伊奈町縫殿地区は、豊川市役所の南西約5kmのところ
県道5号線の市役所東信号から牛久保駅通りを南へ、道成りに約1.9kmの常盤信号を右(南西)へ県道495線です
国道1号線の小坂井信号からは県道384号線に変わり更に南西へ、古当信号を右(西)へ、すぐの五差路の交差点を左(南西)へ
名鉄名古屋本線の踏切を渡って、JR東海道線西小坂井駅前を右(西南西)へ
丁字路を左へ踏切を渡りまた左斜めへ、小坂井西小学校の校庭の南東側面に沿って右へ、間も無く
右手に東漸寺参道が南東向きに開いています
手前の小坂井西小学校プール脇に駐車スペースが有ります
山門です
説明版ですが、ほとんど読めなくなってしまっています
萬年山 東漸寺(まんねんざんとうぜんじ)
宗派 曹洞宗 両大本山 福井県 永平寺
横浜市 総持寺
本尊 延命地蔵菩薩
開創 明応元年(1482)
開山 享穏慶泉禅師
末寺 16ヶ寺
往古、前芝村に東漸寺という寺があったが、廃寺となり本陣の延命地蔵尊1体が小堂に祀られていた。ところが津波によりこの本尊の地蔵尊が伊奈の地に漂着したので、村人がこれを祀っていた。
この地蔵尊を本尊として、伊奈城主本多正時(泰次)が堂宇を建て、尾張から東遊してこの伊奈の地に来た享穏慶泉禅師を開山とし、山を萬年、寺を東漸と名づけた。明応元年(1492)のことである。この年は足利時代の応仁の乱後15年目、コロンブスがアメリカ大陸発見の年でもある。
本堂内には、延命地蔵菩薩を安置し、左脇に本多家累代の位牌を祀り、その横側に葵稲荷大明神が祀られている。
開山第1世享穏慶泉禅師は、寺門の経営、清規の整備に努め、宗風大いに上がった。第2世大中一介和尚は、三河の人。東海市の長源寺、普済寺、三河一宮の松源院など多くの寺の建立に力を注いだ。そのほか歴代の住職で著名なのは、第15世傑仙薫英和尚。同和尚は境内の整備、寺領の増大に努めた。
近年では、第34世宇井伯壽和尚。下佐脇の出身で、12歳の時、第32世活山和尚に徒弟となり、苦学して東京帝国大学印度哲学科を卒業し、東北帝国大学教授、東京帝国大学教授、駒澤大学学長などを勤めた。印度哲学研究6巻、仏教思想研究12巻など多くの仏教学の著書があり、昭和28年に文化勲章を受章した。
現在、500年来の伝統と宗風を新たに、静動一如の禅風に訪れる参詣の人々に心身ともに安らぎを与える憩いの寺となっている。
当山37世康允 代
豊川市教育委員会 (*ネットの「東三河を歩こう」の写真から文章作成しました)
長い参道を進みます
手水舎です
大きな鐘楼です
本堂です
本堂西側の墓地の入り口に目的のタブノキですが、切り株になってしまっています
目通り幹囲は6.0m程(目測)です
標柱には(二樹のうち一樹)となっています
(*ネットの「東三河を歩こう」の写真では双幹の大きなタブノキを見る事ができます)
もう一本は墓地の中です
南側から
南西側から
東側から、目通り幹囲3.5m程(目測)の大木です
「豊川市指定天然記念物 東漸寺のタブノキ(二樹のうちの一樹)」の標柱です
本堂南西側通路沿いのクスノキの大木です、南側から
南東側から、通路の先にタブノキの切株が見えています
伊勢湾式光背薄肉五輪塔(寛永3年銘)の板碑です
三角塔光背五輪塔(寛永20年銘)の板碑です
アオイ保育園の北西角にシイノキです
北西側から
説明版ですが、ホースが掛けられていました
愛知の名木
(平成3年6月愛知県緑化推進委員会指定)
わたしたちは、緑を見るとき、緑に触れるとき、緑に包まれるとき、何かほっとした気分になります。
なかでも、長い間風雪に耐えて育ってきた大木、古木は、ふるさとの歴史のあかしにして、古きをしのぶよすがとなるばかりでなく、わたしたちに生命の悠久さや緑のありがたさを教えてくらます。
シイノキ(ブナ科)
樹齢 375年
樹高 30.0m
幹周 6.0m
来歴
徳川家康の家臣、本多家の菩提寺である東漸寺のシイノキには、何度火災にあっても燃えないといった言い伝えがあります。
このシイノキは東漸寺を守護する樹木とされ、そのお陰で、今まで一度も落雷などで火災にあったことはないと言われています。
(見えない部分は、ネットの「東三河を歩こう」の写真から文章作成しましたが、幹周はどう見ても3.0mが欠けているようです、タブノキの数値と取り違えているのかもしれません)
では、次へ行きましょう
県道5号線の市役所東信号から牛久保駅通りを南へ、道成りに約1.9kmの常盤信号を右(南西)へ県道495線です
国道1号線の小坂井信号からは県道384号線に変わり更に南西へ、古当信号を右(西)へ、すぐの五差路の交差点を左(南西)へ
名鉄名古屋本線の踏切を渡って、JR東海道線西小坂井駅前を右(西南西)へ
丁字路を左へ踏切を渡りまた左斜めへ、小坂井西小学校の校庭の南東側面に沿って右へ、間も無く
右手に東漸寺参道が南東向きに開いています
手前の小坂井西小学校プール脇に駐車スペースが有ります
山門です
説明版ですが、ほとんど読めなくなってしまっています
萬年山 東漸寺(まんねんざんとうぜんじ)
宗派 曹洞宗 両大本山 福井県 永平寺
横浜市 総持寺
本尊 延命地蔵菩薩
開創 明応元年(1482)
開山 享穏慶泉禅師
末寺 16ヶ寺
往古、前芝村に東漸寺という寺があったが、廃寺となり本陣の延命地蔵尊1体が小堂に祀られていた。ところが津波によりこの本尊の地蔵尊が伊奈の地に漂着したので、村人がこれを祀っていた。
この地蔵尊を本尊として、伊奈城主本多正時(泰次)が堂宇を建て、尾張から東遊してこの伊奈の地に来た享穏慶泉禅師を開山とし、山を萬年、寺を東漸と名づけた。明応元年(1492)のことである。この年は足利時代の応仁の乱後15年目、コロンブスがアメリカ大陸発見の年でもある。
本堂内には、延命地蔵菩薩を安置し、左脇に本多家累代の位牌を祀り、その横側に葵稲荷大明神が祀られている。
開山第1世享穏慶泉禅師は、寺門の経営、清規の整備に努め、宗風大いに上がった。第2世大中一介和尚は、三河の人。東海市の長源寺、普済寺、三河一宮の松源院など多くの寺の建立に力を注いだ。そのほか歴代の住職で著名なのは、第15世傑仙薫英和尚。同和尚は境内の整備、寺領の増大に努めた。
近年では、第34世宇井伯壽和尚。下佐脇の出身で、12歳の時、第32世活山和尚に徒弟となり、苦学して東京帝国大学印度哲学科を卒業し、東北帝国大学教授、東京帝国大学教授、駒澤大学学長などを勤めた。印度哲学研究6巻、仏教思想研究12巻など多くの仏教学の著書があり、昭和28年に文化勲章を受章した。
現在、500年来の伝統と宗風を新たに、静動一如の禅風に訪れる参詣の人々に心身ともに安らぎを与える憩いの寺となっている。
当山37世康允 代
豊川市教育委員会 (*ネットの「東三河を歩こう」の写真から文章作成しました)
長い参道を進みます
手水舎です
大きな鐘楼です
本堂です
本堂西側の墓地の入り口に目的のタブノキですが、切り株になってしまっています
目通り幹囲は6.0m程(目測)です
標柱には(二樹のうち一樹)となっています
(*ネットの「東三河を歩こう」の写真では双幹の大きなタブノキを見る事ができます)
もう一本は墓地の中です
南側から
南西側から
東側から、目通り幹囲3.5m程(目測)の大木です
「豊川市指定天然記念物 東漸寺のタブノキ(二樹のうちの一樹)」の標柱です
本堂南西側通路沿いのクスノキの大木です、南側から
南東側から、通路の先にタブノキの切株が見えています
伊勢湾式光背薄肉五輪塔(寛永3年銘)の板碑です
三角塔光背五輪塔(寛永20年銘)の板碑です
アオイ保育園の北西角にシイノキです
北西側から
説明版ですが、ホースが掛けられていました
愛知の名木
(平成3年6月愛知県緑化推進委員会指定)
わたしたちは、緑を見るとき、緑に触れるとき、緑に包まれるとき、何かほっとした気分になります。
なかでも、長い間風雪に耐えて育ってきた大木、古木は、ふるさとの歴史のあかしにして、古きをしのぶよすがとなるばかりでなく、わたしたちに生命の悠久さや緑のありがたさを教えてくらます。
シイノキ(ブナ科)
樹齢 375年
樹高 30.0m
幹周 6.0m
来歴
徳川家康の家臣、本多家の菩提寺である東漸寺のシイノキには、何度火災にあっても燃えないといった言い伝えがあります。
このシイノキは東漸寺を守護する樹木とされ、そのお陰で、今まで一度も落雷などで火災にあったことはないと言われています。
(見えない部分は、ネットの「東三河を歩こう」の写真から文章作成しましたが、幹周はどう見ても3.0mが欠けているようです、タブノキの数値と取り違えているのかもしれません)
では、次へ行きましょう