ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

茨城県石岡市、瓦塚遺跡です!!

2015-02-13 05:59:11 | 遺跡・史跡
瓦塚遺跡は、石岡市役所の北西約10kmの山の斜面にあります

県道42号線と県道140号線の交差点、瓦谷を東へ進むと

瓦塚窯跡等の案内板が有ります

案内板にしたがって進むと

説明版が有ります、説明版の脇に駐車スペースがあります


説明版です
   茨城県指定史跡 瓦塚遺跡
          昭和十二年匕月十六日指定
  此の遺跡は奈良時代の天平十三年(741)常陸の国府に国分寺・国分尼寺(石岡市府中・若松周辺)等を建立
 した際、その屋根を葺く瓦類を製造した窯跡です。
  昭和四十三年、隣接する山林を開墾中に七基の窯跡が発見されました、そこで緊急の発掘調査を行った結果、窯
 の構造は粘土質の基盤をくり抜いて作られた「地下式有段登窯」と判明しました。燃焼部と焼成部の区別が極めて
 明瞭で、焼成部内は五段に造成されており、布目瓦など多くの古代の瓦類が出土しました。
  現在は二十余基の窯跡が確認されていますが、其の保存状態の良さから、古代の窯跡としては日本有数のもので
 あると評価を受けています。
  現在、調査を契機に組織された「瓦塚保存会」の活躍により、当遺跡の保存・活用が図られています。
                                 平成十八年二月
                                  瓦 塚 保 存 会
                                  石岡市 教育委員会


遺跡に行って見ます

この先です

いせき保護のための覆い屋が有ります

窯跡です

こちらの窯跡は三号窯跡です

こちらが煙突部分です

丘の上から南側を望みます

では、次へ行きましょう

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茨城県茨城町、宝古墳です!!

2015-02-12 08:16:13 | 遺跡・史跡
宝古墳は、茨城町役場の西約4km、北関東自動車道茨城西インターチェンジの南側にあります

県道16号線と県道59号線の交差点信号の直ぐ西側です



県道16号に入って直ぐ左に標柱が有ります、標柱の脇に駐車スペースがあります

標柱の立っている丘の上にありますので、道路の先から上がります

道を進むと墳丘が見えてきます

北側の周濠跡です

説明版が有ります、前方後方墳です

   町指定文化財
     宝塚古墳
    野曽台地の先端部にある宝塚古墳は、昭和60年5月に行われた発掘調査の結果、前方後方墳であることが
   判明した。全長39,3m各部分の寸法は図の通りであるが、前方部が長方形であるのに対し後方部は、ほぼ
   正方形に近い形をしている、また古墳の周囲には、5~7mの溝が確認された。
    県内では、宝塚古墳を含めて11の前方後方墳が報告されている、そのうち最も大きいのが玉造町の勅使
   古墳で全長64m、脚に小さいのは土浦市にある全長30mの田村船2号墳である、宝塚古墳は中規模の古
   墳と言えよう。
    築造年代は、いまから約1600年前の4世紀末から5世紀初めと考えられ、町内では一番古い古墳である
   その後、大和政権の影響を受けた前田地内の上の山古墳(前方後円墳)や、木部地内の諏訪神社古墳群(円墳
   群)が6世紀に入って築造された。
    確認された県内の前方後方墳の位置を見ると、それぞれの勢力圏15~20km四方に及んでいたと想像で
   きる。宝塚古墳は肥沃な涸沼川流域およびその周辺で生活していた人々の首長級の墳墓であったと考えられる
                                        茨城町教育委員会



墳丘の北側です

接合部です

前方部から墳丘北面です

墳丘に前方部から上がってみます

後方部です、頂上に埋葬施設が有ったのでしょうか

後方部より前方部を見ます

後方部から南西側周濠跡を見ます


南側の周濠です

直ぐ西側に石碑がありました

では、次へ行きましょう

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茨城県水戸市、河和田城跡です!!

2015-02-10 18:59:10 | 城跡・館跡・陣屋跡
河和田城跡は、水戸市役所の西約5kmの所

国道50号線バイパスと県道59号線の交差点川和田南信号の北に報佛寺が有ります

山門脇に駐車場があります

駐車場脇に土塁が残ります、駐車場は堀を埋めて作られている様です

報佛寺です

ここが嘗ての河和田城の跡です、石碑が有ります

報佛寺山門です

山門前の道路脇の堀跡です


山門を入ると土塁の上に鐘楼が有ります

唯円上人像でしょうか



保存樹の枝垂桜です

保存樹のツバキの大木です

本堂です


保存樹のクスノキです

水戸光圀公御手植の松だそうです


報仏寺の十字名号の石碑です

報仏寺から北にある天徳寺へ移動します

県道30号線沿いの土塁跡でしょうか

冠木門があります

土塁が有ります

こちらにも堀と土塁が残ります

山門(仁王門)です


鐘楼です

本堂です、本堂の裏側は河和田小学校です

山門の南側に入口が有ります

古い「不許軍酒入山門」門石碑です

では、次へ行きましょう
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茨城県水戸市、鯉渕城跡です!!

2015-02-10 06:05:08 | 城跡・館跡・陣屋跡
鯉渕城跡は、水戸市役所の西南西約8kmの常磐自動車道の東側

県道30号線と県道52号線の交差点付近にあったようですが

現在は遺構らしきものは無くなってしまっているようです

信号の北東側に鹿嶋神社があります、神社の駐車場を利用させて頂きました





鳥居です、東日本大震災で壊れたものを再建したようです

壊れた鳥居があります


拝殿です

本殿です

本殿には手の込んだ彫刻がみられます

鹿島神社の北側住宅地の西側に堀跡らしきものがあるようですが見つけられませんでした

では、次へ行きます


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茨城県笠間市、湯崎城跡です!!

2015-02-09 17:13:18 | 城跡・館跡・陣屋跡
湯崎城跡は、笠間市役所の南南東約5kmのところ

県道16号線の南側、涸沼川に面した段丘の上にあります

道路脇の湯崎城本廓入口の案内板です

入口には寺院が有ります

本廓入口です


入口の両側の土塁です、かなり削られているようです

湯崎城本廓跡の石碑です、入口左手の薮の中にあります

石碑の後ろ側には堀跡がありますが、藪に成っています

本廓入口の堀跡です

本廓内部です

本廓内は畑や資材置き場に成っています

では、次へ行きましょう
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茨城県笠間市、宍戸城跡です!!

2015-02-08 06:15:13 | 城跡・館跡・陣屋跡
宍戸城跡は、元の友部町市街地のほとんどを敷地としていたようですが、遺構のほとんどは残っていません

土塁が残っているのは、笠間市役所の西約1.5km

JR水戸線ししど駅の南東側直ぐの所に

笠間市の観光案内板、旧陣屋です

旧陣屋コミュニティーセンターの前です

史跡 宍戸城址土塁の案内板が有ります


土塁の上には、末廣稲荷神社が有ります

末廣稲荷神社の説明版です
   末廣稲荷神社
  鎮座地  友部町平町102-1(旧宍戸町)
  交 通  水戸線宍戸駅から0.3キロ
  祭 神  宇迦之御魂命
  祭 祀  初午祭 二月初午日 例祭 十一月二十三日
   由緒沿革
   創立天保十年、旧宍戸城主松平氏の崇敬社、明治維新で松平氏東京へ移住後は、もとの家臣が維持してきた、
  俗「子供稲荷神社」と云い、幼児の健康・成長神徳顕著で尊敬者が多い、昭和二十八年一月二十一日宗教法人
  設立、同四十五年十一月二十三日本殿・拝殿・鳥居・玉垣竣功、明治三十に年村上長兵衛氏寄進の神田の処分
  代金によった。
  神 木  けやきの古木あり
  施 設  本殿(西向)流造トタン葺、方1.5間、瑞垣ブロック造り、切妻造りコンクリート柱外壁なし。
       拝殿間口三間奥行二間六坪、石灯籠一対、手水石二基、神明鳥居一基(コンクリート造)幟立石(
       大正十一年十一月十五日)石段十八段、社号標、聖徳太子碑(昭和三年十一月十日)境内134坪
       境外所有地一反歩
  宮 司  福田宣清 責任役員 幾浦道弘 川上武男 荒川登
  総 代  荒川登 潮田庄吉 加藤重男 海老次順 幾浦道弘 川上武男 橋本新吾 川上昭 海老沢惇 荒
       木和裕
   倉稲魂命(うかのみたまのみこと)宇迦之御魂命、宇賀魂命=伊      二尊の御子とも、素戔御命の
  御子ともいう、
   衣食住、殊に食物を主宰し給う百穀の神、
                                       


南側の道路を東へ行きます


県道沿いに宍戸城表門が有ります

説明版です
   茨城県指定文化財
   旧宍戸城表門   一棟
    指定日 昭和五十一年匕月五日
    様 式 木造長屋門形式 瓦葺
    建 立 江戸時代安政五年(1858)再建
   桁行七間半、梁間二間半、入母屋造りのこの長屋門は、元水戸藩の連枝宍戸松平家の陣屋表門であったが
  明治初期の廃藩後、現在地に移築されたものである。 
   宍戸藩は江戸時代初期に秋田氏が入封したが、天保二年(1645)三春(福島県)に国替えとなり、そ
  の後藩領は、幕府・旗本の治める所となった。天和二年(1682)徳川光圀の弟頼雄をもって、宍戸松平
  藩初代とし、石高一万石であった。代々藩主は江戸詰の定府制であり、陣屋の建築は天明七年(1787)
  とあるが、天保十四年(1843)十一月焼失し、安政五年に再建された。
   門の構造形式は、向かって左手に居室を二部屋、右に物置を配した長屋門形式である、正面の冠木には、
  松平家の家紋が三個(桜材、黒漆塗、金箔押し)飾られている。県内の大名屋敷の門の中では長屋門形式の
  唯一の遺構として、茨城県指定文化財となった。
                                   笠間市教育委員会

では、次へ行きましょう
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茨城県笠間市、小原神社社叢です!!

2015-02-07 17:49:54 | 巨樹・大木
小原神社は、笠間市役所の北東約3kmの処です

小原城本丸跡の北東直ぐの所に有ります

境内には大きなケヤキや杉の木が有り笠間市の天然記念物に成っています




小原神社です



社殿の西側にケヤキ1号が有ります、昭和56年2月12日に友部町教育委員会により指定されています



ケヤキ2号です、北側道路脇に立っています



ケヤキ3号です、2号ケヤキの直ぐ東に立っています



昭和56年9月10日に指定されています、ケヤキより遅く指定に成りました

では、次へ行きましょう
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茨城県笠間市、小原城跡です!!

2015-02-06 07:00:44 | 城跡・館跡・陣屋跡
小原城跡は、笠間市役所(元の友部町)の北東約3kmの所

JR常磐線ともべ駅とうちはら駅との中間地点北側にあります

県道193号線の信号そばに小原神社があります、南へ進むと


道路右側に小原城本丸跡の標柱です、集会所の前に有ります

笠間市が設置している観光名所の看板もありますのですぐにわかります、小原館・古宿と成っています

本丸入口の鳥居です

鳥居の脇に説明版が有ります
  小原城本丸跡
   小原城は、宍戸城の北東部にあって、これを押える重要地点であった。
   築城年代は明らかではないが、里見氏が永享元年(1429)小原の地に領地を得、里見七郎義俊が
  文亀二年(1502)頃現在の館を中心に小原城(館)を形成し、周囲の坂場、和尚、橋場(木戸場)
  には、見張所を置いたと伝えられる。
   小原城本丸は、当時の面影を残す貴重な文化遺産である為昭和五十匕年六月十四日史跡第七号をもっ
  て、町指定文化財に指定された。                        友部町

史跡 小原城本郭跡の案内板です

神社の社です、社の後ろ側には土塁が残ります

北側土塁の切れ目が虎口の様に成っています

鍵型に残った東側の土塁です

北側の堀跡です

東側の堀跡です

本丸水堀跡の説明版です
 本丸水堀跡
  小原城跡は小原舘一帯の地がそれであるが、本丸跡である部分が史跡第七号をもって、
 町指定文化財に指定された。
  この土塁と水堀は城の本丸を囲むもので価値を有するものであるが、平成三年環境整備
 上やむなく水堀を埋め立てた。
  この水堀跡は、当時の面影をかろうじて残す貴重な文化遺産である。
                                  友部町


北側の住宅地の中にも遺構が残ります

北の住宅地に移動します



堀と土塁が残ります、綺麗に保存されているようです


では、次へ行きます
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茨城県那珂市、額田城跡です!!

2015-02-05 17:51:18 | 城跡・館跡・陣屋跡
額田城跡は、那珂市役所の北東約4kmの所

県道62号線と県道172号線の交差点の南東側に有ります

県道172号線沿いに阿弥陀寺が有ります

此の阿弥陀寺が、額田城跡への駐車場に成っています

阿弥陀寺の案愛版です

山門です

大きな桜の木です

本堂です

額田城の説明版です

額田城跡へ行きましょう

本丸南西側の堀跡へ下ります


大きな堀跡です

堀を渡ると土塁が有ります

案内板です


二重掘りに成っています

北へ進むと、本丸と二の丸の分れ道です、本丸へ行きましょう

虎口を登ります

本丸廓です

土塁が残っています

北側の二の丸側へ行ってみます

二の丸との間の空堀です

本丸の案内板です

本丸は東西二段に成っていたようです

本丸北東側虎口が有ります

本丸の切岸には窪みが何か所もあります

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本丸北東側虎口が有ります

堀底の様子です

堀底には一部水が湛えられています

二の丸南東側の入口です

二の丸へ行きましょう


二直丸に有る説明版です


二の丸です

二の丸の東端を外廓へ行きます


外廓との堀です

遊歩道を西へ行きます

大きな土塁を登ります

土塁の上です

左が二の丸、右が三の丸です

堀底から二の丸と外廓の間の堀を見ます

三の丸へ行きます


三の丸の中は畑や住宅地に成っています

三の丸と外廓の間の堀です

戻って、二の丸と三の丸のあいだの堀底を進みます

堀には折りが有ります

曲がっていますね

則の終点は土橋に成っています

先の堀の中では、城跡の清掃作業で枯れ枝などが燃やされています

二の丸の西側入り口を入ると、花壇が作られていました

三の丸側の道を通り、阿弥陀寺へ戻ります

額田城跡は大きな城郭だ田様です、県道172号線自体が堀の跡だったようです

では、次へ行きましょう







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茨城県那珂市、神室館跡です!!

2015-02-04 18:22:09 | 城跡・館跡・陣屋跡
神室館は、那珂市役所の、東北東約6kmの所

常磐自動車道が久慈川を渡る南側の直ぐ北側です


三島神社が有ります、舌状に北へ突き出した丘の上に有ります

西側の道路部分です、南へ延びています

久慈川を渡る常磐自動車道の高架橋です

南側に鳥居です

本木崎三島神社の説明版です

   当社の祭神は大山積命である
   創立年代は不明であるが古くは加納明神または加納の宮と呼ばれた。
   寿永年中、国司佐竹氏は当神社を祈願所と定め毎年流鏑馬祭をおこなった。
   天正年中、額田城主小野崎氏戦勝祈願し戦勝を得て社殿の修復した。
   元禄年中、水戸徳川氏二代藩主光圀公御神鏡一面を奉納した。
   那珂町本米崎の鎮守である。
   現在、神社の境内の椎の木は那珂町の文化財、天然記念物「椎の樹叢」として神域全体が指定されている
                                    (昭和四十九年匕月十五日指定)
   また、当社の社家は幕末の水戸浪士海後磋礒乃介宗親の生誕の地でもある
   磋礒之介は文政十一年(1828)父宗邦の四男として生まれたが二十歳の時、大志をいだき水戸に出て
   剣術、砲術を研究し、万延元年(1860)三月三日桜田門外の義挙に加わった十八人中の一人である。



天然記念物椎の木の樹叢です


鳥居の傍の椎の木です


土塁でしょうか

手水舎です

二の鳥居です

神楽殿です

拝殿です

本殿です

三島神社石碑です

.



境内社です

こちらにも境内社です

では、次へ行きましょう
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茨城県日立市、久慈城跡です!!

2015-02-03 07:19:38 | 城跡・館跡・陣屋跡
久慈城跡は、日立市役所の南約13km、日立市にの南の端

久慈川河口近くの独立丘陵上に有ります

城跡の直ぐ東には、日立港が広がっています

南下して来た国道245号線から日立港の南側の橋の手前信号を右に入ります

南側から道を上がると、大きな墓地(船戸山共同墓地)に成っています、駐車スペースは墓地の先です

車を置いて戻ってきます、墓地入口の所から東へ入る道路が有ります

道路の脇には、堀跡が認められます

丘の南端は住宅地になっています、道路や住宅地は腰廓の様に成っているようです

どうろ入口の所に戻ります、堀を越える土橋が有りました

虎口の様です

堀底から土塁を見上げます

南側の郭内部は薮で見通しが利きません

東側へ行きます

東側の切岸ですが見通せません

木の枝の間から日立港が見下ろせます

少し南へ入った所から久慈川河口方面が何とこ見る事が出来ます

戻って、墓地の北側に行って見ます

新しく造成中のぼりノ先の竹薮の中

土塁の様です


堀跡の様です

墓地のなかから、JR常磐線の久慈川鉄橋が見えました

墓地の北側に続く道路(車は通れません)です

墓地の部分も城の郭に成っていたのでしょうか、案内板などは有りませんでした

では、次へ行きましょう             2015.1.3

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茨城県日立市、天神山城跡です!!

2015-02-02 06:10:16 | 城跡・館跡・陣屋跡
天神山城跡は、大窪城跡の北西、愛宕山城跡の北側にあります

日立市役所の南南西約6kmの山の上です


駐車場の説明版です

愛宕山城跡から戻って標柱の処を天神山城跡へ向かいます

良い雰囲気の道路を歩きます

坂道を登って、愛宕神社の祠の切通を通ります

生伝寺墓地の上り口です、岡部統共同墓地となっています

墓地の一番上まで上がってきました


太平洋まで見渡せます、足元に正伝寺の御堂が見えます


東側足元には大久保城跡の竹藪が確認できます


墓地上の道の脇に、大きな横堀が確認できます

堀のきたの端です

林の中の道を登って行きます


登り切ると、大きな切通の道路の上に出ました

最上部を南に入ります

堀跡です

土橋に成っています


両側に堀跡が残ります

廓の土塁が虎口状に成っています


広い郭のようですが、木々のため見通しはききません

東へ下ると右手に土塁が残ります

更に林の中を下ります

大きな堀跡です

林の中なので、下草が少なく良い状態です

更に林の中を進みます

土塁が残ります

これも土塁でしょうか

土塁の脇を通ると、虎口の様です

山道が曲がりくねっています


墓地上の堀跡まで戻ってきました

土橋を渡ると、もうすぐ出口です

墓地脇に出ました、この注意看板の直ぐ上左側林の中の墓地入口が城跡への下側入口に成っています

墓地したの道を下って、大窪城跡の脇を通って、駐車場へ戻ります

では、次へ行きましょう
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茨城県日立市、愛宕山城跡です!!

2015-02-01 07:35:07 | 城跡・館跡・陣屋跡
愛宕山城跡は、大窪城跡の西側に迫る舌状の尾根に造られていました

日立市役所の南南西約6km、JR常磐線ひたちたが駅の西約2kmです


大久保城跡への駐車場から西へ県道61号線を進むと

標柱が有ります、まだ480mある様です

川の西側が城跡です、川は外堀のようなものだったのでしょうか


県道から右に入ると、多賀配水場の入口が有ります

登って行くと、配水場が有ります

上から見た配水場です

更に先へ進みます

更に先にも配水場の施設が有ります

手前を右の旧道へ入って行きます

進んでいくと

左手の切岸の上に配水場のフェンスが見えます



配水施設の上側に虎口が有るようです、フェンスで降りていくことはできません

フェンス脇の切岸です

旧道も堀跡の様です

右は郭の切岸に成っています


切岸の緩い所を登って行くと


廓内には丸い古墳?が三か所に有ります

二つの古墳が一つに成っているのか、大きめの古墳が土塁の様です


折れのある堀跡が有ります


奥にも堀跡が有ります

廓の中は平坦になっている様です

廓はこのあたりで終わりの様です

先は藪が濃く成っています


行くのを諦めて戻ります

次は、天神山城跡です

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