三瀬宮之前地区は、鶴岡市役所の西南西約15kmのところ
国道7号線をにしへ、日本海を右手に見るようになると由良海岸です
国道が峠を越えるように進むと左に三瀬の市街地です
案内板が有りますので左の市道へ
間もなく左の田圃の先に気比神社の社叢が見えて来ます
気比神社社叢は国の天然記念物に指定されています
鳥居を潜った境内に車を止めることが出来ました
参道入り口鳥居です
国指定天然記念物気比神社社叢の石碑が建ちます
境内地は「史跡 旗本台」縄文時代の遺跡・戦国時代の館跡です
参道を進むと・・・
二の鳥居です
説明版です
気比神社社記
上代より気比台池畔に保食大神鎮座あり。後元正天皇霊亀二年越前国敦賀気比神社より七座を此の地に勧請、古代よりの古社を摂社とし、祭神は七座五社二十七神を祀っている、社殿の造営は天分9年尾浦城主武藤氏の部将高坂中務時次等領内に奉加を令して之をなし、現在の本殿等は宝永4年庄内藩主酒井公の寄進並に御郡中の奉加及び氏子の寄附により造営され、世の興亡変転にかかわらず領主、氏子の尊崇厚く廃藩置県後明治9年縣社に列せられ、例大祭は4月12日県内外の崇敬人多く、境内約三万坪、本社の奥100m余の処に神池あり、周囲約900m旱雨により涸溢なく深浅測るべからず、原生の老樹池に影を映し幽邃神秘時に山禽の様これ静寂を破る、境内に松、榊、白樫等有形文化財始め百種以上の樹種あり、旧社殿跡に源義経公の遺跡あり、又、指呼の間葉山中腹に義経記の薬師神社跡がある、羽黒旧記因由の八乙女神社、籠穴は葉山のかげ海に臨むところにあり舟で詣ずることができる。
石段を上がります
手水舎です
手水舎の奥に境内の説明図が有りますので確認しましょう
直会殿です
直会殿の建物東側には合祀社殿です
向かい側には神輿殿です
直合殿の西側の石段を上ります
竹内宿禰社です
玉姫社です
ふしぎな感じの狛犬です
拝殿です
みごとな彫刻です
軒下の奉納物は草履や剣が見られます
本殿です
拝殿前のウラジロガシとサカキです
西側から
南西側からウラジロガシです
市指定天然記念物ウラジロガシの標柱です
東側から
サカキです
市指定天然記念物サカキの標柱です
南東側から
応神天皇社です
日本武尊社です
東側は気比台の池への参道ですが、ここまでにしましょう
では、次へ行きましょう
国道7号線をにしへ、日本海を右手に見るようになると由良海岸です
国道が峠を越えるように進むと左に三瀬の市街地です
案内板が有りますので左の市道へ
間もなく左の田圃の先に気比神社の社叢が見えて来ます
気比神社社叢は国の天然記念物に指定されています
鳥居を潜った境内に車を止めることが出来ました
参道入り口鳥居です
国指定天然記念物気比神社社叢の石碑が建ちます
境内地は「史跡 旗本台」縄文時代の遺跡・戦国時代の館跡です
参道を進むと・・・
二の鳥居です
説明版です
気比神社社記
上代より気比台池畔に保食大神鎮座あり。後元正天皇霊亀二年越前国敦賀気比神社より七座を此の地に勧請、古代よりの古社を摂社とし、祭神は七座五社二十七神を祀っている、社殿の造営は天分9年尾浦城主武藤氏の部将高坂中務時次等領内に奉加を令して之をなし、現在の本殿等は宝永4年庄内藩主酒井公の寄進並に御郡中の奉加及び氏子の寄附により造営され、世の興亡変転にかかわらず領主、氏子の尊崇厚く廃藩置県後明治9年縣社に列せられ、例大祭は4月12日県内外の崇敬人多く、境内約三万坪、本社の奥100m余の処に神池あり、周囲約900m旱雨により涸溢なく深浅測るべからず、原生の老樹池に影を映し幽邃神秘時に山禽の様これ静寂を破る、境内に松、榊、白樫等有形文化財始め百種以上の樹種あり、旧社殿跡に源義経公の遺跡あり、又、指呼の間葉山中腹に義経記の薬師神社跡がある、羽黒旧記因由の八乙女神社、籠穴は葉山のかげ海に臨むところにあり舟で詣ずることができる。
石段を上がります
手水舎です
手水舎の奥に境内の説明図が有りますので確認しましょう
直会殿です
直会殿の建物東側には合祀社殿です
向かい側には神輿殿です
直合殿の西側の石段を上ります
竹内宿禰社です
玉姫社です
ふしぎな感じの狛犬です
拝殿です
みごとな彫刻です
軒下の奉納物は草履や剣が見られます
本殿です
拝殿前のウラジロガシとサカキです
西側から
南西側からウラジロガシです
市指定天然記念物ウラジロガシの標柱です
東側から
サカキです
市指定天然記念物サカキの標柱です
南東側から
応神天皇社です
日本武尊社です
東側は気比台の池への参道ですが、ここまでにしましょう
では、次へ行きましょう
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