御津町(みとちょう)は、愛知県宝飯郡にあった町。2008年(平成20年)1月15日、宝飯郡音羽町とともに豊川市に編入合併されました。旧御津町域の住所表示は「豊川市御津町」となっています。
御津町上佐脇地区は、豊川市役所の西南西約4kmのところ
豊川市役所から県道5号線を西北西へ、約2.6kmの八幡町横道西信号を左(南西)へ県道31号線です
約2km先の森5丁目信号を左(南東)へ県道375号線です、約600mの丁字路を左へ
正面にクスノキが見えました、目的の観音寺の大楠です
道路を南東側先へ進んで「上佐脇ちびっ子広場」脇の駐車場を利用させて頂きました
南側から観音寺境内です、手前にも樹冠の大きな楠の大木が在ります
南西側から、目通り幹囲は5m(目測)近いと思われます
観音寺本堂です
墓地に石仏や石塔が並びます
目的の大楠は、樹幹が小さくなっています
南東側の御堂越に見上げました
南西側から
説明版です
観音寺の大楠
昭和44年2月3日指定
白河天皇承暦年中(1077~1080)に住僧が植えてまのと言い伝えられ、約900年の樹齢である。
永禄12年(1569)ごろ樹中から自然発火し幹が半分焼け、寺は類焼した。
そのとき、樹中より白蛇があらわたので、白蛇不動明王として石祠をつくり祀った。原因は落雷という。
幹の目通りは8.55m、地上すれすれの根回りは13,24mある。
豊川市教育委員会
*上から張ったはずの豊川市の名前が消えて、かつての御津町の名前が透けて見えています
北西側から、焦げ跡の残る傷んだ幹の洞に白蛇不動明王の祠が有ります
立札の説明版です、内容は同じものです
北側から、火災の跡は残ったままで、道路舗装などで根が切られているようですが、まだまだ長生きしてくれそうです
では、次へ行きましょう
御津町上佐脇地区は、豊川市役所の西南西約4kmのところ
豊川市役所から県道5号線を西北西へ、約2.6kmの八幡町横道西信号を左(南西)へ県道31号線です
約2km先の森5丁目信号を左(南東)へ県道375号線です、約600mの丁字路を左へ
正面にクスノキが見えました、目的の観音寺の大楠です
道路を南東側先へ進んで「上佐脇ちびっ子広場」脇の駐車場を利用させて頂きました
南側から観音寺境内です、手前にも樹冠の大きな楠の大木が在ります
南西側から、目通り幹囲は5m(目測)近いと思われます
観音寺本堂です
墓地に石仏や石塔が並びます
目的の大楠は、樹幹が小さくなっています
南東側の御堂越に見上げました
南西側から
説明版です
観音寺の大楠
昭和44年2月3日指定
白河天皇承暦年中(1077~1080)に住僧が植えてまのと言い伝えられ、約900年の樹齢である。
永禄12年(1569)ごろ樹中から自然発火し幹が半分焼け、寺は類焼した。
そのとき、樹中より白蛇があらわたので、白蛇不動明王として石祠をつくり祀った。原因は落雷という。
幹の目通りは8.55m、地上すれすれの根回りは13,24mある。
豊川市教育委員会
*上から張ったはずの豊川市の名前が消えて、かつての御津町の名前が透けて見えています
北西側から、焦げ跡の残る傷んだ幹の洞に白蛇不動明王の祠が有ります
立札の説明版です、内容は同じものです
北側から、火災の跡は残ったままで、道路舗装などで根が切られているようですが、まだまだ長生きしてくれそうです
では、次へ行きましょう