ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

愛知県豊川市、御津町上佐脇「観音寺の大楠」(市指定)です!!

2023-02-11 18:44:56 | 巨樹・大木
 御津町(みとちょう)は、愛知県宝飯郡にあった町。2008年(平成20年)1月15日、宝飯郡音羽町とともに豊川市に編入合併されました。旧御津町域の住所表示は「豊川市御津町」となっています。

 御津町上佐脇地区は、豊川市役所の西南西約4kmのところ

 豊川市役所から県道5号線を西北西へ、約2.6kmの八幡町横道西信号を左(南西)へ県道31号線です

 約2km先の森5丁目信号を左(南東)へ県道375号線です、約600mの丁字路を左へ

 正面にクスノキが見えました、目的の観音寺の大楠です
 
 道路を南東側先へ進んで「上佐脇ちびっ子広場」脇の駐車場を利用させて頂きました

 南側から観音寺境内です、手前にも樹冠の大きな楠の大木が在ります

 南西側から、目通り幹囲は5m(目測)近いと思われます

 観音寺本堂です

 墓地に石仏や石塔が並びます


 目的の大楠は、樹幹が小さくなっています

 南東側の御堂越に見上げました


 南西側から


 説明版です
   観音寺の大楠
      昭和44年2月3日指定
 白河天皇承暦年中(1077~1080)に住僧が植えてまのと言い伝えられ、約900年の樹齢である。
 永禄12年(1569)ごろ樹中から自然発火し幹が半分焼け、寺は類焼した。
 そのとき、樹中より白蛇があらわたので、白蛇不動明王として石祠をつくり祀った。原因は落雷という。
 幹の目通りは8.55m、地上すれすれの根回りは13,24mある。
          豊川市教育委員会
*上から張ったはずの豊川市の名前が消えて、かつての御津町の名前が透けて見えています
 

 北西側から、焦げ跡の残る傷んだ幹の洞に白蛇不動明王の祠が有ります

 立札の説明版です、内容は同じものです


 北側から、火災の跡は残ったままで、道路舗装などで根が切られているようですが、まだまだ長生きしてくれそうです

 では、次へ行きましょう
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愛知県豊川市、八幡町本郷「八幡宮の根上がりくすの樹」です!!

2023-02-11 06:29:38 | 巨樹・大木
 八幡町本郷地区は、豊川市役所の西北西約3.5kmのところ

 豊川市役所前から県道5号線を西北西へ、約3,5kmの筋違橋信号のすぐ先右手に

 八幡宮の社號標が建っています

 ここを北へ入ります

 道成りに進むと鳥居が見えて来ます、境内入口です

 駐車場は、境内東側の参集所わきから入る事が出来ました

 一ノ鳥居です

 ニノ鳥居です


 右側の沖社(弁財天社)の鳥居です、奥に太い幹が見えました

 鳥居を潜ると、目的の「根上がりくすの樹」です

 西側から、大きな洞状に根が持ち上がっています

 北西側から、目通り幹囲9.0mの巨木です

 北側(沖社前)から見ました



 沖社(弁財天社)です、周りには池が巡っています

 八幡宮にお参りしましょう

 参道の石橋が三本掛かっています、右を通りました

 三ノ鳥居です

 神門です

 手水舎です

 参道左手の西御門社・祭神は櫛磐窓神です

 参道右手の東御門社・祭神は豊磐窓神です

*このブログ、 2023年1月10日の茨城県常陸大宮市、下町「甲神社の御神木(スギ)」で紹介している「豊磐間戸命」と「奇磐間戸命」で、「延喜式」や「古語拾遺」などに見える門を司る神と同一の神様です。

 台の上に「さざれ石」です

 拝殿です

 説明版です
   八幡宮
御由緒
 当宮は、第40代天武天皇の白鳳年中(7世紀後半)に勅命を奉じて豊前国の宇佐神宮より一国一社の八幡宮として当地に八幡大神の御神霊を御奉安申しあげたのが起源です。往古は朝廷より神戸、神領を賜った大社でした。
 国司が国府に在庁の時代[大宝元年(701)~万寿 5年(1028)頃まで?]は、国府八幡宮とも称して崇められ、国司が祭祀を掌り、三河神名帳の筆頭に八幡三所大菩薩と掲げられています。
 源頼朝は、先祖以来八幡神に崇敬の念篤く、当宮に健久4(1193)年社領1000町歩寄進し、以後武家代々この規範は継承されました。
 その後、駿河国の守護今川氏が東三河地を領した時代、当国内に八幡村を始め、6ヶ村を社領と定め、その武将牧野氏からも多くの寄進を受けました。
 往時は、本宮を中心に境外四辺に摂社、末社や神宮寺を配して祀り、現在の10倍以上とも云われる広大な社域を有し、社領も1500石余を領しておりました。
 徳川家康は慶長7(1602)年八幡村内に社領150石の朱印状を下し、明治維新になるまで代々の将軍に継承されました。
 当宮の旧社格は、明治4年郷社、同13年に県社に列せられました。
御祭神
 第一殿  応神天皇(誉田別命)
 第二殿  三女神(多紀理比売命・市杵島比売命・多岐津比売命)
 第三殿  神功皇后(息長帯比売命)
祭礼 4月の第2土曜日・日曜日


 もう一枚の説明版です
   八幡宮
 八幡宮は社伝によれば、白鳳(7世紀半ば~後半)の頃に大分県の宇佐八幡宮から勧請されたといいます。奈良時代に東側に隣接して三河国分寺が建立されると、国分寺の鎮護の神としても崇められました。中世以降には武家の尊信を集めことが牧野氏・今川氏の寄進状や安堵状(市指定文化財)からうかがえ、江戸時代には幕府より150石の社領が与えられていました。
 本殿(国指定重要文化財)は、三間社流造の檜皮葺で、正面は三間とも菱格子組の引戸を立て、柱の上には出三斗を組んでいます。また、欄間には花鳥などを彫りこんだ形の良い蟇股が入り、これを七宝繋文の透し彫りがつないでいます。側面からは屋根の流れるような曲線を見ることができ、破風には連続波型彫刻、蟇股には蓮の花や日月が彫りこまれています。所蔵する木造狛犬(県指定文化財)の台座裏の墨書より文明9(1477)年の建造と推定され、当地方における室町時代中期の神社本殿の建築様式を知り得る貴重な好例です。
 八幡宮には、他にも木彫天宇受売命面(県指定)や祭礼用具(市指定)などの文化財が伝えられています。
      豊川市教育委員会

 右の内宮です

 左の内宮です

 本殿です

 なかなか全体は見えません

 西側から本殿の屋根を見る事が出来ました

 本殿の説明版です
  


 拝殿前東側の境内社を見て行きます、右側から住吉三社・春日社・碓丸社・大玉社・秋葉社・金刀比羅社等が並びます

 こちらも右から高羅社と天満天神の社です

 右から若宮社・鍬社・須佐之男社(中進雄社合祀)・諏訪社・一品社(市階天神社)・磯良社が並びます

 石祠は穂ノ命社です

 お狐様がいらっしゃいますので稲荷社です

 摂社の六所神社です

 東側の招魂社です

 では、次へ行きましょう
コメント (1)
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