ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

静岡県静岡市駿河区、東新田「須賀神社のクスノキ」です!!

2022-01-19 06:31:52 | 巨樹・大木
東新田地区は、駿河区役所の西南西約4kmのところ

丸子池田線を西へ、安部川を静岡大橋で右岸側に渡ります

間も無く道路に面して須賀神社参道が出ています

神社北側の道路脇に車を止めさせて頂きました


参道入口です

須賀神社です

古い庚申塔が有ります

二の鳥居です

手水舎です

拝殿です

本殿です

(御祭神は牛頭天王と須佐之男命だそうです)

本殿西側の境内社です


拝殿東側に境内社の稲荷社です

目的のクスノキは稲荷社の更に東側に在ります

東側から、上の方の枝は境内外に出ないように切られています

北東側から、目通り幹囲5.1mの巨木です

では、次へ行きましょう
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静岡県静岡市するが葵区、音羽町「家康公下乗の松と清水寺のクスノキ・清水公園のスダジイ」です!!

2022-01-18 06:25:06 | 巨樹・大木
 音羽町は、静岡市役所の東約1kmのところ

 静岡鉄道おとわちょう駅の東側に清水寺が有ります

 参道入口の駐車スペース二に車を止めさせて頂きました


参道入口です

高野山真言宗 音羽山 清水寺です


参道入口手前の右手に「徳川家康公 下乗の松」です

説明版です
  清水寺(音羽山清水寺)
 この寺は、永禄2年(1559年)今川氏第8代氏輝の遺命を受けて、家臣朝日奈丹波守元長が創建した真言宗の寺である。
 本尊は、千手観世音菩薩であり、寺の名前は開山第一世の道因大僧正が、京都清水寺から招かれて入寺

手水舎です

正面に御堂です

左手に多宝塔です

参道左手に芭蕉の句碑です

参道右手に新しい六角堂です

立派な鐘楼です

本堂です

本堂の右手山の斜面にクスノキの大木が見えました

清水山公園、谷津山ハイキングコースの案内板です

公園に滝です

水車ですが動いていません

滝の上側への石段脇にスダジイの大木です

滝の上の舞台から市内を見下ろしました

公園の北隅にラジオ塔です
 ラジオの普及を目的に、NHKが全国に設置した文化的な遺産の一つ。
 当時はラジオ体操、戦況報告、玉音放送、音楽番組等が流され多くの市民に利用されました。
 「JOPK]は、NHK静岡放送局ラジオ第一放送のコールサイン。
 昭和8年建設

では、次へ行きましょう
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静岡県静岡市駿河区、聖一色「浅間神社のスダジイ」です!!

2022-01-17 06:32:28 | 巨樹・大木
 聖一色地区は、駿河区役所の北東約4kmのところ

 市道SBS通りを東へ道なりに進むみ県道74号山脇大谷線を左(北)へ

 東豊田小西信号を右(東)へ池田街道に入ります

 静岡南警察署東豊田交番から二つ目の十字路を右(南)へ

 道なりに進み三叉路を左へ左へと進むと間も無く坂道を上る様になると左手に浅間神社が鎮座します
 
 参道鳥居と社號標が立ちますが、南東側からの参道です

 坂を登り切った社殿脇境内に車を止めさせて頂きました


南側の参道入口です

鳥居です

鳥居前左手のクスノキの大木です


鳥居を潜った右手のスダジイの大木です

参道を進みます、左手の境内にはスギの切株が並びます

二の鳥居です

手水舎です

保存樹林標識です、指定番号 駿 第7号・モチ、シイ、スギが登録になっています

拝殿です


本殿です

本殿東側の境内社です

本殿西側の境内社です

拝殿前のクロガネモチです

クロガネモチの切株です、元は御神木だったようです、目通り幹囲3.86mの大木でした

拝殿前のモミノキです

境内東側の切株の山です

境内北東端のスダジイの巨木です


東側の道路から

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静岡県静岡市清水区、中之郷「熊野神社の神木楠」(市指定)です!!

2022-01-16 07:51:54 | 巨樹・大木
中之郷地区は、清水区役所の西南青約6kmのところ

県道407号静岡草薙清水線を西へ道なりに進みます

草薙駅前信号を右へ静鉄の踏切りを越えてJR東海道本線くさなぎ駅前の信号を左(西)へ

県道201号平山草薙停車場線です、県道沿い北側に熊野神社が鎮座します

東海道本線の線路沿いの北側の熊野公園脇に車を止めさせて頂きました


境内南側に参道入口です

熊野神社です


説明版です
  中之郷 熊野神社
 熊野神社は始めは巴川沿いの字長沢に在ったが寛政4年(1792)樹齢700年の楠の植えられていた字宮根添と呼ばれる現在の所へ遷座された。
  熊野三社権現
 中之郷 熊野神社は、熊野三社権現が祀られている。熊野三社とは、熊野本宮大社(場所・本宮)熊野速玉大社(場所・新宮)熊野那智大社(場所・那智)を指す。
 祭神 伊邪那岐大神 速玉之男神 事解之男神
 御神体 白石2個 黒石2個
 祭日 10月17日
 御神木 楠 樹齢 900年
  宮根稲荷
 祭神 正一位稲荷大神璽(伏見稲荷系)
 祭典 2月第1日曜日
  薬師堂
 薬師堂は鳳林寺の所有である。鳳林寺はかつてこの地にあったが、安永2(1773)年、薬師堂を残し現在の地に移転した。
  薬師瑠璃光如来(舟薬師如来)
 元文4(1729)年造立。
 新駿河一国十二薬師第八番札所。未の歳を司る薬師如来とされる。
 祭典 毎月8日
  閻魔大王
 東海道沿いの閻王寺の本尊であったが、明治10(1877)年廃寺となり鳳林寺に遷座された。昭和53(1978)年薬師堂に遷座され現在に至っている。
 祭典 毎月16日
 平成25年吉日
  有度ふるさと研究会
  有度まちづくり推進委員会


境内西端に南向きに薬師堂です

案内版です


境内に入って右に曲がる形で西南西向きの鳥居です


手水舎です

正面に拝殿です

本殿です

拝殿前左手のスダジイの古木です

本殿の右手(南側)に目的のクスノキです

案内板です
 天然記念物
   楠
清水市指定文化財
 熊野神社神木
 樹齢 900年
 樹高 25m
 目通り 7m
 根廻り18m
 枝張り25m
昭和44年7月指定

御神木指定証です、薄くなってしまってほとんど真っ白です

南側から

南東側から見上げました


境内南側の宮根稲荷です

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静岡県静岡市清水区、村松「龍華寺の大蘇鉄と大千人掌」(国・市指定)です!!

2022-01-15 02:24:55 | 巨樹・大木
村松地区は、清水区役所の南約4kmのところ

国道149号線を南へ、巴川を渡ると国道150号線に変わります

間も無く清開三丁目信号を右(西)へ、あじさい通りです

道なりに西進すると県道198号の龍華寺信号です、正面に東向き山門の龍華寺です

山門手前左に広い駐車場が有ります



参道から山門です

龍華寺です

境内案内図です

拝観案内です
  拝観御案内
 当山は寛文10年(江戸時代初期1670年)日近大僧都の開いた日蓮宗の寺であります。
 富士山の眺望の素晴らしさで親しまれ、第113代東山天皇は当山を観富士龍華寺と御命名になられました。
 東海屈指の名庭園と謳われる、観富園・天然記念物大蘇鉄・大仙人掌・明治の文豪高樗牛の墓等是非ご参拝ください。
   境内案内
 1、大蘇鉄  国指定天然記念物
 1、大仙人掌 市指定天然記念物
 1、観富園  市指定名勝
 1、本堂   市指定名勝 祖師堂
 1、睡蓮・蓮・つつじの名園・古松の名園
 1、家康公側室養珠院お万の方の遺品
 1、高山樗牛の墓所 樗牛館(当山宝物館)
   観富山 龍華寺

拝観料を払って境内へ入りました(パンフレットと使い捨てカイロをもらいました、後で使い捨てカイロには助けられましたよ)

手水舎です

厄除不動明王を祀る不動明王堂です

説明版です


ソテツの樹冠が見えています

祖師堂です

本堂です、本堂は茅葺屋根ですね


富士山が良く見えました

樗牛の説明です

ソテツの大木です

サボテンです、市指定天然記念物の大仙人掌はこのサボテンの事です

説明版です
  大仙人掌(だいさぼてん)
 市指定の天然記念物
   昭和37年9月17日
 伝説では、上海の龍華寺から移植したといわれ、樹齢は三百年以上と思われます。
 サボテンは木ではなく多年草ですが、長い年月を経て根元は既に木質化しています。
 開山当時(江戸時代初期)我が国でサボテンの栽培が盛んになり、寒さに弱く多くの種類は枯渇しました。
 現在では寒さに強いウチワサボテンの類が温暖の地である駿河に残っています。
 当山のサボテンは大きな刀の様子をしている事から、大宝剣という呼称があります。




目的のソテツです、北西側から


南側から、背が低いソテツです

説明版です
  龍華寺の蘇鉄
 国指定天然記念物
   大正13年12月9日国指定
 根際から数本の太い枝に分れ、更に枝が密に絡み合いながら四方に広がっている。
 ソテツは雌雄異株の植物で、龍華寺のソテツは雄株である。
 紀伊頼信、水戸頼房二郷の寄進により、当山開山当時中国より移植せるものと伝えられる。


古い案内板です、根回り6m、枝58本、推定年代千百年だそうです



幹を近付いて見ました

南東側の幹です

北東側から


説明版にあった名勝の観富園です


亀松ですね


黒松が何本も有って鶴松がどれだかわかりませんでした


入口入ってすぐに見えていたソテツの樹冠はこちらのソテツでした


石段の上に真柏です


下側から見上げました

樹齢800年のパワースポットです

上側から、真柏らしい表皮の剥がれや枯枝が見られました

石段の上に七面堂ですが、石段は危険な為通行止めになっています

真柏の脇から昇って来ました、説明版です

すぐ南側の恋塚です、樗牛の名作歴史小説である「滝口入道」の供養塔だそうです

七面堂の北側に樗牛の墓が有ります

墓の前から祖師堂の屋根越しに富士山を見ました、龍華寺の墓地は冨士山のビュウ―ポイントと言ってよいでしょう

では、次へ行きましょう
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静岡県静岡市清水区、桜橋町「文殊稲荷神社の大樟」(市指定)です!!

2022-01-14 06:26:59 | 巨樹・大木
 桜橋町は、清水区役所の西南西約1kmの市街地です
 
 県道197号線の桜町信号の北側でJR東海道本線と静岡鉄道を越えた押しボタン信号を西へ入ると

 間も無く左(南)側に北向き参道で文殊稲荷神社が鎮座します

 参道を入った鳥居前に車を止めさせて頂きました

 境内にはクスノキの大木が沢山在ります、取材日には境内でゲートボールを楽しむ人達の邪魔にならないように撮影するのに苦労しましたよ



参道入口です

鳥居です

村社 稲荷神社です

説明版です
 御祭神 宇気毋智命
  文殊稲荷神社
由緒
 戦国時代武田勝頼の家臣穴山梅雪が江尻城の主であった頃、天守に文殊を安置した。
 其の後、江尻城が廃城となり、其の際、現在の場所に文殊を遷したと伝えられる。
 以後、徳川家及び近郷の入江家が文殊稲荷神社として尊崇する事厚かったと謂われる。
配祀
 思兼命
 崇徳天皇
 大己命


水盤です、富士山の形を連想させられますね

保存樹木標識がありますが側にクスノキはありません

拝殿ですが、逆光でダメですね

本殿です


目的のクスノキは拝殿西側境内端に在ります(東側から)

天然記念物標柱です

説明版です
  静岡市天然記念物 文殊稲荷神社 大樟
 「稲荷神社」は、大正2年刊行の「静岡縣安倍郡誌」に記載されているが、神社の森や大樟については、文献に垣間見ることができない。
 茶畑の中に林立する大樟は,江戸時代nい東海道を往来した人々の目を引くものであり,これまで地域の人々に大切に育てられてきた。
 樹高は、30.5m、目通り径は6mを測る。(径とは真直ぐの意味なので、正しくは目通り周囲ですね)
  平成18年3月31日
   静岡市教育委員会
   文殊稲荷神社


南側から見上げました

では、境内の木々を見て行きましょう

境内北西側のケヤキの大木です、後ろの建物は桜橋町自治会館です

拝殿右(西)側のクスノキを大樟の前から見ました(西側から)手前には若いケヤキです


境内左側拝殿前のクスノキを西側の拝殿前から見ました


境内北東端のクスノキです(拝殿脇から)

本殿左(東)側のクスノキです、4本のクスノキが見えています

境内南東端のクスノキです


参道右側に境内社の愛宕神社です

説明版です
  愛宕神社の由来
 愛宕神社はその昔、王城鎮護の神として洛西(京都市右京区)愛宕山頂に総本山が有り、全国に分散祭祀されている。
 この近くであh静岡市沓谷に徳川家康が駿府城の鬼門除けとして祭祀された愛宕神社は有名である。祭神は火之迦具突智命である。
 この社はそこから分霊されたものと推定されるが、残念ながら日時等は定かでない。
 よって祭神は火の神でありお祈り下されば火についての安全は保障される。
 又、辰年、巳年の守り神でもある。
  平成12年  弥生
    文殊稲荷神社 氏子会

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静岡県静岡市清水区、山原「関田神社のクスノキ」(保存樹木)です!!

2022-01-13 06:26:14 | 巨樹・大木
 山原地区は、清水区役所の北西約3kmのところ

 県道407号線を西へ入江岡町信号を右(北)へ県道75号線に変わります

 巴川を渡って小芝神社信号を左(西)へ道なりに北西hに進み

 東海道新幹線の下を潜って変形十字路のような時差式信号の所を通り

 国道1号静清バイパスの高架を過ぎて山が近くに見えてくると

 東名高速の高架を潜って次の信号を左(西)へ間もなく右手に関田神社が鎮座します

 鳥居前に車を止めさせて頂きました(鳥居周りは月極め駐車場になっています)

参道入口です

水盤でっすね


説明版です
  関田神社
 鎮座地 清水市山原343番地
 祭神 大山祗命
    木花開耶姫命
 創建 不詳
 祭礼 1月 元旦祭
    2月 祈念祭
    6月 大祓
   10月 大祭
由緒
 創建は、はっきりしていませんが、今から千年以上前に建てられたといわれています。
 創建当時は、山の上にあり、その後、現在の場所に移され、飯田地区で最も古く、由緒ある神社として、明治8年、村社の上にたつ郷社になりました。
 また、附近の山中より、曲玉、土器、刀剣の破片が発掘されたと伝えられています。
 境内にある二本の「クスの木」は、樹齢推定550年と500年の老木で、清水市の保存樹木に指定されています。
 祭神の大山祗命は、伊邪岐命の子で「山の神・水の神・田の神」として信仰を集め、木花開耶姫命は、大山祗命の娘で、「子孫繁栄・実りの神」であり、二神とも狩猟や農耕で生活をいとなむ人々に深く信仰され毎年秋には収穫に感謝する祭礼が行なわれています。
  平成10年(1998)10月吉日
    関田神社氏子総代 




拝殿です

本殿覆い屋です

本殿西側の目的のクスノキです

南側から

東側から目通り幹囲7.0mの巨木です

保存樹木標識です
 指定番号 清 第17号、指定年月日 平成28年3月3日です

北側から

拝殿の右に説明版に有ったもう一本のクスノキです

保存樹木標識です
 指定番号 清 第18号です

東側から、まだ若いようですが樹齢推定500年のようです

北側から見上げました


本殿東側の水神宮です

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静岡県静岡市清水区吉原「みかん」(市指定)です!!

2022-01-12 06:25:14 | 文化財・寺社
吉原地区は、清水区役所の北北西約7kmのところ

東名高速清水インターチェンジと清水ジャンクションの間の

県道75号清水富士宮線を北へ庵原川沿いを進みます

新清水ジャンクションが近づいて庵原川を左岸側に渡って吉原・和田島方面へ

ジャンクション間の道路を見上げながら進むとトンネルを貫けて間もなく下りになります

登って来た道路から右の道路に下って十字路を左にジャンクションの真下を西側の山の斜面へ登って行きます

また県道75号線に合流します、目印は善原寺です

県道を進み橋を渡るところで左へ(橋の案内板には善原寺は橋を渡って右へ進むように書かれています)

道なりに高度を上げて行くと


善原寺山門です

山門の手前を左へ間もなく左下側に「みかんの古木」が在ります(説明版が先に目に飛び込んで来くるのですが・・・)

少し先に進んでみかん畑の車を方向転換するような広場に車を止めさせて頂きました


説明版です
  静岡市指定天然記念物
    みかん
  指定年月日 昭和53年8月24日
 文久2年(1862年)実生の紀州みかんを、明治5年(1872年)に村上良八が定植した台木に、明治43年(1910年)に、温州みかんを接ぎ木した珍しいものである。
 接ぎ木した温州みかんは枯れてしまい、中心部分の紀州みかんが残る。
 地元では神聖な木として大切にされている。
  静岡市

下の道路に下って来ました


幹は二つに割れた様になっています 


石碑です「神木」となっています


下側左から


横から


車を止めた所から見ました

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静岡県静岡市清水区、由比入山(船場)「由比入山摩利支天堂のタブノキ」(市指定)です!!

2022-01-11 06:34:11 | 巨樹・大木
 由比入山船場地区は、清水区役所の北東約16kmのところ

 国道1号線静清バイパスを東へ、富士由比バイパスとなって由比宿手前でバイパスを下ります

 県道396号富士由比線を進んで由比宿東の由比川を越えるとすぐの入山入口信号を左(北)へ

 県道76号富士富士宮由比線です、由比川に沿って坂道を上って行きます

 静岡市立由比北小学校を過ぎて由比川を渡り返すと間も無く船場入口、摩利支尊天への庵相番が有ります

 県道脇に車を止めさせて頂きました(朝早くだったので、日が昇る時間も加味して約1kmを歩いて行くことにしました)


県道からの船場入口です、摩利支尊天まで約1kmの表示が有ります

右手の壁に静清庵自然遊歩道の案内板が有ります、これに従って行きましょう


此処は右ですね(摩利支尊天まで約300m)の表示が有ります


船場会館(自治会館)前は左です



まもなく静清庵自然遊歩道とここで分かれます

正面に大きな樹冠が見えています

幟の支柱に「摩利支尊天」」の文字が確認出来ました

道路から一段下がって摩利支尊天の境内です

参道からタブノキを見上げました

市指定天然記念物の標柱です
 樹高約25m、枝張り約25m(南北)、約25m(東西)幹周5.2m 指定年月日平成21年4月30日

鳥居です

手水舎です

拝殿です

本殿です

拝殿前から見ました

本殿脇から

境内から出て上側の道路から幹を見上げました

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静岡県清水区、由比町屋原「豊積神社の大イチョウとクスノキ」(市指定)です!!

2022-01-10 06:26:01 | 巨樹・大木
 由比町屋原地区は、清水区役所の北東約12kmのところ

 国道1号線静清バイパスを東へ、富士由比バイパスとなって由比宿手前でバイパスを下ります

 県道396号富士由比線を進んで由比宿の中ほどに由比町屋原歩道橋が有ります

 右手(南側)に駿河二宮豊積神社が鎮座します

 手前の道路を下って鳥居脇の境内作業道路入口に車を止めさせて頂きました
 
 (参道は南側旧東海道から延びています)

参道から境内入口です(写真左の道路を下って来て、写真の右側に車を止めさせて頂きました)

鳥居です

豊積神社です

由来記です
  豊積神社由来
 延喜式神名帳に「駿河国廬原(いまはら)郡豊積社」とあり、ここの地を町屋原と称するは、古代において物々交換の市場が営まれたところで、社伝によれば第四十代天武天皇の白鳳年間ここに五穀の神「豊受姫」を祀る豊積神社が創建されたと伝えている。
 平安時代に入り木花開耶姫を祀る浅間信仰が広く流布され、延暦十年(791)神主の夢想神託により木花開耶姫を祭神とし、豊受姫は稲荷社として境内社に遷宮された。
 延暦十六年、坂上田村麿が東征の途上、豊積神社に戦勝を祈願し、その帰路戦捷報告に立寄つたのが旧正月一日とあって、ここに戦勝祝賀に宴が盛大に摧され、大太鼓くり出し三日三晩夜を徹して町内をねり歩いた、これが今に伝えられるお太鼓祭りの起源とされている。
  平成14年12月
   由比町教育委員会
   由比町文化財保護審議会
 (由比町は2008年11月1日に静岡市に編入合併しました)

井戸と手水舎です


境内参道右手に目的の大イチョウです

市指定天然記念物標柱です「大イチョウ(雄木)」と表記されています(標柱は由比町教育委員会が建てたものですね)

西側参道から、目通り幹囲9.1mの巨木です

御神木認定証がヒコバエの中にありました

南側から

東側から

北東側から



お太鼓祭りの紀念碑です

大イチョウの反対側参道西側にはクスノキの大木です(目的のクスノキとは違います)

西側の道路から見上げました


拝殿です

文化財の表示です


本殿です

本殿説明版です

本殿に向って左の境内社です

右側の祠です

本殿裏側から先に白髭神社が在ります

白髭神社への参道の右手にもクスノキの大木です

白髭神社社殿です

案内板です、猿田彦神が祀られています

白髭神社の後側に、二本目の目的のクスノキです(南東側から)

北東側から

北側から、目通り幹囲6.0mの巨木です

西側から

天然記念物 樟(くす)の標柱です

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埼玉県さいたま市、大宮区高鼻町「明治天皇氷川神社行幸絵巻」について!!

2022-01-09 06:24:42 | 文化財・寺社
 氷川神社境内を見て回って、氷川神社社務所前に戻って来ました

 気になっていた、参道西側の明治天皇が氷川神社に行幸された時の様子を描いた巻物の説明版を見て行きましょう


全体を見る事はできませんので、右側から見て行きましょう



一番右側です、まだまだ丁髷の8名に菅笠12名の二本差し、そして洋装の人物その後ろに、鉄砲を担いだ人達です
  明治天皇と氷川神社御親祭
 明治天皇は嘉永5年(1852)9月22日(新暦11月3日)に、孝明天王の皇子として御誕生になりました。
 慶応3年(1867)1月9日践祚の儀が行なわれ、慶応4年(1868)8月27日、百二十二代天皇の即位の大礼が行なわれ、翌月元号が「慶応」から「明治」に改められました。
 同年9月20日に天皇は東京行幸(東幸)に京都を御出発なさり、10月13日江戸城に御着輦になり、新たに東京が都に定められました。10月17日、当氷川神社を当国の鎮守・勅祭の社と定める勅書を賜りました。

勅書は漢文ですね~読めません

続きです、鉄砲を担いだ人物が続きます
 東京御着輦からわずか半月後の10月28日には氷川神社に御親祭(御自ら祭祀を御奉仕する)あらせられました。御東幸後、直ちに氷川神社御親祭が仰せ出だされたことは、「神祇を尊び祭祀を重んずることが皇国の大典であり、政教の基本である」という事、この近代日本の国づくりの大方針を明治天皇御自から氷川神社より全国へお示しなされたものです。
 明治3年11月1日には再度の御親祭、明治11年8月31日には三度目の行幸あらせられました。御親祭以後、例祭には勅使参向の上、東遊の御奉納が永例として今日まで続いております。この間、明治4年5月14日に氷川神社は官幣大社に列格されました。
 明治の御代になり、それまで鎌倉・室町・江戸と七百年近く続いた武家政治から日本は一大転換期を迎え。明治天皇は国内的にも国際的にも舵取りの難しい時代に、日本の近代化を導かれました。
 王政復古の大号令が発せられ、改革の精神は初代神武天皇の建国の精神に定められました。五箇条の御誓文を布告され、御自から新国家建設の指針を天神地祇に誓われました。明治5年から18年にかけて天皇は日本全国を六度に分けて御巡幸なさり、その先々で孝子節婦の顕彰が行なわれ、高齢者および災害による生活困窮者に対する御下賜金が施されました。

続いて、鉄砲隊に囲まれて天皇旗です
 明治22年には大日本帝国憲法が発布されて明治維新の総仕上げとなりました。明治23年には教育勅語が発布されました。これは、我国の道徳の基が悠久の歴史の中にあると説き起こし、父子・兄弟・夫婦・友人間の人倫、謙遜、博愛、修学、遵法、義勇、奉公などの教えを示し、御自ら国民とともに実践しようとする念願で結ばれています。
 明治27年には日清戦役が、明治37年には日露戦役が勃発し、この未曽有の国難を乗り越えられました。
 明治45年7月初旬、俄に御体調を崩され、全国民の祈りも空しく、7月30日天皇は御年59歳で崩御あそばされました。
 明治天皇の御聖徳をお慕いして神宮創建を望む全国民の声が沸々と湧き上がり、大正4年6月には明治神宮奉賛会が発足し造営事業が始まり、大正9年(1920)11月1日明治神宮が創建されました。

続いて、鼓笛隊そして馬上の人物は西郷隆盛でしょうか
 「氷川神社行幸絵巻」
 氷川神社行幸絵巻は川越氷川神社の祠官山田衛居が画いたもので幅37.5cm、長さ13.7mに及ぶ絹本着色の絵巻で、明治天皇行幸の御列が兵隊あり與丁あり公達あり、その服装も洋服・衣冠・直垂等さまざまで時代の色を示しており、歴史的・風俗的・儀典的に意義が認められ、昭和39年埼玉県指定文化財となりました。
 この行列は10月27日に皇居をご出発、28日に氷川神社に御到着したものですが、その距離は1kmに及んだと言われ、衛居は筆と障子紙を手に御列をつぶさに見学、御列と共に歩きながらスケッチしました。
 冠をかぶる狩衣の20人に担がれた鳳輦を中心に、前後に衣冠装束の6人の騎馬重臣たちや、長烏帽子に狩衣、編笠に羽織袴の俱奉の人々がびっしりと並び、大久保利通、中山忠能、西郷隆盛、植松雅言、徳大寺実則の重臣が御列に加わり、その前後に天皇旗と第一大隊旗たてた近衛砲隊と鼓笛隊を配し、総勢540人を越える壮観さでした。
 当日は二十里(約79km)四方から数万人の参拝者があり、その有様は筆舌に尽くし難いと言われました。


続いて、赤い衣冠の人物の騎馬2頭、周りは和装の人物、カバーの付いた長物は槍でしょうか

 氷川神社行幸絵巻の作者である山田衛居は嘉永2年(1849)9月15日、北足立郡木崎村(現さいたま市)の石田彦兵衛の長男として生まれ、名は致隆といいました、幼い時から書画を好み、大熊渓雲に付いて和漢学と絵画を学んだのち、江戸で菊地容斎に歴史画を学びました。
 明治2年(1869)6月川越町氷川神社祠官山田家の婿養子となり名を山田衛居と改め、二年後同社の社司となりました。
 「氷川神社行幸絵巻」の製作については左記のような経緯をたどりました。
 明治元年10月28日、衛居は筆と障子紙を手に御列をつぶさに見学し、共に歩きながらその様子をスケッチしました。このスケッチをもとに明治2年、「原本」(紙本着色・長さ395cm)を製作、次いで明治22年武蔵一宮氷川神社の依頼により「下絵」(紙本部分着色・長さ1260cm)を製作、その71日後「氷川神社行幸絵巻」(絹本着色・長さ1370cm)を完成しました。
 そして明治26年、43歳の時に「氷川神社行幸絵巻」を武蔵一宮氷川神社に献納しました。

続いて、烏帽子の人物と衣冠の二人の人物の騎馬です
  敷島の道
 敷島の道とは、五七五七七の31文字を定型とする和歌・短歌のことを指します。敷島とは日本国の別称であり、和歌こそが日本人の心を表すものとも言えます。
 和歌の原始をたどると、氷川神社の御祭神須佐之男命が詠じた
   八雲たつ いづもやへがきつまごみに 八重垣つくる そのやえがきを
 に求められると言われております。これに因んで氷川神社では毎月15日に、神職がその月ごとの兼題により和歌を献ずる献詠祭を執り行っています。
 明治天皇はその生涯に約10万首という厖大な数の和歌をお詠みになられました。これは和歌を詠むことが伝統となっている歴代天皇の中でも特筆に値いするものです。この厖大な数の明治天皇御製から12首を左に掲示させて頂きますので、ぜひとも明治天皇の大御心を深く御理解いただければ幸いです。


続いて、明治天皇の乗った輿が大勢の人々に担がれて進みます

   1月
 さしのぼる 朝日のごとく さはやかに もたまほしきは こころなりけり
 *空高く昇ってゆく朝日のように、いつもすがすがしく明るくさわやかな心を、持ちたいものである。(明治42年)

続くのは籠ですが二人で担いでいますので中に人は載っていないようです
二月と三月です
   2月
 国民も つねにこころを あらはなむ みもすそ川の 清き流に
 *国民も常に心を洗い清めてほしいものだ。神の官居のそばを流れる、みもすそ川(伊勢、五十鈴川の別称)の清らかな流れに身を灌いで。(明治42年)
   3月
 目に見えぬ 神にむかひて はぢざるは 人の心の まことなりけり
 *目に見ることのできない神に向かい、少しも恥ずかしくない清らかな正しい心境というものは、誠の心で、それはわれわれにとって最も貴いものである。(明治40年)

続いて、荷物を持った人々に空荷の馬が2頭です
四月と五月です
   4月
 いはがねの うごかざりけり ひとすぢに おもひかためし 人のこころは
 *大地に根をおろした巌のように固く動かないものだなあ。、ただ一筋に堅固に思いかためた、人の心というものは。(明治45年)
   5月
 天てらす 神の御光 ありてこそ わが日の本は くもらざりけり
 *天照大御神の御光があるからこそ、わが日本国の威光は決して曇ることがあいのである。(明治43年)

次に続くのは、衣冠の人物が4名など
六月と七月です
   6月
 いかならむ 事にあひても たわまぬは わがしきしまの 大和だましい
 *どんな困難障害に際会してもひるまないのが、わが日本の国の人々が持つ大和だましいというものである。(明治37年)
   七月
 めにみえぬ 神のこころに かよふこそ 人の心の まことなりけり
 *目には見えないが、われわれの心の内に確かにいらっしゃる神の御心にかようことが、人の心のまことというものである。(明治40年)

また和装の人物達に続いて鉄砲隊です
八月と九月です
   8月
 万代の 国のしづめと 大空に あふぐは富士の たかねなりけり
 *永遠にゆらぎない国の栄の象徴として、いつも大空にあおぐは富士山のあの気高いすがたである。(明治41年) 
   9月
 神がきに 朝まゐりして いのるかな 国と民との やすらかなむ世を
 *神域に朝参拝してお祈りすることだ。日本の国が栄え、国民が安らかに暮らせる世の中であるようにと。(明治37年)

また鉄砲隊の後に横笛の人物が続きます
十月と十一月です
   10月
 榊葉を かけし鏡を かがみにて 人もこころを みがけとぞ思う
 *神前の真榊の枝にかける鏡を心の鑑として、己が姿をうつし、人間も神にあやかって、各自の心をみがくがよい。(明治37年) 
   11月
 わがくには 神のすゑなり 神まつる 昔のてぶり わするなよゆめ
 *わが国は神の後裔である。神を祭るという昔からのならわしを、決しておろそかにしてはいけない。(明治43年)

太鼓の後にはまた鉄砲隊が続きます
十二月と年表です
   12月
 ちはやふる 神をまつりて こともなく くれゆく年を いはひけるかな 
 *はげしい霊威をお持ちになった神をお祭り申して、何のさわりもなく静かに暮れてゆく年の幸いを、心つつしんで祈ることである(明治35年)

最後も鉄砲隊が大勢続きます

年表の続きでした

絵巻としてよく書かれていますね

では、次へ行きましょう
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埼玉県さいたま市、大宮区高鼻町「大宮氷川神社」(重要文化財)です!!

2022-01-08 06:25:10 | 文化財・寺社
 2021年12月22日に早詣での為大宮氷川神社へ行って来ました

 つづきです

 氷川神社参道を、一の鳥居から歩いて来ました


三の鳥居です、境内入口に成ります

大宮二十景・②悠久の神域・氷川神社案内標柱です

鳥居手前左の境内案内版です
武蔵一宮 氷川神社
  鎮座地 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町
  御祭神 須佐之男命
      稲田姫命
      大己貴命
  例祭日 8月1日
  社殿  銅板葺流造
  境内  約3万坪
  由緒
 氷川神社は今から凡そ2千有余年前、第5代孝昭天皇の御代3年4月末の日の御創立と伝えられます。当神社は、歴朝の御崇敬・武将の尊崇も篤く、景行天皇の御代日本武尊は東夷鎮定の祈願をなされ、成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命により武蔵国造となって氷川神社を専ら奉崇し、善政を布かれてから益々神威輝き、聖武天皇の御代には武蔵一宮と定められました。醍醐天皇の御代に制定された延喜式神名帳には名神大社として、月次新嘗案上の官幣に預り又臨時祭にも奉幣に預っております。
 武家時代になってからは鎌倉、足利、徳川の各将軍家等相継いで尊仰し、奉行に命じて社殿を造営し社領を寄進する等、祭祀も厳重に行われておりました。
 明治元年には明治天皇が氷川神社を武蔵国の鎮守・勅祭の社と御定めになり、当社に行幸、御親ら祭儀執り行われ、同3年にも再び御親祭されました。明治4年には官幣大社に列せられ、同11年には明治天皇が三度目の行幸、御親拝をされ、大正10年には大正天皇御親拝されました。
 昭和9年には昭和天皇が御親拝、同38年今上陛下が皇太子時に御参拝され、同42年には明治天皇御親祭百年大祭が執り行なわれ、社殿、他諸建物の修復工事が完成しました。また昭和天皇・皇后両陛下御揃いで御親拝されました。昭和62年には今上陛下が皇太子時に同妃殿下と御揃いで御参拝され、平成5年5月には天皇皇后両陛下が御揃いで御親拝になられました。
*ここにある「今上陛下」は2022年現在の「上皇」様です。
  境内神社
 摂社 門客人(もんきゃくじん)神社 足摩乳命(あしなづちのみこと)
                   手摩乳命(てなづちのみこと)
 同  天津(あまつ)神社      少彦名命(すくなひこなのみこと)
 同  宗像(むなかた)神社     多起理比売命(たぎりひめのみこと)
                   市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)
                   田寸津比売命(たぎつひめのみこと)
 末社 天満(てんまん)神社     菅原道真公(すがわらみちざねこう)
 同  松尾(まつお)神社      大山咋命(おおやまくいのみこと)
 同  御嶽(みたけ)神社      大己貴命(おおなむちのみこと)
                   少彦名命(すくなひこなのみこと)
 同  稲荷(いなり)神社      倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
  六社
 末社 山祗(やまづみ)神社     大山祗命(おおやまづみのみこと)
 同  石上(いそのかみ)神社    布都御魂命(ふつのみたまのみこと)
 同  愛宕(あたご)神社      迦具土命(かぐつちのみこと)
 同  雷(いかづち)神社      大雷命(おおいかづちのみこと)
 同  住吉(すみよし)神社     底筒男命(そこつつのおのみこと)
                   中筒男命(なかつつのおのみこと)
                   上筒男命(うわつつのおのみこと)
 同 神明(しんめい)神社      天照大御神(あまてらすおおみかみ)

*摂社と末社の違いは、主祭神との関係が深い神社が摂社、それほどでもない場合が末社となるようです



先ずは右側から、神楽殿です

額殿です

埼玉県内酒造会社の奉納樽です

天津神社(摂社)です


六社(末社)です、神社名は左から、住吉神社・神明神社・山祗神社・愛宕神社・雷神社・石上神社の祠です


境内左側を見て行きましょう、まず「さざれ石」です

戦艦武蔵の碑です
  戦艦武蔵
 戦艦武蔵は世界最高技術を駆使し、大日本帝国海軍が建造した最高の戦艦である。
 パナマ運河幅の制限から、40cm(16インチ)を越える主砲を持つ戦艦を建造できない米国の弱点に注目し、主砲46cm砲三連装砲二基搭載した世界最強かつ最大の戦艦として建造された。武蔵誕生に至るまでには多くの技術的困難があり、関係者の苦労は並大抵のものではなかた。また、海軍の指示により建造造船所である三菱重工業は、所員に対する緘口令等建造秘匿の徹底を図った。
 昭和17年8月5日に広島県呉で行われた竣工式には、氷川神社より6名の神職が出向し、式が厳しく執り行われた。艦内神社には氷川神社が分祀され武蔵神社と命名された。
 昭和19年10月17日「捷一号」作戦発令により、日米両海軍の主力は艦隊決戦を行わんとフィリピンレイテ沖を目指した。武蔵は米海軍の航空攻撃を一手に引き受け、10月24日シブヤン海に没した。同作戦により戦艦武蔵に乗員1039名戦死。生存者1329名もマニラ防衛戦等に投入され、最終的に祖国の土を踏めた者は四百三十余名と言われている。
 ここに戦艦武蔵を顕彰し、碑建立に協賛、参道するものである。
 平成27年10月24日建立
  戦艦武蔵顕彰会

*戦艦武蔵の慰霊碑としては、群馬県前橋市の赤城山の登り口時沢小学校に北側に在ります(このブログ2017年10月20日に紹介させて頂きました)


松尾神社(末社)です

左手奥に稲荷神社鳥居が並びます

稲荷神社(末社)の社殿です

猿田彦大神の石碑です

稲荷神社の北側には宗像神社の鳥居です

宗像神社(摂社)の社です

では氷川神社社殿へ行きましょう

松尾神社前から、神池を渡る神橋です

手水舎です

楼門です

楼門を潜ると正面に舞殿です、周りにはクスノキの大木が並びます

拝殿です、早詣での方々や七五三のお参りの方々でいっぱいでした

本殿です

本殿東側の神輿舎脇に「力石」が並びます

では、社殿東側へ東門を出ます

嘉永3年8月の石碑です、全て漢文の為読めませんね~

門客人神社(摂社)です

右手(東)に御嶽神社(末社)です

更に東側には、明治15年の石碑です、こちらも漢文です読めません


楼門前神池わきに県令桜の小さな石碑です、明治15年3月建立のものです

手水舎の西側通路は西駐車場への通路です

通路に面して北側に「御神井」です

更に西側に「蛇の池」が有ります、説明版です

奥まったところ(本殿西側)の蛇の池です、木々に覆われて大蛇が棲んでいそうです

では、戻りましょう
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埼玉県さいたま市、大宮区敷町から高鼻町「大宮氷川神社参道の木々」です!!

2022-01-07 06:32:24 | 巨樹・大木
 2021年12月22日に早詣で「武蔵一の宮 大宮氷川神社」へ行って来ました

 今回は、「氷川神社参道を歩く」ため、JR京浜東北線さいたま新都心駅を利用しました

 市街地の参道としては日本一長い約2kmの参道を歩きます


改札を出てすぐ右のエスカレーターを降った所の案内板で確認します、左(北)に行くと一の鳥居広場の文字です

駅前の道路は旧中山道です

ケヤキ並木を進みます

一の鳥居が見えて来ました

武蔵国一宮 氷川大明神です

さいたま新都心駅から450m来ました、氷川神社北側の大宮公園までは2110mです

半日観光ルートです氷川神社までは2000mです

丁石です、ここから18丁(1丁は約109m)歩く基準に丁度良いでしょう

参道並木は保存緑地です

参道は禁煙ですよ

では、一の鳥居をくぐって氷川神社へ向かいましょう

参道右手にケヤキの巨木です、並木全体が天然記念物(市指定)です

鳥居から200m程の参道左に楢姫稲荷神社です

本殿です

向かい側にケヤキの大木です

丁石は二丁です

最初の信号です、大宮消防署氷川神社参道出張所前です

市民会館脇からスダジイやクスノキなどの常緑樹が目立ってきました

丁石は七丁です

さいたま新都心駅から半分道を来ました

天然記念物に関する案内板です

二番目の信号です、大宮警察署参道交番前です

参道説明版です
 氷川参道歴史散策案内(③参道交番南側のひろば)
 ・参道並木
 氷川参道の並木は、時代とともにその姿を変えてきあした。
 江戸時代に描かれた絵図には、松を多く含んだ並木の様子が見られます。
 大正年間の写真では、鬱蒼とした杉並木で覆われており、昭和初期に作られた「大宮をどり」の中にも、「並木十八丁鉾杉つづき」と歌われています。
 現在、参道の両側には約650本の樹木があり、落葉広葉樹であるケヤキを中心として、スダジイ、サクラ、クスノキなど30種類以上の樹種で構成されています。
 杉からケヤキに変わった理由については諸説ありますが、昭和9年乃室戸台風による倒木、戦争中の燃料利用による伐採、排気ガスなどの様々な影響による枯死等の要因で、根の張るケヤキを植樹したと言われています。
 氷川神社から大宮公園及び見沼田んぼ周辺の約284㌶の区域は、その自然的景観の保全を図るため、埼玉県内で唯一の風致地区に定められています。
 また、一の鳥居から三の鳥居までの参道並木敷き(平成ひろば除く)については、さいたま市の保存緑地に指定されています。
 並木の生育環境は、高密な市街地の中にあり、土壌の露出面積も少なく、長い期間の踏圧により土壌が固化され、樹勢の衰退が見受けられます。参道の樹木のうち、特に太い古木については、市の天然記念物として指定されていますが、枯死や倒木などにより減少しています。
 氷川神社の社叢と一体となった歴史と風格漂う参道の並木は、都心部の貴重な緑地空間であり、憩いや彩りを提供する市民共通の財産として、将来にわたり引き継いでいけるよう皆様のご協力をお願いいたします。

英語文です

保存緑地から除かれている「平成ひろば」です

氷川神社まで900mに成りました

平成ひろばを進みます

半日観光ルートの案内板、盆栽村ルートと大宮アルディージャルートです


大宮二十景の標柱「③緑のトンネル氷川参道」です

丁石は十二まで来ました

氷川参道歴史散策案内(④平成ひろば)です

平成ひろばの出口です、二の鳥居が見えて来ました

官幣大社 氷川神社です、一の鳥居の所には「氷川大明神」の文字がありました

参道を進みましょう

二の鳥居です

鳥居の左(西)に説明版が有りました
   氷川神社
    所在地 大宮市高鼻町4-1-1
 氷川神社は、社記によると第五代孝昭天皇の3年4月末の日の創建と伝えられる。
 当社は、古くから歴朝や武将の尊崇をあつめた由緒ある大社としてその歴史を誇っており、「大宮」の地名もこの氷川神社に由来することは衆知のとおりである。
 古くは景行天皇のとき、日本武尊が東征のおり当地に足をとめて祈願され、また成務天皇のとき、武蔵国造となった兄多毛比命が出雲族を引きつれてこの地に移住し、氷川神社を奉崇したと伝えられる。その後、聖武天皇(724~49年)のとき「武蔵国一の宮」と定められ、ついで称徳天皇の天平神護2年(766)には、朝廷から武蔵国では当社だけに封戸(三戸)が寄進された。さらに醍醐天皇の延長5年(927)の「延喜式神明帳」には、名神大社として破格の月次新嘗の社格が与えられている。
 このほか、鎌倉時代には、治承4年(1180)に源頼朝によって社殿の再建と社領三千貫が寄進されたといわれ、足利、北条氏も相次いで尊仰した。その後、江戸時代に慶長9年(1604)には、徳川氏より社領三百石が寄進され、また、文禄5年(1596)と寛文7年(1667)には社領の整備と社殿の造営が行なわれている。 
 その後、明治元年(1868)東京遷都に際し、当社を武蔵国に総鎮守「勅祭の社」と定められ、明治天皇みずから親拝になった。同4年官幣大社となり、同15年に本殿・拝殿などを改造し、さらに昭和15年に本殿・拝殿・廻廊などを造り変え、現在の景観となっている。
 祭神は須佐之男命・稲田姫命・大己貴命。
 例大祭は8月1日。そのほか神事の中で特に有名なのが12がウ10日の大湯祭である。
   昭和60年3月
     埼玉県
     大宮市
 *昭和60年ですと約36年前ですね、大宮市は2001年に浦和市・与野市と合併し「さいたま市」となりました、その後2005年に岩槻市も編入して現在の市域となっています。


参道左側のクスノキの大木です

向かい側、参道右のケヤキの古木です、根本保護の為竹垣が作られています

参道をだいぶ進んで来ました

丁石も十六丁です


参道左右の石灯籠です

参道左側に明治天皇行幸絵図です

三の鳥居が見えました、氷川神社参道は終了です

さすがに長い参道です、ブログも長くなりました

では次回は、氷川神社境内を見て行きましょう
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静岡県三島市、幸原町「耳石神社のイタジイ(スダジイ)」(市指定・保存木)です!!

2022-01-06 06:38:49 | 巨樹・大木
 幸原(こうばら)町は、県道21号三島裾野線を北へ

 銀杏並木を潜り、三島税務署の先の信号を過ぎて左斜めの道へ入ります

 道なりに進むと、新しく道路工事が進んでいる先に

 南東向参道の耳石神社が鎮座します

 境内入口前に車を止めさせて頂きました


参道入口鳥居です

説明版です
   耳石神社由緒
 古来、幸原の氏神で祭神は大山祗神の御子 国狭槌尊であって、耳の病に霊験ありと古人から言い伝えられているので、遠近よりの参拝者が多い。
 社名は伊豆志稿に耳の形をした石あるによって称するというごとく、社前にある高さ四尺、囲6.7尺位の石に似た形がある。
 耳を病む者神に祈り、ついでこの石に祈る。癒ゆれば、小石に穴をあけ、糸につるして奉参するを習わしとす。
   例祭は9月16日
 幸原は、国府原とも書いたことは、棟札によっても知られているが、三嶋大社の神領地であった天正18年、豊臣秀吉が小田原城攻略に際して、山中城の出城たる徳倉城から攻撃したとき、当社は兵火に罹り、古記録を失い由緒を知ることが出来ない。
 元和元年に再建、明暦・延宝・元禄の棟札を伝えている。
 この耳石は、三島の七石の一つでもある。
 


参道の右手に太い幹が見えています

手水舎です


目的のイタジイです

南西側から

御神木指定証と保存木標識です

説明版です
   耳石神社のイタジイ(スダジイ)
     (市指定天然記念物)
 よく発達した根張りが北北西側み、幹は南南東に少し傾き、斜幹風で趣きのある大樹である。
 主幹及び大枝の一部の先端は落雷や強風により損失しているが保護の手が加わっている。
 格枝とも葉を多く付け色つやがよい。主幹等の樹皮は縦裂が生じ、基部には樹皮の剥離した部分や空洞があるが樹勢は良好である。
 イタジイが温帯のこの地に生育していることは珍しいことではないが、幹・樹高・枝等の様子から老木の域に達しており、イタジイの樹形をよく表していて価値ある樹目である。
   平成8年12月
   三島市教育委員会

北西側社殿前から見ました


社殿です

説明版です
   耳石神社
 鎮座地 三島市幸原町2丁目13-1
 御祭神 国狭槌尊(くにのさづちのみこと)
 例祭日 9月16日
   由緒
 耳石の社名、社前に高さ4尺、周囲7尺ぐらいの耳に似た石に由来すると「豆州志稿」出てくる。
 耳を患うものは参詣し、直ったら小石に穴をあけ糸につるしてお礼参りをする習わしがある。
 神話によれば、国狭槌尊は、天地創造の時に化生づる神とある。
 耳石は、古代祭祀の磐境の身石を思わせる。
 この石は三島七石の一つである。
 明暦・延宝・安永・文政・天保・安政などの棟札を蔵する。
 



神社の名前になった耳形の石があります

三島七石巡り説明です
   三島七石めぐり
 耳石は、市内幸原の耳石神社境内にある。
 耳石神社は古来幸原の氏神で、祭神は大山祗神の御子国狭槌尊である。
 御霊代とも言うべきものが耳の形をしている石である。
 昔から耳病に霊顕ありという、社前にある高さ1.3m回り2m位の石は、耳を病むものが神にいのり次にこの石に祈る、そして全快のあかつきには耳の形をした石をつるして奉納する習わしがある。
 耳石神社は、その奉賽にあげた大小の耳の形をした石が無数にあるのを見ても、いかに霊顕のあらたかな神であり、耳石であるのがわかる。
 以上



由来記です、鳥居前の由緒と同じ内容が記されています
  


社殿脇のスダジイの古木です

境内社殿西側の土俵です

社殿北側の水神碑です

簡易水道記念碑です、湧水の豊富な三嶋神社周辺より高台になる幸原町周辺に水道を通すのは大変だったようです





境内社の祠が並びます

境内北側端には石塔や石仏、馬頭観音などが並びます

では、次へ行きましょう
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静岡県三島市、大宮町「三嶋大社の木々、キンモクセイ(国指定)・欅・楠」(市指定)です!!

2022-01-05 02:42:01 | 巨樹・大木
三島市役所の北東側に三嶋大社が鎮座します

 県道22号(旧東海道)に面して参道入口を開いています


*三嶋大社の樹叢は、市の天然記念物に指定されています

参道入口です

参道入口の西側、境内玉垣から太い枝を出すケヤキが見えています(西側から)

境内側から見ると、鳥居よりのケヤキは、推定樹齢750年の保存木です

二本目も推定樹齢750年のケヤキの保存木です、目通り幹囲5.6mの巨木だそうですが幹が朽ち始めていて嘗ての名残りはありません

すぐ北側の神池南端のケヤキの大木です、こちらは推定樹齢650年の保存木です

南東側から目通り幹囲4.7mの様です


境内南東側入口脇、旧社號標前のケヤキの大木です


参道を進むと

神池の北西端に注連縄を巻かれたクスノキが見えます


北側から幹を見上げました、樹高16m・目通り幹囲7.1m・推定樹齢300年以上の巨木です

西側から、根元の幹は大きく欠けています

南側から、幹の洞に祠が祀られています


総門を入ると左手の客殿と社務所の廊下越しに、クスノキの巨木です

神門を入ると右手に国指定天然記念物の「キンモクセイ」です(西側)

「天然記念物 三嶋大社の金木犀」の石碑です

説明版です



南西側から、幹は朽ちかけていますかつて5.0mとされて名残りはありません

南側から、残った一本の枝の太さは2mが欠けるようです

南東側から見ました 

境内の東側に鹿苑が有ります

鹿苑の広場にケヤキの大木です(南西側から)

南側から、目通り幹囲4.9mの様です


本殿東側通路東のカヤノ大木(保存木)です、推定樹齢850年とありましたが~

*本殿北側には鎮守の森が残ります、左回りに玉垣を廻りました

では、次へ行きましょう
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