赤坂町関川地区は、豊川市役所の西北西約7kmのところ
市役所前から県道5号線を西北西へ進みます、国道1号線の追分信号からは県道368号線です
西へ入って直ぐの行力信号を右へ県道374号線です、音羽川を新御油橋で渡ると旧東海道となります
道成りに北西へ向かうと、右に「御関札立掛場」から約600m区間が「御油の松並木」です
松並木を貫けて、赤坂宿の中ほど旧東海道に面して左側に関川神社が鎮座します
境内入口前に車を止めさせて頂きました
社號標です
社殿です
社殿の南側に目的のクスノキです
説明版です
関川神社の楠
種別 天然記念物
指定 昭和56年3月1日
所在 豊川市赤坂町関川12
管理者 関川神社総代
由来及び沿革については不明であるが、故老に説によると、木の根元からえぐれている部分は慶長14年(1609年)の十王堂近所の(宮路山登山口の東側)からの出火による火災で、約30戸が焼失しており、その時に火の粉が飛び焼けたものであるといわれている。
この木は楠としては町内一の巨木で、幹のまわりは目の高さで約7.29m、高さ25.7mあり、推定樹齢は約800年であるといわれています。
豊川市教育委員会
北東側から見ました
*旧東海道の宿場町の様子が多面的に伝わってくる東海道五十三次の中で、赤坂宿は江戸から36番目の宿。当初赤坂・御油宿は一宿として扱われていたと言われています。
その後「下りは藤川から(赤坂を飛ばし)御油まで通し、上りは吉田から(御油を飛ばし)赤坂宿まで」と定められ、上りと下りで使い分けられていた時期もあったようです。
「夏の月御油より出でて赤坂や」
この句は、松尾芭蕉が夏の夜の短さと、わずか16町(両宿問屋間)と近接する赤坂と御油間の距離の短さを詠んだもので、関川神社境内に句碑が建てられています。
①歴史や文化、自然などを紹介する資料館「赤坂宿場資料室」
赤坂宿場資料室旧東海道「赤坂宿」の歴史をはじめ、豊川市音羽地区の歴史や文化、自然などを紹介する資料館。中央には当時使われていた大名の駕籠が置かれ、その周りには赤坂宿を描いた浮世絵、幕府の法令や禁令を書き付けた高札、宿場に残っていた書簡のレプリカなどが展示されています。明治時代の農村舞台を再現する「赤坂の舞台」で使われる歌舞伎の人形や、舞台に関する資料の展示も充実。
②赤坂宿の佇まいを今に伝える旅籠大橋屋
旅籠大橋屋安藤広重の「東海道五十三次・赤坂宿舎招婦図」のモデルになっています。また、芭蕉が宿泊し、句を読んだともいわれている創業江戸中期とされる宿です。
元の屋号を「伊右ェ門鯉屋」といい、市指定文化財にもなっています。
※旅籠大橋屋は平成27年3月に廃業。所有者の青木一洋さんから豊川市に寄附され、一般公開に向け、耐震補強も含めた保存整備の設計作業や工事を行う計画です。※普段は、見学できませんが、不定期で内覧できるイベントを開催しています。
③赤坂宿の旅籠をイメージして建てられた「よらまいかん」
よらまいかん平成14(2002)年にオープンした公共の休憩施設。赤坂宿の旅籠をイメージして建てられた建物は、当時の建築様式を再現しており、趣があります。2階には赤坂宿を描いた浮世絵を展示しており、宿場町として栄えた江戸時代の様子を観覧できます。トイレや駐車場もあり、建物の内外にはベンチが配されているので、観光や散策途中の休憩などに最適な空間です。
*愛知県公式観光ガイドAichi Nowから一部抜粋です
では、次へ行きましょう
市役所前から県道5号線を西北西へ進みます、国道1号線の追分信号からは県道368号線です
西へ入って直ぐの行力信号を右へ県道374号線です、音羽川を新御油橋で渡ると旧東海道となります
道成りに北西へ向かうと、右に「御関札立掛場」から約600m区間が「御油の松並木」です
松並木を貫けて、赤坂宿の中ほど旧東海道に面して左側に関川神社が鎮座します
境内入口前に車を止めさせて頂きました
社號標です
社殿です
社殿の南側に目的のクスノキです
説明版です
関川神社の楠
種別 天然記念物
指定 昭和56年3月1日
所在 豊川市赤坂町関川12
管理者 関川神社総代
由来及び沿革については不明であるが、故老に説によると、木の根元からえぐれている部分は慶長14年(1609年)の十王堂近所の(宮路山登山口の東側)からの出火による火災で、約30戸が焼失しており、その時に火の粉が飛び焼けたものであるといわれている。
この木は楠としては町内一の巨木で、幹のまわりは目の高さで約7.29m、高さ25.7mあり、推定樹齢は約800年であるといわれています。
豊川市教育委員会
北東側から見ました
*旧東海道の宿場町の様子が多面的に伝わってくる東海道五十三次の中で、赤坂宿は江戸から36番目の宿。当初赤坂・御油宿は一宿として扱われていたと言われています。
その後「下りは藤川から(赤坂を飛ばし)御油まで通し、上りは吉田から(御油を飛ばし)赤坂宿まで」と定められ、上りと下りで使い分けられていた時期もあったようです。
「夏の月御油より出でて赤坂や」
この句は、松尾芭蕉が夏の夜の短さと、わずか16町(両宿問屋間)と近接する赤坂と御油間の距離の短さを詠んだもので、関川神社境内に句碑が建てられています。
①歴史や文化、自然などを紹介する資料館「赤坂宿場資料室」
赤坂宿場資料室旧東海道「赤坂宿」の歴史をはじめ、豊川市音羽地区の歴史や文化、自然などを紹介する資料館。中央には当時使われていた大名の駕籠が置かれ、その周りには赤坂宿を描いた浮世絵、幕府の法令や禁令を書き付けた高札、宿場に残っていた書簡のレプリカなどが展示されています。明治時代の農村舞台を再現する「赤坂の舞台」で使われる歌舞伎の人形や、舞台に関する資料の展示も充実。
②赤坂宿の佇まいを今に伝える旅籠大橋屋
旅籠大橋屋安藤広重の「東海道五十三次・赤坂宿舎招婦図」のモデルになっています。また、芭蕉が宿泊し、句を読んだともいわれている創業江戸中期とされる宿です。
元の屋号を「伊右ェ門鯉屋」といい、市指定文化財にもなっています。
※旅籠大橋屋は平成27年3月に廃業。所有者の青木一洋さんから豊川市に寄附され、一般公開に向け、耐震補強も含めた保存整備の設計作業や工事を行う計画です。※普段は、見学できませんが、不定期で内覧できるイベントを開催しています。
③赤坂宿の旅籠をイメージして建てられた「よらまいかん」
よらまいかん平成14(2002)年にオープンした公共の休憩施設。赤坂宿の旅籠をイメージして建てられた建物は、当時の建築様式を再現しており、趣があります。2階には赤坂宿を描いた浮世絵を展示しており、宿場町として栄えた江戸時代の様子を観覧できます。トイレや駐車場もあり、建物の内外にはベンチが配されているので、観光や散策途中の休憩などに最適な空間です。
*愛知県公式観光ガイドAichi Nowから一部抜粋です
では、次へ行きましょう