吉良町荻原大道通地区は、西尾市役所の南約7km、西尾市役所吉良支所の北約500mのところです
西尾市役所吉良支所前から県道42号線を北へ、名鉄吉良線の踏切の手前を左(西)に入ったところ
南南西向き参道で羽利神社が鎮座します
少し南へ戻った市立吉良図書館の駐車場に車を止めさせて頂きました
境内入口です
村社 羽利神社です
ウォーキングの案内板に羽利神社の説明が有ります
健康の道ポイント⑩
羽利神社=祭神 大物主社、日本武尊、天照大御神、天白之神、宇迦御魂神
創立年月は不詳なるも、当社の神職の家譜に依れば、伊勢国一志郡八太郷に住居した小津亮良が暴風にて漂流当地に定着、一族と共に社殿を建て、勢州の鎮守の分霊を要請した。時に702(大宝2)年6月10日で、当社創立の起源である。
1471(文明3)年9月9日、日本武尊を熱田から勧請して羽利の宮の合殿に祀り氏神祭を行った。
大楠の由来については、1648(慶安1)年、3代将軍徳川家光よりの社領寄進の由来を、本宮熱田の宮に報さいした際、庭中の神木楠の木を持ち帰り境内にまき、記念樹とした。
次の保険センター(終点)まで2.05km
鳥居です
左手に手水舎です
境内中央に目的の双幹の大樟です
南側から
天然記念物標柱です
説明版です
西尾市指定天然記念物
羽利神社の双幹大樟
平成2年6月12日指定
羽利神社は慶安元(1648)年、三代将軍家光から5石5斗の社領をたまわった。
このことを本宮である熱田神宮に報告した際、神木のクスの種を持ち帰り記念樹として植えたと伝えられる。
西尾市教育委員会
*環境省巨樹巨木林DBによれば、幹周/6.70m、樹高/19m。西尾市のHPでは、根回り/8m 目通り幹周/東関3.3m・西幹/3.4m 樹高/約20mとなっている巨木です
東側から
北側から
拝殿前から
西側から
拝殿です
本殿の屋根を見ることが出来ました
拝殿東脇から
では、次へ行きましょう
西尾市役所吉良支所前から県道42号線を北へ、名鉄吉良線の踏切の手前を左(西)に入ったところ
南南西向き参道で羽利神社が鎮座します
少し南へ戻った市立吉良図書館の駐車場に車を止めさせて頂きました
境内入口です
村社 羽利神社です
ウォーキングの案内板に羽利神社の説明が有ります
健康の道ポイント⑩
羽利神社=祭神 大物主社、日本武尊、天照大御神、天白之神、宇迦御魂神
創立年月は不詳なるも、当社の神職の家譜に依れば、伊勢国一志郡八太郷に住居した小津亮良が暴風にて漂流当地に定着、一族と共に社殿を建て、勢州の鎮守の分霊を要請した。時に702(大宝2)年6月10日で、当社創立の起源である。
1471(文明3)年9月9日、日本武尊を熱田から勧請して羽利の宮の合殿に祀り氏神祭を行った。
大楠の由来については、1648(慶安1)年、3代将軍徳川家光よりの社領寄進の由来を、本宮熱田の宮に報さいした際、庭中の神木楠の木を持ち帰り境内にまき、記念樹とした。
次の保険センター(終点)まで2.05km
鳥居です
左手に手水舎です
境内中央に目的の双幹の大樟です
南側から
天然記念物標柱です
説明版です
西尾市指定天然記念物
羽利神社の双幹大樟
平成2年6月12日指定
羽利神社は慶安元(1648)年、三代将軍家光から5石5斗の社領をたまわった。
このことを本宮である熱田神宮に報告した際、神木のクスの種を持ち帰り記念樹として植えたと伝えられる。
西尾市教育委員会
*環境省巨樹巨木林DBによれば、幹周/6.70m、樹高/19m。西尾市のHPでは、根回り/8m 目通り幹周/東関3.3m・西幹/3.4m 樹高/約20mとなっている巨木です
東側から
北側から
拝殿前から
西側から
拝殿です
本殿の屋根を見ることが出来ました
拝殿東脇から
では、次へ行きましょう