に向いています
国道139号線に参道入口が在ります
(車は小室浅間神社
駐車場を利用させて頂きました)

参道入口です

小室浅間神社です

参道のサクラの木の瘤がハート型をしています


説明版です
縁結びの御神木
平成26年12月頃、参拝者より「参道の桜の木に
ハート形の瘤がありますよ」と奉告を受ける。翌年5
月1日付けで着任した宮司が、木花咲夜姫命様が見守
る参道に、美しさの代名詞として使われる桜の木に、
ハート形の瘤が現れた事を御縁深く思い、この木を、
「縁結びの御神木」として篤くお守りしたいと言う事
になりました。
早速、注連縄を張り、紙垂を掛け篤くお祀りしたと
ころ、御神威を頂いたとの奉告を受けるようになりま
した。

流鏑馬の馬場を過ぎて参道脇の荒田八幡宮です

流鏑馬の説明版です
小室浅間神社流鏑馬
富士吉田市無形民俗文化財
昭和57年1月6日指定
小室浅間神社は明治中期まで下宮浅間と呼称されて
きた。その根拠は定かでないが、富士山2合目の小室
浅間神社の対称と推測される。
曽ては上・下吉田・松山三ケ村の産土神として此の
地一帯の守護神としての崇敬を鐘めてきたが、流鏑馬
は此の下宮浅間神社を里宮として、2合目小室浅間神
社の山宮から山の神が田の神となり毎年播種期の頃降
臨、農事を守護し、収穫と倶に山宮に還御の折、流鏑
馬を産子が奉納して農閑期の産子達の生活の平安無事
を祈祷する所に本来の目的と奉仕の由緒がある。
従って産子が産土神の守護を念じて奉納する性格の
この流鏑馬は在来謂われてきた武士が武技練磨のため
のものとは意味するところが著しく異なる。即ち馬の
足跡に依って占いを行なうというこの独特の祭儀はそ
のまま氏神信仰に重層する。身につける狩衣烏帽子・
股引・襦袢等は地方に見られる一般庶民の出立で、地
味で見栄のないものであるが、農民の生活のなかに培
われた祭儀である。因にこの地方一帯に広く行われる
お日待ちは此の流鏑馬の神事と深い関係を持つ習俗で
、1月14日から15日の暁にかけて行なわれる当神
社の通称「筒粥」と呼ばれる粥占神事も又その依りた
つ意味は農事の隆昌と産子の繁栄を祈念する処にある。
昭和58年12月24日 富士吉田市教育委員会



ケヤキの大木です

赤い橋と赤い鳥居が見えて来ます

境内案内図です

参道左手の石塔です

手水舎です

説明版です
小室浅間神社の由緒
祭神 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
御神徳 五穀豊穣・生業繁栄・安産・鎮火防災・開運招福・
交通安全・学業・良縁成就
鎮座地 冨士吉田市下吉田5221番地
祭礼日 9月19日
由緒 桓武天皇の時代の延暦12年、征夷大将軍坂上田村麻呂
が東征の途次、この小室の里の瑞穂の地から富士山を拝し
て戦捷を祈り、数年後その功業が成就したのでその報賽と
して当神社を創祀し、神護を謝したと伝えられる。時に、
平安時代初期の大同2年(紀元1467年、西暦808年)
である。
中世に於いても、大塔宮護良親王の秘史にまつわる南北
朝時代からの古木で、富士吉田市文化財でもある「桂の木」
の樹齢六百有余年が示すとおり、国家鎮護の大社であり、
武田家の祈願所としても崇敬が篤かった。
住民信仰の上でも、「甲斐国志」の記すとおり、旧十一
ケ村中、上吉田村・下吉田村及び松山村の産土神総鎮守と
して現在に至り「下宮浅間」として、郡内一円の崇敬を集
め、更に昭和32年には、一宮浅間神社に次ぎ、県下で二
番目の別表神社に神社本庁から指定され全国的な有名神社
として益々隆昌の一途にある。
本殿は唐破風造り、拝殿は割拝殿造りで、天正年間の建
造であり、その後、度重なる大修理が行なわれ現在に至っ
ている。
なお、御神体の御更衣祭(お召し替え)が60年ごとに
行われる故実があり、前回は昭和25年に斉行された。
次回は平成21年と予定されている。
特殊祭儀 年間七十有余の御祭儀のうち、当神社独特の祭儀とし
は、次の二つがある。
1、流鏑馬(やぶさめ)祭
毎年9月19日の例大祭に奉納される流鏑馬は八百有
余年もの間一度も欠かさず連綿と伝えられてきた。冨士
吉田市無形民俗文化財にも指定されている。当神社の流
鏑馬は、奉仕者が家人と生活を別にしての、一週間にわ
たる「切火」と呼ばれる厳重な潔斎と、馬の駆けた足跡
により吉凶を判ずる馬蹄占が「占人(うらびと)」の存
在ともにこの神事を著名なものにしている。
2、粥占(かゆうら)祭
「筒粥占の神事」ともいわれ、正月14日夜から翌朝
にかけて行なわれる。世襲の家系による占人が葭の管の
中に入った粥の量によって作物の豊凶と富士山への導者
や観光客の動向を占い「オキ炭」の行事によって、天候
その他を占う。 以上
平成元年 9月吉日
撰文 小室浅間神社
奉納 真田憲之
真田憲司
真田一人
少し長くなりましたので続きにします
次は、富士吉田市指定文化財(天然記念物)のカツラです
して嵿捷捷戦立揎
次は




社務所前のカツラの大木は愛染桂です

案内板には「葉はハート形で愛のシンボルマークです、
葉を2枚栞として神様に祈り結婚された方は多いです」
と、ありますので、婚活中の方は実行されてはいかがでしょうか




向かい側には、二本の杉の根が繋がって注連縄の巻かれた細い杉が在ります

拝殿です

参道の右手には境内社が並びます、室宮恵比寿宮です

御神馬です、こちらには木造の白馬が入っています

日枝神社です

五社神社です
長くなってしまいましたので続きにします
次は、、御神木カツラです
地区の西側、国道139号線の旧道沿い
国道が屈曲する外側に小室浅間神社が鎮座します
浅間神社ですので参道は富士山に向いています
国道139号線に参道入口が在ります
(車は小室浅間神社


参道入口です


小室浅間神社です


参道のサクラの木の瘤がハート型をしています



説明版です
縁結びの御神木
平成26年12月頃、参拝者より「参道の桜の木に
ハート形の瘤がありますよ」と奉告を受ける。翌年5
月1日付けで着任した宮司が、木花咲夜姫命様が見守
る参道に、美しさの代名詞として使われる桜の木に、
ハート形の瘤が現れた事を御縁深く思い、この木を、
「縁結びの御神木」として篤くお守りしたいと言う事
になりました。
早速、注連縄を張り、紙垂を掛け篤くお祀りしたと
ころ、御神威を頂いたとの奉告を受けるようになりま
した。

流鏑馬の馬場を過ぎて参道脇の荒田八幡宮です


流鏑馬の説明版です
小室浅間神社流鏑馬
富士吉田市無形民俗文化財
昭和57年1月6日指定
小室浅間神社は明治中期まで下宮浅間と呼称されて
きた。その根拠は定かでないが、富士山2合目の小室
浅間神社の対称と推測される。
曽ては上・下吉田・松山三ケ村の産土神として此の
地一帯の守護神としての崇敬を鐘めてきたが、流鏑馬
は此の下宮浅間神社を里宮として、2合目小室浅間神
社の山宮から山の神が田の神となり毎年播種期の頃降
臨、農事を守護し、収穫と倶に山宮に還御の折、流鏑
馬を産子が奉納して農閑期の産子達の生活の平安無事
を祈祷する所に本来の目的と奉仕の由緒がある。
従って産子が産土神の守護を念じて奉納する性格の
この流鏑馬は在来謂われてきた武士が武技練磨のため
のものとは意味するところが著しく異なる。即ち馬の
足跡に依って占いを行なうというこの独特の祭儀はそ
のまま氏神信仰に重層する。身につける狩衣烏帽子・
股引・襦袢等は地方に見られる一般庶民の出立で、地
味で見栄のないものであるが、農民の生活のなかに培
われた祭儀である。因にこの地方一帯に広く行われる
お日待ちは此の流鏑馬の神事と深い関係を持つ習俗で
、1月14日から15日の暁にかけて行なわれる当神
社の通称「筒粥」と呼ばれる粥占神事も又その依りた
つ意味は農事の隆昌と産子の繁栄を祈念する処にある。
昭和58年12月24日 富士吉田市教育委員会



ケヤキの大木です


赤い橋と赤い鳥居が見えて来ます


境内案内図です


参道左手の石塔です


手水舎です


説明版です
小室浅間神社の由緒
祭神 木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
御神徳 五穀豊穣・生業繁栄・安産・鎮火防災・開運招福・
交通安全・学業・良縁成就
鎮座地 冨士吉田市下吉田5221番地
祭礼日 9月19日
由緒 桓武天皇の時代の延暦12年、征夷大将軍坂上田村麻呂
が東征の途次、この小室の里の瑞穂の地から富士山を拝し
て戦捷を祈り、数年後その功業が成就したのでその報賽と
して当神社を創祀し、神護を謝したと伝えられる。時に、
平安時代初期の大同2年(紀元1467年、西暦808年)
である。
中世に於いても、大塔宮護良親王の秘史にまつわる南北
朝時代からの古木で、富士吉田市文化財でもある「桂の木」
の樹齢六百有余年が示すとおり、国家鎮護の大社であり、
武田家の祈願所としても崇敬が篤かった。
住民信仰の上でも、「甲斐国志」の記すとおり、旧十一
ケ村中、上吉田村・下吉田村及び松山村の産土神総鎮守と
して現在に至り「下宮浅間」として、郡内一円の崇敬を集
め、更に昭和32年には、一宮浅間神社に次ぎ、県下で二
番目の別表神社に神社本庁から指定され全国的な有名神社
として益々隆昌の一途にある。
本殿は唐破風造り、拝殿は割拝殿造りで、天正年間の建
造であり、その後、度重なる大修理が行なわれ現在に至っ
ている。
なお、御神体の御更衣祭(お召し替え)が60年ごとに
行われる故実があり、前回は昭和25年に斉行された。
次回は平成21年と予定されている。
特殊祭儀 年間七十有余の御祭儀のうち、当神社独特の祭儀とし
は、次の二つがある。
1、流鏑馬(やぶさめ)祭
毎年9月19日の例大祭に奉納される流鏑馬は八百有
余年もの間一度も欠かさず連綿と伝えられてきた。冨士
吉田市無形民俗文化財にも指定されている。当神社の流
鏑馬は、奉仕者が家人と生活を別にしての、一週間にわ
たる「切火」と呼ばれる厳重な潔斎と、馬の駆けた足跡
により吉凶を判ずる馬蹄占が「占人(うらびと)」の存
在ともにこの神事を著名なものにしている。
2、粥占(かゆうら)祭
「筒粥占の神事」ともいわれ、正月14日夜から翌朝
にかけて行なわれる。世襲の家系による占人が葭の管の
中に入った粥の量によって作物の豊凶と富士山への導者
や観光客の動向を占い「オキ炭」の行事によって、天候
その他を占う。 以上
平成元年 9月吉日
撰文 小室浅間神社
奉納 真田憲之
真田憲司
真田一人
少し長くなりましたので続きにします

次は、富士吉田市指定文化財(天然記念物)のカツラです


次は




社務所前のカツラの大木は愛染桂です

案内板には「葉はハート形で愛のシンボルマークです、
葉を2枚栞として神様に祈り結婚された方は多いです」
と、ありますので、婚活中の方は実行されてはいかがでしょうか





向かい側には、二本の杉の根が繋がって注連縄の巻かれた細い杉が在ります


拝殿です


参道の右手には境内社が並びます、室宮恵比寿宮です


御神馬です、こちらには木造の白馬が入っています


日枝神社です


五社神社です

長くなってしまいましたので続きにします
次は、、御神木カツラです

