境内を見て行きます
御津町広石祓田地区は、豊川市役所の西約6km、豊川市役所御津支所の北北西約700mのところ
御津支所前から御津川沿いを北へ、間も無くの三叉路を左へ
正面に御津神社が南東向き参道で鎮座します
参道東側境内に駐車スペースが有ります
参道入口です
式内 御津神社の社號標です
境内案内図です
説明版です
御祭神 大国主命
呉由緒
創立年代不詳と雖も延喜式(平安時代)全国神社3132座の内、三河26座の一つとなし、三河国神名帳に正3位御津大明神として載せらる。
聖武天皇4年2月圭田56束を奉納し給ふ
文徳天皇仁寿元年10月従5位下の神階を給ふ
当三州刺史源朝臣義範は応永22年御社殿を再建し
永享11年之が御屋根葺替を成し奉り
享徳元年御津庄刺史細川兵部少輔は洪鍾を献納し
天文15年当庄刺史牛久保城主平朝臣保成御社殿屋根葺替を成し奉れり
明治14年10月有栖川宮熾仁親王殿下より神社号の御染筆を御贈進あらせらる
明治22年内務省より御本殿保存資金として金壱百円を下附さる
当社は往古御津7郷(広石、森下、茂松、灰野、金割、西方、泙野、大草、赤根、大塚、丹野、山神)12ヶ村の総氏なりしが、明治5年更に6ヶ村(森、為当、上佐脇、下佐脇、下佐脇新田、御馬)を加えて18ヶ村崇敬の社となる。
神領は中古75石を有し、今尚、小字に祓田、禰宜田、神子田等の名を残す。
別宮石畳神社は字泙野に、村社御舳玉神社は大字豊沢に、境内神社たる磯宮神社、船津神社は当社境内に鎮座あり孰れも当社御由緒に深き関係を有せらる。
明治5年4月郷社に列せらる
明治15年5月県社に列せらる
明治40年2月神饌弊帛料共進神社に指定せらる
昭和24年6級社に指定せらる
例祭日
烏賊祭 4月第3土曜日
例大祭 4月第3日曜日
参道右手の池の中の島は舟の形に石垣が組まれています
ニノ鳥居の前の社號標には縣社式内 御津神社となっています
参道右手には天満社です
撫牛信仰
牛は天神様の御神使です
もろもろの願いをこめてこの臥牛を撫で
願望成就を祈ることは当社古来に信仰です
説明版です
天満社御由緒
御祭神 菅原道真公
古老の伝えるところでは、当社は京都の北野天満宮より勧請されたものといい、もと、越川77-1に鎮座せられたが、明治8年12月(1875)この御津神社境内に遷座せられた。
御祭神は、承和12年(845)の御生まれであって御津神社における当社の御創立年代は不詳であるが、最も古い棟札に寛文10年7月(1670)に造り替え奉ると記されており、この時、既に造り替えが必要なほど傷んでいたということでかなり以前の御創立と認められる。この棟札の裏に金一両に付き米8斗5升、麦2石、金一分(4分で一両)で稗3石2斗、あわ5斗5升と物価を伝えているのは興味深い。
御祭神は、学問の神様、書道の神様として尊崇せられ、ことに霊験いちじるしく神社近郷において国学者羽田野敬雄を始め多くの学者、教育者等の輩出しているが御祭神の御霊験によるものと拝察せらる。
最近社殿の腐朽がすすみ、おそれ多いので氏子各位の赤誠により、今年昭和59年に再建されるに至ったものである、
参道西側にも境内社です。船津神社の様です
参道石段を上ります
手水舎です
正面に拝殿です参道を進みます
参道左手に御霊社です
拝殿です
本殿覆い屋です
説明版です
興津神社案内
祭神 大国主命
祭礼 烏賊祭 4月第3土曜日(かつては、春祭りとして執行。烏賊を献供)
例大祭 4月第3日曜日(かつては、旧暦9月16、17日)
縁起 創建は不明。「延喜式」では三河26座の一つの「式内社」、「神名帳」には「正三位御津大明神」とある。
伝承によれば、祭神は御舳玉・磯宮楫取・船津各大神等の随従で船津へ着いたとされ、棟札や梵鐘等によって三河守護や土豪との関係がわかる。
当社は興津7郷12ヶ村の総産土神と崇められ、明治5年に郷社に列せられ、明治15年には社殿が造営され、県社に昇格した。
文化財(町指定6点)
梵鐘 享徳元年(1452)願主は藤原政。高さは89.4cm、口径53.9cm。梵鐘が神社にあるのは珍しく、当時の地域の在地領主と守護との関係がわかる。
鰐口 ①永禄元年(1452)に大工南金屋宗次により制作。付近の土中から出土したといわれる。
②万治3年(1660)に北金屋村の中尾作左門重次が制作。「御津庄船主大明神」(船津神社古称)に氏子衆が奉納したもの。
③延宝2年(1674)大恩寺第29代鸞誉上人によって奉納された。
大般若経 現存111巻及び巻数不明の料紙699葉。多くは、永和年間(1375~1379)に、新城市富岡にある富賀寺などで実鏡らにより書写されたもの。
クスノキ 当社の神木で、樹齢千円を超え、町内最高齢の樹木と推測される。目通り9.25m、根回り13.64m。樹高21.0m。
その他 当社には金割・灰野地内の入会山騒動をめぐる「平野・竹本義人碑」「山林分割記念の大鏡」や、国学者羽田野敬雄ゆかりの「肖像祭の軸」「皇学四大神の神歌碑」御津神社道の「道しるべ」2本もある。
平成11年11月
豊川市教育委員会
*町内の表記は、かつての御津町が平成20年(2008)1月15日に豊川市に編入する前の表記です。
本殿左に富野御前社です
稲荷社参道です
稲荷社です
手前に磯宮大神です
西側に遥拝殿です
では、次へ行きましょう
御津町広石祓田地区は、豊川市役所の西約6km、豊川市役所御津支所の北北西約700mのところ
御津支所前から御津川沿いを北へ、間も無くの三叉路を左へ
正面に御津神社が南東向き参道で鎮座します
参道東側境内に駐車スペースが有ります
参道入口です
式内 御津神社の社號標です
境内案内図です
説明版です
御祭神 大国主命
呉由緒
創立年代不詳と雖も延喜式(平安時代)全国神社3132座の内、三河26座の一つとなし、三河国神名帳に正3位御津大明神として載せらる。
聖武天皇4年2月圭田56束を奉納し給ふ
文徳天皇仁寿元年10月従5位下の神階を給ふ
当三州刺史源朝臣義範は応永22年御社殿を再建し
永享11年之が御屋根葺替を成し奉り
享徳元年御津庄刺史細川兵部少輔は洪鍾を献納し
天文15年当庄刺史牛久保城主平朝臣保成御社殿屋根葺替を成し奉れり
明治14年10月有栖川宮熾仁親王殿下より神社号の御染筆を御贈進あらせらる
明治22年内務省より御本殿保存資金として金壱百円を下附さる
当社は往古御津7郷(広石、森下、茂松、灰野、金割、西方、泙野、大草、赤根、大塚、丹野、山神)12ヶ村の総氏なりしが、明治5年更に6ヶ村(森、為当、上佐脇、下佐脇、下佐脇新田、御馬)を加えて18ヶ村崇敬の社となる。
神領は中古75石を有し、今尚、小字に祓田、禰宜田、神子田等の名を残す。
別宮石畳神社は字泙野に、村社御舳玉神社は大字豊沢に、境内神社たる磯宮神社、船津神社は当社境内に鎮座あり孰れも当社御由緒に深き関係を有せらる。
明治5年4月郷社に列せらる
明治15年5月県社に列せらる
明治40年2月神饌弊帛料共進神社に指定せらる
昭和24年6級社に指定せらる
例祭日
烏賊祭 4月第3土曜日
例大祭 4月第3日曜日
参道右手の池の中の島は舟の形に石垣が組まれています
ニノ鳥居の前の社號標には縣社式内 御津神社となっています
参道右手には天満社です
撫牛信仰
牛は天神様の御神使です
もろもろの願いをこめてこの臥牛を撫で
願望成就を祈ることは当社古来に信仰です
説明版です
天満社御由緒
御祭神 菅原道真公
古老の伝えるところでは、当社は京都の北野天満宮より勧請されたものといい、もと、越川77-1に鎮座せられたが、明治8年12月(1875)この御津神社境内に遷座せられた。
御祭神は、承和12年(845)の御生まれであって御津神社における当社の御創立年代は不詳であるが、最も古い棟札に寛文10年7月(1670)に造り替え奉ると記されており、この時、既に造り替えが必要なほど傷んでいたということでかなり以前の御創立と認められる。この棟札の裏に金一両に付き米8斗5升、麦2石、金一分(4分で一両)で稗3石2斗、あわ5斗5升と物価を伝えているのは興味深い。
御祭神は、学問の神様、書道の神様として尊崇せられ、ことに霊験いちじるしく神社近郷において国学者羽田野敬雄を始め多くの学者、教育者等の輩出しているが御祭神の御霊験によるものと拝察せらる。
最近社殿の腐朽がすすみ、おそれ多いので氏子各位の赤誠により、今年昭和59年に再建されるに至ったものである、
参道西側にも境内社です。船津神社の様です
参道石段を上ります
手水舎です
正面に拝殿です参道を進みます
参道左手に御霊社です
拝殿です
本殿覆い屋です
説明版です
興津神社案内
祭神 大国主命
祭礼 烏賊祭 4月第3土曜日(かつては、春祭りとして執行。烏賊を献供)
例大祭 4月第3日曜日(かつては、旧暦9月16、17日)
縁起 創建は不明。「延喜式」では三河26座の一つの「式内社」、「神名帳」には「正三位御津大明神」とある。
伝承によれば、祭神は御舳玉・磯宮楫取・船津各大神等の随従で船津へ着いたとされ、棟札や梵鐘等によって三河守護や土豪との関係がわかる。
当社は興津7郷12ヶ村の総産土神と崇められ、明治5年に郷社に列せられ、明治15年には社殿が造営され、県社に昇格した。
文化財(町指定6点)
梵鐘 享徳元年(1452)願主は藤原政。高さは89.4cm、口径53.9cm。梵鐘が神社にあるのは珍しく、当時の地域の在地領主と守護との関係がわかる。
鰐口 ①永禄元年(1452)に大工南金屋宗次により制作。付近の土中から出土したといわれる。
②万治3年(1660)に北金屋村の中尾作左門重次が制作。「御津庄船主大明神」(船津神社古称)に氏子衆が奉納したもの。
③延宝2年(1674)大恩寺第29代鸞誉上人によって奉納された。
大般若経 現存111巻及び巻数不明の料紙699葉。多くは、永和年間(1375~1379)に、新城市富岡にある富賀寺などで実鏡らにより書写されたもの。
クスノキ 当社の神木で、樹齢千円を超え、町内最高齢の樹木と推測される。目通り9.25m、根回り13.64m。樹高21.0m。
その他 当社には金割・灰野地内の入会山騒動をめぐる「平野・竹本義人碑」「山林分割記念の大鏡」や、国学者羽田野敬雄ゆかりの「肖像祭の軸」「皇学四大神の神歌碑」御津神社道の「道しるべ」2本もある。
平成11年11月
豊川市教育委員会
*町内の表記は、かつての御津町が平成20年(2008)1月15日に豊川市に編入する前の表記です。
本殿左に富野御前社です
稲荷社参道です
稲荷社です
手前に磯宮大神です
西側に遥拝殿です
では、次へ行きましょう