西箕輪羽広地区は、伊那市役所の北西約8kmのところ
国道153号線の水神橋西信号から
県道87号線を中央自動車道伊那IC方面へ
ICを過ぎてそのまま県道476号線になります
道なりに進み羽廣観音仲仙寺入口左と先の右側
そして資料館前に駐車場が有ります
順に車で取材しながら移動しましょう
参道入口です、門杉の様に参道の左右に杉の大木が在ります
参道を進むと山門の仁王門が見えて来ます
右手には石塔が並びます
山門側にはお地蔵様です
信濃三十三観音・伊那諏訪八十八ヶ所第一番札所です
仁王様です
説明版です
さらに進むと
六地蔵様です
説明版です
右に本坊入り口
左は閻魔堂です
笑ったような御不動様です
観音様です
説明版です
巣立ち観音
私たちは、伊那小学校で三年
生から六年生までの四年間、春
日幸雄先生と一緒にポニーの「
クリッカ―」を飼育してきまし
た。
この間、銀杏を売って資金を
作り、産小屋を建てたり、待望
の子馬を出産させるなど、様々
な体験をしてきました。
私たちの期待に応え、十九歳
という超高齢出産が体力を急速
に衰えさせてしまい、1991
年5月遂に死んでしまいました
。
しかしこの四年間に私たちが
クリッカ―から教えられたこと
は、心の底にしっかりと刻みこ
まれています。
「人を思いやる心」「夢をも
ってつきすすみやりとげた時の
喜びと自信」「毎日毎日世話す
ることの大切さ」等は、決して
忘れることはないと思います。
また、この四年間の活動は、
大勢のみなさんの協力に支えら
れたものでした。
特に、静岡県御殿場市富士牧
場公園のみなさんには、私たち
の活動を陰になり日向になって
一貫して支えて頂きました。
わたしたちは、今ここに「あ
りがとうクリッカ―」の思いを
こめ、多くのみなさんのご恩に
報いるために、高校受験期の夏
休みにこの馬頭観音造りに取り
組み、完成させることができま
した。
私たちは、クリッカ―が身を
以て教えてくれた「生命誕生の
敬虔さ」「倒れても起ちあがっ
て歩いて見せてくれたあの生へ
の執着のすごさ」「眠るような
死」と悟されたように感じまし
た。
私たちは今中学三年生、クリ
ッカ―に力強く励まされながら
、これから羽ばたき、夫々の目
標に向って、今巣立とうとして
います。この気持をこめて、こ
の馬頭観世音に愛称「巣立ち観
音」と命名しました。
平成5年10月吉日
伊那小学校順組一同
(平成・年度卒業生)
参道右側の手水舎です
急な石段の上に楼門です
本堂観音堂です
鰐口です
鰐口の説明版です
仏像説明版です
境内右に鐘楼です
自然観察林の説明版です
丁石です
説明版です
はびろ道「丁石 丁観音」
はびろ道は、伊那の中心を南
北に通る伊那街道坂下の辻から
羽広山仲仙寺に至る五十四丁の
信仰の道である。
仲仙寺は秘仏の十一面観音菩
薩を本尊とする、千二百年の歴
史ある信濃観音霊場の第二十二
番札所、伊那諏訪第一番札所の
古刹である。
伊那街道の起点の辻には、い
くつかの道標と石仏が安置され
ている。そのなかに、「南ぜん
可うし道 左はび路道」と刻ま
れた古い石柱と、基点を示す馬
頭観音像がある。
江戸時代中期から大東亜戦争
のころまで、馬が農耕と交通の
主役であり、大切な一家の一員
であった時代、馬の安全祈願の
ため人と馬が共に、仲仙寺へ参
拝する信仰の道であった。一丁
(約109m)毎に道標となる
観世音石仏が寄進奉納され、数
多の参詣者でにぎわったという
。馬の観音様として親しまれ、
千人余の人が力を合わせて奉納
した千疋馬絵馬(伊那市指定有
形文化財)と呼ばれる巨大な絵
馬がいくつかある。
最近、この古い歴史の道が伊
那市と伊那観光協会によって整
備され、再び注目されている。
伊那市
境内北側の祠です
では、神仙寺の巨木達を見て行きましょう
国道153号線の水神橋西信号から
県道87号線を中央自動車道伊那IC方面へ
ICを過ぎてそのまま県道476号線になります
道なりに進み羽廣観音仲仙寺入口左と先の右側
そして資料館前に駐車場が有ります
順に車で取材しながら移動しましょう
参道入口です、門杉の様に参道の左右に杉の大木が在ります
参道を進むと山門の仁王門が見えて来ます
右手には石塔が並びます
山門側にはお地蔵様です
信濃三十三観音・伊那諏訪八十八ヶ所第一番札所です
仁王様です
説明版です
さらに進むと
六地蔵様です
説明版です
右に本坊入り口
左は閻魔堂です
笑ったような御不動様です
観音様です
説明版です
巣立ち観音
私たちは、伊那小学校で三年
生から六年生までの四年間、春
日幸雄先生と一緒にポニーの「
クリッカ―」を飼育してきまし
た。
この間、銀杏を売って資金を
作り、産小屋を建てたり、待望
の子馬を出産させるなど、様々
な体験をしてきました。
私たちの期待に応え、十九歳
という超高齢出産が体力を急速
に衰えさせてしまい、1991
年5月遂に死んでしまいました
。
しかしこの四年間に私たちが
クリッカ―から教えられたこと
は、心の底にしっかりと刻みこ
まれています。
「人を思いやる心」「夢をも
ってつきすすみやりとげた時の
喜びと自信」「毎日毎日世話す
ることの大切さ」等は、決して
忘れることはないと思います。
また、この四年間の活動は、
大勢のみなさんの協力に支えら
れたものでした。
特に、静岡県御殿場市富士牧
場公園のみなさんには、私たち
の活動を陰になり日向になって
一貫して支えて頂きました。
わたしたちは、今ここに「あ
りがとうクリッカ―」の思いを
こめ、多くのみなさんのご恩に
報いるために、高校受験期の夏
休みにこの馬頭観音造りに取り
組み、完成させることができま
した。
私たちは、クリッカ―が身を
以て教えてくれた「生命誕生の
敬虔さ」「倒れても起ちあがっ
て歩いて見せてくれたあの生へ
の執着のすごさ」「眠るような
死」と悟されたように感じまし
た。
私たちは今中学三年生、クリ
ッカ―に力強く励まされながら
、これから羽ばたき、夫々の目
標に向って、今巣立とうとして
います。この気持をこめて、こ
の馬頭観世音に愛称「巣立ち観
音」と命名しました。
平成5年10月吉日
伊那小学校順組一同
(平成・年度卒業生)
参道右側の手水舎です
急な石段の上に楼門です
本堂観音堂です
鰐口です
鰐口の説明版です
仏像説明版です
境内右に鐘楼です
自然観察林の説明版です
丁石です
説明版です
はびろ道「丁石 丁観音」
はびろ道は、伊那の中心を南
北に通る伊那街道坂下の辻から
羽広山仲仙寺に至る五十四丁の
信仰の道である。
仲仙寺は秘仏の十一面観音菩
薩を本尊とする、千二百年の歴
史ある信濃観音霊場の第二十二
番札所、伊那諏訪第一番札所の
古刹である。
伊那街道の起点の辻には、い
くつかの道標と石仏が安置され
ている。そのなかに、「南ぜん
可うし道 左はび路道」と刻ま
れた古い石柱と、基点を示す馬
頭観音像がある。
江戸時代中期から大東亜戦争
のころまで、馬が農耕と交通の
主役であり、大切な一家の一員
であった時代、馬の安全祈願の
ため人と馬が共に、仲仙寺へ参
拝する信仰の道であった。一丁
(約109m)毎に道標となる
観世音石仏が寄進奉納され、数
多の参詣者でにぎわったという
。馬の観音様として親しまれ、
千人余の人が力を合わせて奉納
した千疋馬絵馬(伊那市指定有
形文化財)と呼ばれる巨大な絵
馬がいくつかある。
最近、この古い歴史の道が伊
那市と伊那観光協会によって整
備され、再び注目されている。
伊那市
境内北側の祠です
では、神仙寺の巨木達を見て行きましょう
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