ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

愛知県岡崎市、鳥川町中貝津「とよとみ梨」(市指定)です!!

2023-02-08 18:29:00 | 文化財・樹木
 鳥川町中貝津地区は、岡崎市役所の東南東約18km、岡崎市額田支所の南東約5kmのところ


 ぬかた案内図です(豊富地区の県道37号線沿いの須賀神社前に有ります)

 目的の「とよとみ梨」は図の右下側に描かれています

 岡崎市額田支所前国道473号線と県道37号線の交差点「樫山町月秋」信号を東へ道成りに進みます

 約1.4kmの信号(天恩寺の手前)で県道37号線から右(東)へ男川を渡って県道377号線を進みます

 約5.4km道成りに進むと、新東名高速道路の高架が見えて来ます

 手前の右側に、目的の「とよとみ梨」が新東名高速道路の斜面に在ります

 道路脇に車を止めさせて頂きました

 東側から見ました

 階段を登って支柱の下(東側)から見上げました
 

 説明版です
   岡崎市指定文化財  鳥川町
天然記念物 とよとみ梨
 もともと現在地に自生する野生なしの一種で、極めて珍しい希少種です。
 かつて樹齢300年と推定される幹回り4mの古木でしたが、昭和34年伊勢湾台風で衰弱し、翌年に本幹は枯死しました。
 しかしその後、分岐枝が繁茂し生命を維持し、現在の姿となっています。
 果実は多くつきますが、2.5cmほどの小さなもので、硬くて渋く食用にはなりません。
 4月上旬頃に開花し、白色で5枚の花びらを持っています。
 「とよとみ」は旧豊富村にちなんで付けられたものです。
     平成2年7月6日指定
      岡崎市教育委員会

 北側から見上げました、現在の目通り幹囲は約2mほどです

 ふるさとの名木の案内板です、表記名も一緒ですね

 北西側から

 西側の土手へ上って来ました

 西側から

 土手の上から見ました

 *須賀神社前の案内図に在った、樹木の内まだ2本を見ていませんが、豊川市側へ行くことにしました

 では、次へ行きましょう
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愛知県岡崎市、片寄町山下「天恩寺の家康公見返りの大杉」(市指定)です!!

2023-02-08 06:37:00 | 巨樹・大木
 片寄町山下地区は、岡崎市役所の東約13km、岡崎市額田支所の東約2kmのところ


 ぬかた案内図です(豊富地区の県道37号線沿いの須賀神社前に有ります)

 目的の「天恩寺」「見返りの大杉」は図の右側に描かれています

 岡崎市額田支所前国道473号線と県道37号線の交差点「樫山町月秋」信号を東へ道成りに約2.2km進みます

 県道37号線沿い左に天恩寺の駐車場が有ります、立派な公衆トイレも有りますので、参詣客以外の利用が多いようでした

 駐車場の観光案内板です、現在の位置は中央の天恩寺の文字の左側に成ります

 県道を歩いて東へ

 天恵寺参道への入り口です、右に帝国特別保護建造物 地蔵堂 天恩寺の石柱が建っています


 入口右にお不動様です「水掛不動」と手水です

 参道石段を進みます

 山門が見えて来ました(国指定重要文化財とは別の山門です)

 説明版です
   天恩寺
 天恩寺は、足利尊氏の遺言によって貞治元年(1362)義光が建立した。
 開山は寂室元光で、本尊は延命地蔵菩薩である。
 仏殿と山門は室町時代の建物で、ともに国指定重要文化財である。
 江戸時代には79石余の寺領を持ち、この地方の中心寺院であった。
  国指定重要文化財
〇仏殿 (地蔵堂)
〇山門 (藥医門)
  岡崎市指定文化財
〇からうすの図 (白隠禅師筆)
〇蝦蟇鉄拐仙人図(伊藤若冲筆)
    岡崎市教育委員会
*こちらの説明版も額田町時代のものを修正して使っていますが、やはり読めない部分が出来てしまっています

 山門を入ると左手に沢山の石仏が並びます

 参道左手に目的のスギが見えました

 南東側から

 説明版です
   家康公見返りの大杉
 家康は長篠城出陣の折、天恩寺に寄って戦勝祈願をした。
 帰途このあたりまで来た時、本尊延命地蔵菩薩が「家康、家康」と呼び止め、家康がハッと驚いてふり返ると、大杉の陰から敵方の刺客が矢を射かける処だった。
 危く難をのがれたことを大いに喜び家康は、地蔵菩薩の前に三拝九拝して幾度も馬上からみ返り、大杉の彼方を遥拝しつつ戦場に向かったといわれる。
 それよりこの大杉を「家康公見返りの大杉」と呼ぶ。


 ふるさとの名木の表記は「見返りの大スギ」となっています

 東側から



 立派な石垣です

 西側の石垣の上には役行者像のようです

 説明版です
   石垣 ~徳川初期~
 額田町男川流域は急傾斜地が多く、雲母片岩、石英岩地帯で、その片岩を猪垣や石垣に活した他では見られない、素晴しいものが各処にある中でも制層樵石積みの典型として天恩寺門前の石垣は古くて今尚美しい。
 延享4年(1751)桃谿和尚の記録に「門前石橋並に門脇石垣担等の造営は舊山禾(口)上(尚 代」とある。
 舊山和尚は慶長7年(1602)に将軍家康より御朱印を賜り、元和7年(1621)になくなった天恩寺中興の名僧で、この石垣等は慶長から元和にかけて造営されたものといえる。
   昭和55年1月記
   額田町文化財保護委員会

 石段にニャンコがいます、近付くと石段を上がって行ってしまいました

 石段を上がると正面に国指定重要文化財の仏殿(地蔵堂)です

 仏殿の右(東側)に国指定重要文化財の山門です


 説明版です、内容は、入口や杉の根元の説明版を合わせただけの物になってしまっています

 山門を入った正面に本堂です
 
 右手には松の木です

 山門を出た東側に枝を山門内から伸ばした松です

 こちらの松は、ふるさとの名木として「天恩寺の松」の名で指定されています

 手水舎です、石垣を東側の広い階段から上がってくるとこちらから入るようになっていました

 では、次へ行きましょう
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