ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

愛知県豊川市、赤坂町関川「関川神社の楠」(市指定)です!!

2023-02-22 18:37:20 | 巨樹・大木
 赤坂町関川地区は、豊川市役所の西北西約7kmのところ

 市役所前から県道5号線を西北西へ進みます、国道1号線の追分信号からは県道368号線です

 西へ入って直ぐの行力信号を右へ県道374号線です、音羽川を新御油橋で渡ると旧東海道となります

 道成りに北西へ向かうと、右に「御関札立掛場」から約600m区間が「御油の松並木」です

 松並木を貫けて、赤坂宿の中ほど旧東海道に面して左側に関川神社が鎮座します
 
 境内入口前に車を止めさせて頂きました

 社號標です

 社殿です

 社殿の南側に目的のクスノキです

 説明版です
   関川神社の楠
種別 天然記念物
指定 昭和56年3月1日
所在 豊川市赤坂町関川12
管理者 関川神社総代
 由来及び沿革については不明であるが、故老に説によると、木の根元からえぐれている部分は慶長14年(1609年)の十王堂近所の(宮路山登山口の東側)からの出火による火災で、約30戸が焼失しており、その時に火の粉が飛び焼けたものであるといわれている。
 この木は楠としては町内一の巨木で、幹のまわりは目の高さで約7.29m、高さ25.7mあり、推定樹齢は約800年であるといわれています。
    豊川市教育委員会

 北東側から見ました

*旧東海道の宿場町の様子が多面的に伝わってくる東海道五十三次の中で、赤坂宿は江戸から36番目の宿。当初赤坂・御油宿は一宿として扱われていたと言われています。
 その後「下りは藤川から(赤坂を飛ばし)御油まで通し、上りは吉田から(御油を飛ばし)赤坂宿まで」と定められ、上りと下りで使い分けられていた時期もあったようです。
  「夏の月御油より出でて赤坂や」
 この句は、松尾芭蕉が夏の夜の短さと、わずか16町(両宿問屋間)と近接する赤坂と御油間の距離の短さを詠んだもので、関川神社境内に句碑が建てられています。
  ①歴史や文化、自然などを紹介する資料館「赤坂宿場資料室」
赤坂宿場資料室旧東海道「赤坂宿」の歴史をはじめ、豊川市音羽地区の歴史や文化、自然などを紹介する資料館。中央には当時使われていた大名の駕籠が置かれ、その周りには赤坂宿を描いた浮世絵、幕府の法令や禁令を書き付けた高札、宿場に残っていた書簡のレプリカなどが展示されています。明治時代の農村舞台を再現する「赤坂の舞台」で使われる歌舞伎の人形や、舞台に関する資料の展示も充実。
  ②赤坂宿の佇まいを今に伝える旅籠大橋屋
 旅籠大橋屋安藤広重の「東海道五十三次・赤坂宿舎招婦図」のモデルになっています。また、芭蕉が宿泊し、句を読んだともいわれている創業江戸中期とされる宿です。
元の屋号を「伊右ェ門鯉屋」といい、市指定文化財にもなっています。
※旅籠大橋屋は平成27年3月に廃業。所有者の青木一洋さんから豊川市に寄附され、一般公開に向け、耐震補強も含めた保存整備の設計作業や工事を行う計画です。※普段は、見学できませんが、不定期で内覧できるイベントを開催しています。
  ③赤坂宿の旅籠をイメージして建てられた「よらまいかん」
よらまいかん平成14(2002)年にオープンした公共の休憩施設。赤坂宿の旅籠をイメージして建てられた建物は、当時の建築様式を再現しており、趣があります。2階には赤坂宿を描いた浮世絵を展示しており、宿場町として栄えた江戸時代の様子を観覧できます。トイレや駐車場もあり、建物の内外にはベンチが配されているので、観光や散策途中の休憩などに最適な空間です。
  *愛知県公式観光ガイドAichi Nowから一部抜粋です


 では、次へ行きましょう
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愛知県豊川市、御油町松並「御油の松並木」(国指定)です!!

2023-02-22 06:29:30 | 文化財・樹木
 御油町松並地区は、豊川市役所の西北西約7kmのところ

 市役所前から県道5号線を西北西へ進みます、国道1号線の追分信号からは県道368号線です

 西へ入って直ぐの行力信号を右へ県道374号線です、音羽川を新御油橋で渡ると旧東海道となります

 道成りに北西へ向かうと、右に「御関札立掛場」から約600m区間が「御油の松並木」です

 まず一度松並木を通って北側の「旧東海道赤坂宿東見附跡」まで行って引き返します

 松並木の中の車道は、所々に道幅をポールで狭めたり

 速度を抑えるための段差が有ったりします

 倒木や落枝にも注意しましょう

 間も無く御関札掛場です

 御関札立掛場まで戻って来ました

 松並木の西側には十王堂です

 説明版です
   十王堂
 十王とは、冥界にあって、死者の罪業を裁判する十人の王のことです。
 仏教では、死者は冥界で順次十人の王の裁判を受けて次に生まれてくる所が定まるとされています。
 この考えは平安後期に日本に伝わり、鎌倉時代に全国に広がりました。
 この十王とは、泰広王・初江王・宗帝王・五官王・閻魔大王・変成王・太山王・平等王・都市王・五道転輪王のことで、十王が冠をつけ、道服を着て笏を持ち、忿怒の姿を示すのは道教の影響が強いことを表しています。
 この建物は、明治の中頃に火災にあい再建されたもので、十王堂の創立年は定かではないが、江戸時代に描かれた絵図に印されていることから、古くからこの地にあったことは確かです。


 天然記念物 御油ノ松並木の標柱です(石柱)

 説明版です
   御油宿と御油の松並木周辺
 御油宿は、慶長6年(1601)徳川家康によって、東海道に宿場制が定められ、東海道53次の第35番目の宿場として繁栄しました。
 ここから東の、かつて上五井、中上町、仲町、横町、茶屋町と呼ばれたこの通りぞいには、今でも宿場町の面影を残す旧家がみられます。
 また、この御油宿と隣の赤坂宿との間には、慶長9年(1604)に整備された御油の松並木があります。昭和19年に国の天然記念物に指定され、「日本の名松百選」にも選ばれています。
     豊川市教育委員会

 天然記念物石碑です
   天然記念物 御油ノ松並木
      昭和19年11月7日 文部省指定
 この松並木は、慶長9年(1604)徳川家康が植樹させたもので、以来、夏は緑陰をつくり、冬は風雪を防ぎ、長く、旅人の旅情をなぐさめてきました。
 当初600本以上あった松は、長い歳月の間に減少しましたが、旧東海道に現存する松並木のうちでは、昔の姿を最もよく残すものとして、第二次世界大戦中の昭和19年11月7日国指定の天然記念物となりました。
 私達は、この松並木が貴重な国民的財産であることを自覚し、後世に伝えるため、郷土の宝として愛護しましょう。
      昭和55年3月
       豊川市

 御関札立掛場の説明版です
   御関札立掛場
 御関札とは、諸藩の大名が参勤交代や何らかの用事で出向く際、宿泊先(御休先)となる宿場の本陣や問屋(町役人)に事前に申し伝え、宿泊当日の三日前迄に本陣、町役人は宿場の出入り口に縦3尺半(約1m)横1尺半(約45cm)の板に宿泊年月日・藩主名・出向く先を記入し、長さ3間半(約6m)の太い竹竿に取り付け立掛けられた看板を言います。
 御関札は、大名の権威を誇示するばかりではなく、本陣前を往来する人々に無礼にない様、通行するよう注意を促す目的を持って立掛けられた看板と云われています。
 此の御間札案内板は、当時御油宿・問屋役人井上興左衛門の「御定宿之控」の記録より作成したものです。

 では、次へ行きましょう
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