ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

愛知県西尾市、東幡豆町森「妙善寺のマキ」(市指定)です!!

2023-02-25 18:30:19 | 文化財・樹木
 東幡豆町森地区は、西尾市役所の南西約13km、西尾市役所幡豆支所の東約2kmのところ

 西尾市役所幡豆支所前から名鉄蒲郡線に沿う様に東へ、東幡豆郵便局の先の横断歩道の先を右(南)へ

 名鉄蒲郡線の踏切を渡って漁港の手前を左(東南東)へ間も無く左手に妙善寺が南向き参道であります

 参道前海側の広い駐車場に車を止めました

 妙善寺入口です

 地区の案内図です

 浄土宗 西山深草派 性海山 妙善寺です

 山門です

 説明版です
   吉良800年の軌跡
  幡豆(ハズ)小笠原氏ゆかりの地
   妙善寺
 徳川家康の落胤といわれる小笠原権之丞ゆかりの浄土宗西山深草派の寺院で、権之丞の母の位牌を安置しています。
 ハズ観音・かぼちゃ寺として知られ、毎年冬至の日には全国各地から奉納されたかぼちゃでつくった「かぼちゃしるこ」が振舞われます。
 境内には10mほどのマキは市指定天然記念物です。

 民話の説明版です
  幡豆の民話
    お告げのかぼちゃ
 妙善寺が、むかし西林寺と呼ばれていたころ、この寺の利春僧都に観音様から「福徳をさずけるから、浜に出てみよ」とお告げを受けました。
 寺の前の浜に出てみると、木の実とも野菜ともつかない丸い形をしたものが、たくさん岸に打ち上げられていました。
 和尚さんや村人たちが煮て食べてみると、甘くてとてもおいしいものでした、この実を食べるようになってからは顔の色つやがよくなり、みんな生き生きとしてきたそうです。
 その後、この実は「かぼちゃ」であるとわかりました。
    平成19年11月  幡豆町民話の里おこし実行委員会


 山門前には十王堂のようです

 山門を入ると左手に手水舎です

 参道右手に鐘楼です

 参道左手の手水舎の先に目的のマキです

 東側から

 案内板です
  幡豆町指定文化財(天然記念物)
    妙善寺のマキ(イヌマキ)
 樹高約15m、胸高囲約2.8mあり、この種では町内一の巨木である。

*マキについての説明は、次回の投稿でさせて頂く予定です

 北側から

 西側から



 境内西側には石仏が並びます

 本堂です

 本堂前には民話に有った「かぼちゃ」です

 本堂前東側にもかぼちゃと観音様です

 西側の観音様とお地蔵様です

 本堂前からマキを見ました



 駐車場前の海岸には、鴨が沢山います



 近付くと逃げてしまいますね~



 車の陰に隠れてようやく撮影出来ました

 では、次へ行きましょう

 
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愛知県西尾市、吉良町宮迫四反田「圓融寺の大梛と吉良の五本松」(市指定)です!!

2023-02-25 06:30:01 | 文化財・樹木
 ここからは、2023年2月7日取材分です

 西尾市は、愛知県の西三河地方に含まれる市です、愛知県中央部を北から南へ流れる矢作川流域の南端にあり、抹茶の産地(西尾茶)として、また「三河の小京都」として知られる。人口は愛知県第9位です。
 2011年4月1日に 西尾市が幡豆郡一色町、吉良町、幡豆町を編入しました。

 吉良町宮迫四反田地区は、西尾市役所の東南東約7km、西尾市吉良支所の東北東約6kmのところ

 吉良支所から県道42号線を北へ、約2.5kmの中の信号を右(東)へ、県道41号産業道路です

 約4kmで横断歩道の手前を左(北)へ、道成りに進んで矢崎川を渡って右(東)へ県道318号線です

 間も無く県道左手に圓融寺が南向きに有ります

 すぐ先の県道左側に駐車場が有りますので車を止めさせて頂きました

 圓融寺入口です

 日蓮宗 龍光山 圓融寺です

 東側(駐車場脇)から県道沿いのクロマツを見ました

 矢崎川の橋の上(南側)から

 南側から見上げました

 吉良の五本松の標柱です

 西側(参道入り口)から見ました


 山門前前の清水一学の乗馬像です
*寺院裏手の山にある公共墓地には赤穂事件の際に討死した清水一学の墓所があります。


 由緒石碑です
  日蓮宗 龍光山 圓融寺
由緒の沿革
 1525(大永5)年、開基長宮院日詮上人が当地に巡錫して、法華経を宣布信徒の外護を得て当地に開創された。それ以来法灯相続して現在に至っている。従って本堂、番神堂、玄関、庫裡は、建物が古く江戸時代後期及び明治初期の、改築修繕の記録よりみると、200年以上経過していることが想像される。
 唯し玄関庫裡は老朽ひどく、昭和54年檀信徒の浄財により改築された。尚江戸時代中期、吉良公の忠臣であった清水一学の墓所が、当山裏の公共墓地にある。
 往古宮迫には、地福院、光用院、養水寺、東蓮寺、圓融寺等7ヶ寺があったが、日詮上人が大永5年圓融寺に入ってから、全村こぞって改宗して他の寺は衰えて廃寺となった。
 当寺観音堂は、吉良若狭守義冬の男子出生の祈願所として再建した。
 尚門前の五本松(松クイ虫のため現在2本)、及び番神堂南の梛の木は、吉良町文化財天然記念物に指定されている。
    平成4年壬申3月

*五本松は約30年前までは、2本あったようです、現在は1本だけになってしまっています


 山門を入ると右手に鐘楼です

 左手には目的の大梛です

 参道を進みます

 手水舎の後ろ側に大梛です

 圓融寺の大梛の標柱です

 北東側から

 本堂です

 境内東側道路沿いに星野勘左衛門の標柱です

 説明版です
  星野勘左衛門
 弓の名手として有名な星野勘左衛門は、ここ宮迫で生まれ、尾張藩に仕えた。
 寛文2年(1662)5月1日に、京都三十三間堂の通し矢を試み、8000本の新記録をつくって「総一」(第一人者)と称され、弓道の達人として有名になった。この記録は貞享3年(1686)4月6日まで24年間も破られなかった。
 勘左衛門は元禄9年(1696)5月6日に55歳で亡くなった。住居跡は現在の愛知県芸術文化センターの南側にあたり、標柱が建てられている。
    平成15年3月  西尾市教育委員会
 

 では、次へ行きましょう 
 
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