馬場目門前地区は五城目町役所の南東約5kmのところ
県道15号線秋田八郎潟線を東から南へ道成りに進みます
「帝釈寺参道跡の一本杉」を過ぎて集落を貫けた広域農道の交差点の先を斜め左へ
集落を貫けたところで左へ戻る様に北への道路に入ります
道成りに進むと東を向いて一段低い田圃の中の農道になります
次の集落の手前の田圃道を北へ入ると
南向きの広徳寺参道入口が有ります
参道脇に車を止めさせて頂きました
参道入口直ぐ右手に目的のスギです
西側から、目通り幹囲5.0mの巨木です
北側から
石段中段から見下ろしました
参道石段を上がります
石段の左手にも同サイズのスギが見えます
石段を登り切ると正面に本堂です
南側境内にモミノキです
西側から、目通り幹囲4.9mの大木です
東側から
南側から
馬場目城跡の説明版です
史跡 馬場目城跡
所在地 五城目町馬場目字古城32外
馬場目城は安東氏一族の地頭として早くからこの地に入った、安東(藤)五郎秀宗が築いた城館で、本郭・帯郭・空堀・馬場が残る中世の複郭山城である。
馬場目川流域一帯をにらむ位置にあり、城下に市を開くなど馬場目安東氏の支配力は居館の堅固な地形と城域の広さに表れている。
馬場目城は、山内城・浦城と共に天正実録(1590年頃)安東氏内紛のよって亡んだが、最後の城主は馬場目玄藩正勝時である。城主の茶室跡にある広徳寺は馬場目氏の菩提寺で庭園は当時からのものという。
五城目町
五城目町教育委員会
では、次へ行きましょう
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「帝釈寺参道跡の一本杉」を過ぎて集落を貫けた広域農道の交差点の先を斜め左へ
集落を貫けたところで左へ戻る様に北への道路に入ります
道成りに進むと東を向いて一段低い田圃の中の農道になります
次の集落の手前の田圃道を北へ入ると
南向きの広徳寺参道入口が有ります
参道脇に車を止めさせて頂きました
参道入口直ぐ右手に目的のスギです
西側から、目通り幹囲5.0mの巨木です
北側から
石段中段から見下ろしました
参道石段を上がります
石段の左手にも同サイズのスギが見えます
石段を登り切ると正面に本堂です
南側境内にモミノキです
西側から、目通り幹囲4.9mの大木です
東側から
南側から
馬場目城跡の説明版です
史跡 馬場目城跡
所在地 五城目町馬場目字古城32外
馬場目城は安東氏一族の地頭として早くからこの地に入った、安東(藤)五郎秀宗が築いた城館で、本郭・帯郭・空堀・馬場が残る中世の複郭山城である。
馬場目川流域一帯をにらむ位置にあり、城下に市を開くなど馬場目安東氏の支配力は居館の堅固な地形と城域の広さに表れている。
馬場目城は、山内城・浦城と共に天正実録(1590年頃)安東氏内紛のよって亡んだが、最後の城主は馬場目玄藩正勝時である。城主の茶室跡にある広徳寺は馬場目氏の菩提寺で庭園は当時からのものという。
五城目町
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