ビーズうさぎのハナちゃんです!!

日々の生活、山登りや釣り、ドライブなどをアップします。ここの所、巨樹めぐりがメインですが!(汗)

長野県茅野市、宮川「天狗山のトチノキとイチイ」(市指定)です!!

2024-05-26 18:53:33 | 巨樹・大木
 宮川地区は、茅野市役所の西約3kmのところ

 茅野市役所の南側の県道192号線を西へ、約200mの「市役所西」信号を左(南)へ

 約300mの「仲町東」信号を右(西南西)へ、約400mでJR中央線のガードを潜った「茅野町」信号を左(南)へ、県道197号線です

 上川の橋を渡って直ぐに右(西)へ、約400mで国道20号線を過ぎると県道16号線です

 約2.2km道成りに中央自動車道の高架を潜って、北西に進んだ「神長官 守矢史料館」入口の直ぐ先の横断歩道を左(南西)へ細い道路を上って行きます

 間も無く左手に藤森照信「空飛ぶ泥舟」です

 左手奥には「高過庵」です(藤森 照信は、日本の建築史家、建築家。東京大学名誉教授、東北芸術工科大学客員教授。東京都江戸東京博物館館長。専門は、日本近現代建築史、自然建築デザイン。)以上ウィキペディアの一部抜粋です

 西側の墓地脇に車を止めさせて頂きました

 右手の道路を進みます

 間も無く鉄橋がありますのでここが入口です

 斜面を登ると

 池跡?を廻って行きます

 歩く人がいないのか落ち葉が降り積もっていましので登るのが大変です

 鳥居へ登って来ました、左手にはトチノキです

 カシノキにつかまって斜面を登ります

 東側から、トチノキに寄り添うようにスギが立っています

 トチノキの根元の石祠に御柱です

 説明版です
    諏訪市天然記念物
        天狗山のトチノキ
           種名    トチノキ(トチノキ科)
           推定樹齢 250年
           大きさ   目通り幹周4m35cm
 トチノキは山地に生える落葉高木である。
 花は5月頃大きな円錐花序に咲き、花序は雌性花だけ、雄性花だけ、または両性花をつけるなどいろいろである。
 種子はトチノミで光沢のある赤褐色の種子を持つ。トチモチなどの原料になり、古代人の主要な食糧の一つであったと考えられている。
 主幹の一部は枯損しているが樹勢はよく、トチノミをたくさんにつける。
 この近くには岩波マキの祝神の祠があり、このトチノキはしの神木で、市内ではもっとも大きい。
         指定 昭和54年2月15日
            諏訪市教育委員会

 南東側から

 南西側から

 北側から

 南側のトチノキの前からイチイを見ました

 南西側から

 北側から

 説明版です
   諏訪市天然記念物
      天狗山のイチイ
         種名    イチイ(イチイ科)
         推定樹齢 450年
         大きさ   目通り幹周4m85cm
 このイチイは守矢氏祝神の神木である。
 この木の根元に二つの祠がある。
 一つは守矢氏祝神の祠で、一つは天狗を祀る祠である。
 天狗山の小字名はここからでたものという。
 このイチイは北・西・南に空洞が開いているが、樹勢は良く、枝分かれが多く開いた枝振りはみごとである。
 イチイは雌雄異株。4月ごろ雄花は葉脈に小さな楕円形の花序に咲き、雌花は葉脈に単生し熟すると仮種皮は紅色になり多肉で甘味があり食べられるが、種子は有毒である。
 この木は雄木なので赤い実はつかない。市内ではもっとも大きいい。
        諏訪市教育委員会

 石祠です

 北東側から見ました

 では、次へ行きましょう

2024・4・15・6・45
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長野県伊那市、富県「久保田のアカマツ(根上がり松)」(市指定)は枯れてしまったようです!!

2024-05-26 12:31:31 | 巨樹・大木
 富県地区は、伊那市役所の南東側の広い地区です、伊那市役所の南東約8kmの所に磯部神社が北西向き参道で鎮座します

 伊那市役所の北側のナイスロード(環状南線)を東へ三峰川右岸を進みます

 約6kmで右(南)へ、三峰川を三峰川橋で渡ります、県道210号線です

 約5.1kmで道路左に「石塔とアカマツの立つ丘」のところを左(東)へ入ります

 約300mで右手に磯部神社の参道の標柱が見えます

 磯部神社参道標柱です

 鳥居を潜って参道を進みます

 防獣網の扉を開いて「伊那エースCC」の外周道路を進みます

 約200m程で、左手に磯部神社です

 ここを上がりましょう

 社殿です

 社殿北側にはモミノキの大木です

 まだ目的のアカマツまで道半ばですので急ぎましょう

 ここを右の溝のような通路に入ります

 ゴルフ場の外周フェンス沿いに進むと根上がり松です

 南西側から

 南側から、根元の土が崩れています

 南東側から

 東側から斜面を上がります

 北東側から

 市指定天然記念物アカマツの標柱です

 説明版です
    久保板のアカマツ
       指定   伊那市 天然記念物 植物
             昭和47年4月15日 指定
       所在地 冨県 下新山
       所有者 山崎利一・筒井理兵衛
 樹齢凡そ400年、樹高12m、目通り周4.5m、枝は地上2mのところから直径30~50cmの太枝を交互に十数本出し、東へ14m、西へ9m、南へ12m、北へ8m伸び、枝先が地面近くまで垂れ下がって全景が傘状に見える。
 風当りが強いため四方に伸びた枝先が枯れ、小枝が風雨で振り落とされている。太枝には啄木鳥の突き穴がある。
 この大樹の枝振りを仰ぐと、幾星霜の樹齢を思わせる。
 又人呼んで「根上がりの松」ともいう。根株は四方に分根を張り、地上に出ている根は瘤々として奇観を呈している。
 南側は土砂が削り流され二十余本の分根は2m余の高さに露出している。
 この松の根本に双体像の道祖神の碑がある。建立年月日は不明であるが、「久保田村」と刻んだ字がみえる。

 双体道祖神です
       
 東側に離れて見ました

 もう一本の「久保田の根上がり松」銘の標柱です、文面には・・・
 高さ12m、目通りの太さ周囲4.5mの巨大な赤松です。
 南側の根が全体を持ち上げるように上がっているため「根上がり松」と呼ばれています。
 根本にある双体道祖神は建立年月はわかりませんが「久保田村」と刻んだ文字が見えます。
 素朴な信仰があったことをうかがわせてくれます。

 ゴルフ場のサクラも満開でした

 では、次へ行きましょう

 で、高遠城址の桜が満開でしたのでこれから夜桜を見に行きました、しかし、沢山の観光客の車が駐車場に入るため長蛇の列を作っていましたので諦めました。
 今夜は、高遠城址から南に約4kmの「道の駅 南アルプスむら長谷」で車中泊します、到着時には5台の車が止まっていましたが、夜中に起きた時に数えてみたら26台が止まっていましたので「夜桜」見物が終わって車中泊しているものと思われました。
 又、翌朝6時の高遠城址公園の開園前から、入口前には長蛇の列が出来ていましたので、次の取材に茅野市を目指し国道152号線で杖突峠へ、道路両側のサクラも満開でしたので十分に楽しむ事が出来たドライブになりました。
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長野県高森町、山吹「光明寺のクロマツ」(町指定)です!!

2024-05-26 06:31:26 | 巨樹・大木
 山吹地区は、高森町役場の北約5kmのところ

 高森町役場を北側に下って、丁字路を左(北西)へ坂道を上ります、県道227号線です

 約1.7kmの「上市田」信号を右(北東)へ、県道15号線です

 約3.6kmで道路左に「天台宗 光明寺」の寺号標が建っていますので左(北西)へ入って、中央自動車道を橋で越えます

 橋の上から左手に光明寺の境内が見えます、高速沿いを進むと

 光明寺山門です

 すぐ先の新田諏訪神社参道脇の駐車場に車を止めさせて頂きました

 目的のクロマツですが葉が茶色に変色しています

 山門脇の寺号標です

 本堂です

 南西側から見ました

 北西側から、かなりの葉が茶色になってしまっています

 黒松の標柱です、文面には「昭和47年中央自動車道建設の伴って現在地に移植された」とあります

 北北西側から

 北側から見ました

 では、次へ行きましょう

2024・4・14・15・50

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長野県高森町、下市田「下市田のヒイラギ」(県指定)です!!

2024-05-25 18:32:26 | 巨樹・大木
 下市田地区は、高森町役場の南南西約1kmのところ

 高森町役場を北側に出て坂道を下って行きます、約300mで丁字路を右(東)へさらに下って行きます

 約700mの「出砂原」信号を右(南西)へ、国道153号線です

 約900mの「下市田工業団地」信号を左(南東)へ入るとJR飯田線の踏切を渡ります(下市田駅の直ぐ東側です)

 すぐ右手に目的のヒイラギが見えました

 線路沿いの道路脇に車を止めさせて頂きました

 北側から

 北側からもう一枚

 説明版です
    長野県天然記念物
       下市田のヒイラギ
          昭和37年7月12日 指定
 概要
   所在地  高森町下市田1401番地 
   所有者  上沼清一
   樹種   ヒイラギ(柊)モクセイ科
   樹高   約7m、幹周7.7m
 説明
 暖地性の常緑高木
 本州関東以西・四国・九州に分布し本県では伊那・木曽地方の南部に自生する。
 葉は厚くて硬く表面に光沢がある。
 若木の葉は大きな歯牙があり、先端は針状になる。
 本樹では下枝や若枝の葉の歯牙がみられる。
 11月頃、白色で香気のある花をつける。雌雄異株。
 所有者上沼家の祖先は但馬国豊岡城主細川清成の後裔といわれる。
 二代清家は応永の乱(1399年)の後信濃に浪人し、下条の陣で松岡氏に加勢し客分として迎えられた。
 三代清俊は市田郷中村に居を構えた。
 その屋敷が沼地の上にあったので、上沼と改称した、所有地の境界木としてとして流田・武稜地・羽根の三ヶ所へヒイラギを植栽した。
 他の二ヶ所は枯れ、流田のものだけが残った。すなわち本樹である。
 樹齢は600年近いといわれ、県内でもまれにみる大木である。
          長野県教育委員会・高森町教育委員会

 個人宅なので道路からのみ撮影させて頂きました<m(__)m>

 では、次へ行きましょう

 2024・4・14・15・35

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長野県飯田市、追手町2丁目「飯田城桜丸のイスノキ(県指定)とヒガンザクラ(夫婦桜)」です!!

2024-05-25 12:30:47 | 巨樹・大木
 追手町2丁目は、飯田市役所の東南東約1.5kmのところ

 飯田市役所を北側に出て「市役所前」信号を北東へ、国道256号線を進みます

 約100m二つ目の「本町2・3丁目」信号を右(南東)へ、約500mの「追手町小学校」信号を左へ入って

 直ぐ右の飯田合同庁舎の駐車場に車を止めさせて頂きました

 飯田城(長姫城)跡・周辺案内図です

 飯田図書館の通路から入ると、飯田城桜丸御門(赤門)です、後ろ側の建物が合同庁舎です

 飯田市有形文化財 飯田城桜丸御門(通称赤門)の標柱です

 赤門の説明石碑です
    長姫城遺構 赤門
       長野県知事 吉村午良
 赤門は長姫城桜丸の門で、宝暦4年4月(1754年)に上棟された。
 本丸は町から遠く不便なので桜丸で政務をとったといわれる。
 入母屋造りで瓦葺、鬼瓦には堀氏の家紋「向梅」が使われている。
 平面は二本の鏡柱と控柱とで構成され、潜戸を設けてある。
 明治になり、飯田県・筑摩県飯田支庁・下伊那郡役所・地方事務所等の郡衙の正門として使われてきた。

 桜丸内側から見ました

 門から東側(合同庁舎車庫前)に進むと、目的のイスノキです

 北側から

 「長野県天然記念物  飯田城桜丸のイスノキ」の標柱です

 説明版です
    長野県天然記念物  飯田城桜丸のイスノキ
       平成26年9月25日指定
       高さ約12m、目通り周約2.3m
 イスノキはマンサク科に属する暖帯系の常緑高木で、樹皮は灰褐色、葉は厚く長楕円形です。
 伊豆以西、東海、山陽、四国、九州、琉球列島に分布し、長野県内での自生は知られていません。
 葉に生じる虫こぶが染料に用いられるほか、堅くて重い材は床・柱・机・櫛・そろばん玉などに、椅灰(いすばい)は陶磁器の釉薬に、と多用途に用いられ、庭園樹として近世の大名庭園や御所などに植えられています。
 この樹のある桜丸は、脇坂氏初代安元が二代安政を養子に迎えるため御殿を建てた曲輪で、多くの桜を植えたため名づけられたといわれています。
 堀氏時代は若殿や隠居の御殿として使われ、1855年(安政2)の大地震で本丸御殿が大破した後はここで藩主が政務を執っています。
 桜丸御殿の図(明治4年頃)にはイスノキを臨む位置に「御座之間」、「御茶屋」や「青霞楼」と呼ばれる建物が描かれており、桜丸が藩主や一門の、個人的で非公式な生活の場として利用されたことがうかがわれます。
 自生地の北限を越えた寒冷地の長野県でこのような巨木が今日まで伝えられてきたのは、飯田城主ばかりではなく、地域の人々によって大切に守られてきたことを示しています。
 城下町飯田の歴史と文化を象徴する樹木といえます。
     信州地域振興局

 東側から

 すぐ北側には「ヒガンザクラ(夫婦桜)」です

 西側から、多くの支柱に支えられています

 北西側から

 説明版です
    桜丸御殿址のヒガンザクラ
       品種 エドヒガン、シダレザクラ
       推定樹齢400年、根元周囲8.2m、樹高12m
 1本にも見えるがエドヒガンとシダレザクラが合体しており、あたかも1本の木が花を咲き分けているようである。
 この地には飯田城本丸御殿の別棟として桜丸御殿が建てられ、庭園には藩主脇坂氏時代(1615~1672年)多くの桜が植栽され御殿名の呼称となった。
 この桜はその名残りをとどめる名木である。

 北側がシダレザクラですね

 北東側から見ました

 では、次へ行きましょう

 2024・4・14・15・10

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長野県飯田市、山本「山本のハナノキ」(県指定)です!!

2024-05-25 06:30:03 | 巨樹・大木
 山本地区は、飯田市役所の南西約6km、飯田市伊賀良自治振興センターの南西約3kmのところ

 飯田市伊賀良自治振興センター北側の道路を西へ出て、約200mで国道153号線を南西へ進みます

 約2.7kmの「二ツ山」信号を右(北)へ入ります、約600mの信号を鋭角に左(南西)へ、またすぐの交差点を右(北西)へ入ります

 沢沿いの急な坂道を約400mで左からの道路に合流するように右へ進むと

 右手に目的のハナノキです

 前の道路脇に車を止めさせて頂きました

 南側から、根元は柵で保護されています、あれ~ニャンコが写り込んでいました

 南西側から

 天然記念物標柱です

 説明版です
    長野県天然記念物 山本のハナノキ
       昭和40年4月30日指定
 ハナノキはカエデ科、雌雄異株、日本固有種の広葉樹です。
 雄花、雌花、雌花の翼果、秋の紅葉が紅色で美しいことから、ハナノキと呼ばれます。
 ハナノキは生きている化石ともいわれます。
 今から約23000万年から530万年前は中新世と呼ばれ、地球の気温が現在よりも10度以上暖かかった時代でした。
 この頃、ハナノキの祖先種は東アジア・ヨーロッパ・北米大陸に広く分布していました。
 その後、気温が低下すると共に分布範囲を狭め、北米大陸と東アジアに分断されました。
 これを隔離分布といい、現在は日本の岐阜県東部・長野県南西部を中心に日本固有のハナノキが、北アメリカに姉妹種のアメリカハナノキ・ギンヨウカエデが、遠く離れて残っています。
 湿地を好み、飯田市山本地区から阿智村にかけての湧水湿地(ハナノキ湿地)に自生しています。
 環境省のレッドデータブック絶滅危惧Ⅱ類種に記載されており、保護活動が行われています。
 この木は雄株で、3月下旬から4月に開花します。高さは約23m、枝張りは東西22m、南北20mを測り、枝の広がりは自生の木の中では最大といわれています。
       平成24年3月   長野県教育委員会・飯田市教育委員会
 *説明版は、出来たばかりですね

 北西側から、目通り幹囲は説明版には出ていませんでしたが、4.8mの大木です

 南東側から

 少し離れて見ます

 東側から見上げました

 では、次へ行きましょう



2024・4・14・14・20
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長野県阿智村、春日「春日神社のこうようざん」(村指定)です!!

2024-05-24 18:36:57 | 巨樹・大木
 春日地区は、阿智村役場の北東約2kmのところ

 阿智村役場前を北西へ出て、交番の交差点を右(北東)へ、間も無く「駒場東」信号で国道153号線に合流して北東へ向います

 約1.3kmで国道左手に春日神社の参道が南東向きに開いています

 すぐ先の信号を左(北西)へ入った春日神社北側の道路脇に車を止めさせて頂きました

 春日神社社號標です

 石段を上がって鳥居です

 参道を進みます

 ニノ鳥居です

 もう一段上がります

 手水舎です

 春日神社拝殿です

 本殿を覆い屋の脇から見ることが出来ました

 拝殿北側の境内社と奥側に稲荷社です

 拝殿西側の諏訪社です

 境内社です

 更に南西側に富士浅間大神の石碑の後に目的のコウヨウザンです

 天然記念物の石柱です

 説明版です
    阿智村天然記念物 春日神社のこうようざん
       春日堅町 所在
       昭和43年9月1日 指定
 このコウヨウザンは、推定樹齢300年とされ、村内最大のコウヨウザンとして村指定天然記念物に指定されています。
 根元から1.75m上がった所で幹が二つに分かれ、元は三本の枝が立っていたものが一本は伐られたと思われ、その切り痕が残っています。
 コウヨウザン(広葉杉)はヒノキ科コウヨウザン属、中国南部が原産で、江戸時代後期に琉球(沖縄)を経て渡来し、琉球杉、オランダモミともいわれています。
 なお、境内には他に数株植えられており、いずれも大樹です。
 春日神社は、建久3年(1192)奈良の春日大社から春日明神を勧請して、中関上の片手石(のちの明神山)み祀り中関郷の産土神としたのが始まりとされ、その後、文禄元年(1592)に現在地の宮山に移されました。
 【本樹の大木さ】高さ35m、目通り径3.35m   
        阿智村教育委員会

 南西側から

 北西側から

 更に西側の境内社です

 では、次へ行きましょう

 2024・4・14・14・00
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長野県飯田市、立石「秋葉神社のケヤキ」です!!

2024-05-24 12:44:21 | 巨樹・大木
 ここもリベンジ訪問です、2020年秋の訪問時に発見できなかったものです

 立石地区は、飯田市役所の南約11km、飯田市美穂自治振興センターの南西約2kmのところ

 *昭和31年(1956)9月30日に座光寺村・松尾村・竜丘村・三穂村・伊賀良村・山本村・下久堅村と合併し、改めて飯田市が発足しました。

 飯田市美穂自治振興センター前を西側の県道491号線に出て南西辺向います

 約1.5kmで道路左手に「立石の雄杉」です

 説明版です(詳しくは2020年10月13日のこのブログで紹介させて頂いております)

 すぐ先の交差点を左(南南東)へ、約200mで丁字路を左(東)へ道成りに南へ、阿智川へ下って西を向くと

 ここを右に入った北側の墓地沿いの道路に車を止めさせて頂きました

 県道脇からの秋葉神社境内への入口です

 県道から竹藪の中の樹叢に秋葉神社が南向きに鎮座します

 階段を上がります

 秋葉神社の祠です

 秋葉大神の石碑です

 境内社です

 秋葉神社の祠の後ろ側に目的のケヤキです

 南西側から、目通り幹囲4.5mの大木です

 西側から

 もう一組は縦配置で

 境内社の後には杉の大木です

 北東側から竹藪を透かしてケヤキを見ました

 では、次へ行きましょう

 2024・4・14・13・25

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長野県阿智村、伍和「阿智の大栗」(町指定)です!!

2024-05-24 06:41:29 | 巨樹・大木
 伍和地区は、阿智村役場の南約2kmのところ

 阿智村伍和の里(観光案内図)です、図の中央の「阿智の大栗」の文字が確認出来ます(県道64号線から大栗へ左折する直ぐ先の右側駐車スペースにあります)

 阿智村役場前の道路を北西へでます、交番前の交差点を左(西)へ

 約300mで横断歩道のある交差点を左(南)へ

 道成に約1km阿智川を渡った丁字路を右(南西)へ、県道64号線です

 約2kmで「伍和・日の入・寺尾 老人福祉センター⇒」の標識のある交差点を、左(西)へ入ります

 道路の先に目的のクリの木が見えて来ます

 先の交差点道路脇に車を止めさせて頂きました

 南南西側から

 西側から

 北側から

 天然記念物標柱です

 説明版です
   阿智村天然記念物 阿智の大栗
      伍和 洞 所在
      平成6年8月25日指定
 この栗の木は、岡山県自然愛護協会の調査で全国6位、長野県では伊那市白沢のオオグリについで2位の大きさとされました。
 村内最大のクリの木として村天然記念物に指定されています。
 クリはブナ科クリ属で、実は昔から食料として重宝され、材は耐久性があるので、鉄道の線路の枕木、家の土台、彫刻材、挽物のお盆などに利用されました。
 葉はタンニンを含み、煎じてかぶれなどの薬にします。
 【木の大木さ9】樹高15.0m、幹径5.5m、、目通し径4.92m、枝張り東西13.6、南北14.5m
      阿智村教育委員会

 太い幹を見ました

 北西側から見ました

 では、次へ行きましょう

2024・4・14・13・00
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愛知県設楽町、津具字宮畑「津具八幡宮の杉」(県指定)です!!

2024-05-23 18:31:22 | 巨樹・大木
 津具字宮畑地区は、設楽町役場の北北東約11km、設楽町津具総合支所の北約1.5kmのところ

 設楽町津具総合支所前の津具川を東へ渡って県道80号線を北西へ進みます

 約600mの下町からは県道10号線です、約300mで「豊根・県道426号線⇒」の標識に従って右(北東)へ

 約500mで右手に石道路が立ち、奥に鳥居が見えます

 参道入口鳥居です

 鳥居北側の道路脇に車を止めさせて頂きました

 津具八幡宮の社號標です

 境内入口は油戸川に掛かる橋です 

 橋の上流側のサクラはまだ残っています

 橋の下流側です

 手水舎です

 ニノ鳥居です

 由緒記石碑です
   由緒記
  社名  津具八幡宮
  鎮座地 愛知県北設楽郡設楽町津具字宮畑1番地
  祭神  品陀和気命
  神紋  鳩八
  例祭  8月15日・16日
 由緒
 慶長2年  徳川3代将軍家光の御朱印を賜る
 明治 9年4月10日 郷社指定
 明治40年1月26日 弊帛共進指定される
 昭和21年3月28日 津具八幡神社を津具八幡宮と改称する
 昭和27年      千具神社合併する
 昭和27年9月20日 法人登録 神社庁承認
 *正面「八幡宮」の扁額は弘化2年7月20日に、氏子村松新左衛門の寄進、文字は弓矢にて象徴されている
  又、本八幡宮は皇室・武将・藩主の弓矢の神として最も崇敬された

 *扁額が見当たりませんでした

 拝殿です

 本殿です

 杉木立の奥(本殿南側)に目的の杉です


 西側から、注連縄が巻かれています

 説明版です
   津具八幡宮の杉
 津具八幡宮の杉は、昭和35年6月2日、愛知県教育委員会告示第10号により天然記念物として指定された。
 指定時の測定によると、樹齢300年以上、根囲8.25m、目通り幹囲5.65m、枝張り東西15m、南北12m、高さ40mである。
 国指定の東加茂郡旭町の貞観杉の根囲14.54mには及ばないが、見事にな直幹の巨樹は樹勢も壮健であり、津具八幡宮の御神木として崇敬され現在に至っている。
    昭和59年7月    設楽町教育委員会

 南西側から

 南側から、説明版の数値より大きく見えます

 南東側から、落ち枝も綺麗に整理されています

 津具八幡宮の南側の千具神社境内(南西側)から

 千具神社鳥居です

 千具神社社殿です

 千具神社文化会館の名前が掲げられていますが、神楽殿のようです

 忠魂碑です

 では、次へ行きましょう


 2024・4・14・11・45

 
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愛知県東栄町、三輪沢上「須佐之男神社の綾杉」(県指定)です!!

2024-05-23 12:39:23 | 巨樹・大木
 三輪沢上地区は、東栄町役場の南南東約4kmのところ

 東栄町役場前の国道473号線を北西へ進みます

 約400mで左(南)へ、戦橋で千瀬川を渡り丁字路を左(南東)へ、国道151号線です

 約7.2km道成りに一山超えた、JR飯田線東栄駅の西側入口の横断歩道の先を斜め右へ坂道を上がって行きます

 約500m坂道を登り切ると須佐之男神社です

 手前の右ての広場に車を止めさせて頂きました

 鳥居前のシダレザクラはまだ少し残っています

 須佐之男神社社號標です

 参道を進むと太い幹が見えました

 石段を上がります


 境内正面には神楽殿の様です

 石垣の上に目的の綾杉です

 南東側から

 南側から

 石段上に社殿です

 石段中段から綾杉を見ました

 社殿南側の境内社です

 奥側にも石祠の境内社や石仏です

 北側から見上げました

 根元に「須佐之男神社の綾杉」の標柱と説明版です
   須佐之男神社の綾杉
     指定年月日 昭和30年5月6日
     胴廻    28尺7寸(約870cm)
     高さ    約45m
     推定樹齢  400年位

 では、次へ行きましょう


 2024・4・14・10・55
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愛知県東栄町、西薗目名倉「名倉の大杉」です!!

2024-05-23 06:31:40 | 巨樹・大木
 今回は昨年登り口が見付けられなくてのリベンジです 
 
 西薗目名倉地区は、東栄町役場の東約3kmのところ

 東栄町役場前から国道473号線を東へ道成りに大千瀬川沿いを下流へ進みます

 約7.6kmで常磐橋で大千瀬川を右岸に渡って右カーブの所を右(南西)へ入ります(標高205m付近)

 約400mで一番奥の住宅を過ぎます

 約500mで杉林が開けてまたスギ林に入った直ぐ道路右側のスギの木に「名倉の大杉⇑」のプレートが貼られています(標高300m付近)

 少し先の道路の広いところに車を止めさせて頂きました、ストックを1本以って行きます

 登り口が崩れていますので、気を付けて取りつきます

 山道を登って行きます

 登り始めて約5分、左手上に大きな樹冠が見えて来ました

 山道を折り返します

 目的の名倉の大杉です

 名倉山(標高403.2m)の北側尾根上です

 根元に石祠があります

 東側から

 南側から

 南西側から

 西側から

 北側から見上げました

 根元の石祠は山の神様でしょうか

 では、次へ行きましょう

 2024・4・14・10・15
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愛知県東栄町、下田平野「長養院の桜」です!!

2024-05-22 18:38:37 | 
 下田平野地区は、東栄町役場の東約1kmのところ

 東栄町役場前の国道473号線を東へ進みます

 約1km右手に「とうえい温泉」の100m先に「長養院⇐」の案内板が有りますので左(北)へ入ります

 長養院の駐車場に入りました(役場前から後ろを付いて来ていた車が長養院の住職さんの車でした

 国道へ出て山門から入りましょう


 長養院の山門です

 すぐ左手には、宮原の石碑と「おさま甚句の説明版」そして目的のサクラです

   
    おさま甚句・さんさ発祥の地
  盆唄「おさま甚句」
 「さんさ」は奥三河地方に古くから伝わる郷土民謡で、明るく情緒に富む唄に加え、優雅な踊りの起源は定かではないが、この地方が三河国振草之郷と呼ばれた頃の永正・大永年間に長養院禅寺(当院)を開山した光国舜玉和尚が禅の布教の手だてとして、盆踊りを普及したといわれている。
 同和尚は、その後享禄2年(1529年)信州新野瑞光院を建立し、その開山の日に下田の民衆が「おさま甚句」を踊ってお祝いしたことが「祥雲山瑞光院史」に記されている。
 伊豆下田の地に起源をもつといわれる「おさま甚句」「さんさ」は以来四百年余り純朴な里人の手によって継承され、山高く水清い幽境に月明かりの中で踊りあかされてきたものです。
      東栄町


 山門を入って南東側から見ました

 北東側から、エドヒガンですので、花は終わりです

 北側から、目通り幹囲5.5mの巨木です

 参道は鍵の手に曲がっています

 北西側から見ました

 参道を進みます、参道左手のサクラは八重桜ですのでこれからですね



 八重桜の種類は判りませんでした

 参道右手のサクラも終わりですね

 鐘楼です

 本堂です

 説明版です
   曹洞宗 喜運山 長養院のあらまし
立地環境
 当院は、広々と拓けた金紫原の中央に位置し、国道473号より直接参道又は車道を利用して境内に入ることが出来ます。
 参道は、中世の平地に建立された寺院のように二回屈曲し、長い敷石と左手土檀が全景を引き締め、鐘楼と本堂を奥深くみせている。
 更に、周囲の森は裏山と相まって落ち着いた禅院の風格を持っている。
概略由来
 室町時代
 当院開山時(寺院の創始時)の史実は定かでないが、当院を開山した光国舜玉和尚は、文明9年(1477年)伊豆国北条(現在の伊豆の国市韮山町・下田市の説もある)に出生し16歳で真言宗安養院(当院の前身で文明12年・1480年建立)に入り、その後町内大字本郷字宮平に存在した別所城主伊藤左京亮藤原貞久の庇護を受け、永正2年(1505年)曹洞宗に改宗し、当地に曹洞宗長養院を開山した。
 同和尚は、無双の名僧で幾つかの寺院の開山(信州新野瑞光院・遠州森町大洞院・明智町安住寺)や住職を歴任し禅の布教に務め、永禄4年(1561年)現在の岐阜県恵那市明智町安住寺で85歳で没す。
 江戸時代
 慶安2年’(1649年)8月三代将軍徳川家光より13石8斗相当の免税を記した朱印状(朱印を押した公文書)を下付され、以後将軍が交代する度に朱印状が下付された。
 当院は、天文年間(室町時代)を含め安永8年(1779年)及び文久4年(1864年)の三度の火災に遭い消火したが、古文書や宝物は土中に埋め焼失を免れたと言われている。
 明治以降
 現在の本堂は、明治元年(1868年)から起こった廃仏毀釈(仏教排斥運動)により同6年(1873年)廃寺になった龍源寺(町内大字川角地内)の建物を一部移築して建立されたみのと言い伝えられている(建立年不詳)。
 鐘楼は、大正15年(1926年)に再建されたものです。
 山門は、昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で倒壊後再建には至っていない。
 庫裏の建立年は不明であるが、明治41年(1908年)に改築され、昭和7年(1932年)に増築されている。
本尊
 釈迦牟尼仏(釈迦の尊称、釈迦は古代インドの一種族・牟尼は聖者の意)
 聖観世音菩薩(生きとし生きるものに救いの手を差しのべる慈悲深い菩薩)
本山
 永平寺(福井県吉田郡永平寺町)・総持寺(横浜市鶴見区)
建物概要
 本堂      間口6間(約10.8m)奥行5間半(約9.9m)
 開山堂(位牌堂)間口2間半(約4.5m)奥行6間(約10.8m)
 鐘楼      間口奥行 各2間半(約4.5m)*釣鐘はこれまで3回鋳造され、現在の釣鐘は昭和24年に鋳造。
 庫裏      間口11間(約19.8m)奥行7間(約12.6m)
法会(僧や檀信徒が集まり仏の教えを説き聞かせたり、死者に対する追善供養を行う事)
 1月4日   大般若会(檀信徒の無病息災、繁栄、国の平和を祈願)
 8月7日   施食会   (悪行の報いとして、常に飢餓に苦しむ亡者に食べ物を供えて供養する。この善行が祖先の供養にもなる。)
春と秋の彼岸会 春分と秋分の日を中日として、その前後3日間合わせて7日間に寺や墓に参詣する等の仏事を行う。
                以上
 *右のあらましは長養院誌(昭和44年当院発行)及び他の関連文献を参考に作成しております。
      平成28年7月    長養院

 では、次へ行きましょう

 2024・4・14・9・45

 
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愛知県設楽町、和市「池葉守護神社の大杉」です!!

2024-05-22 12:43:35 | 巨樹・大木
 和市地区は、設楽町役場の東約2kmのところですが、池葉守護神社は鹿島山(標高912m)の南斜面標高730m程のところです。

 設楽町役場(標高460m付近)を北へ出て国道257号線を右(北東)へ進みますが、直ぐの「大田口」信号を右(東南東)へ、国道473号線です

 約2.2kmで「岩古谷山」の案内板に従って左(北東)へ、国道473号線の旧道で和市集落です

 (岩古谷山・標高799mは国道473号線の岩古谷トンネルの真上です)

 約600mで「岩古谷山和市登山口」標柱を左(北)へ、さらに坂道を登ります、100m程で登山者用駐車場です

 約500mで右手に「鹿島山・大鈴山⇒」への案内板と「東海自然歩道」の案内板があります

 更に約1.6km携帯アンテナ施設が左右に有る先で右(東)へ

 東海自然歩道の標識に「池葉守護神社」の名前があります、そばの立札には「鹿島山頂」の文字も見えます(標高675m付近)

 ここからは砂利道を進みます

 砂利道に入って約500m緩く上って行っています

 さらに約500mで白い鳥居が見えます、この先道が荒れていたので、ここに車を置いて行くことにしました

 そばの崖上には大きなモミノキです

 池葉守護神社鳥居です

 説明版です
   池葉守護神社
 永禄5年(1562年)頃、長篠城主の叔父菅沼満直が麓の和市集落を守るため岩古谷山に城を築き、城の守護神としてここに大明神を祀ったと伝えられています。
 社の大杉は北設一番の大木で、周長7.6mにおよびます。
    環境庁・愛知県

 東海歩道の案内板です、こちらからも山道を下ると和市へ行けるようです

 そばの標柱には、東海自然歩道を辿って東京まで400km、大阪まで604kmの表示があります(普通に車で東京駅まで約300km、大阪駅までは260kmです)

 参道の長い石段を上ります

 境内へ出ました

 手水舎です

 南南東向きに拝殿です

 本殿です

 本殿東側に「日露 凱旋記念 本殿改築落成碑」です

 神楽殿と社務所の建物です

 本殿の北東側に目的の大杉です

 南東側から

 北東側(神楽殿脇)から


 本殿裏側の南側から
 
 南西側から

 西側に離れて見ました


 大杉の西側にも合体木の大きなスギです



 境内東側の社務所前から本殿と大杉です

 更に東側の広場(駐車場?)から見ました

 鹿島山登山口です

 では、次へ行きましょう


 2024・4・14・8・50
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愛知県設楽町、長江字本江「遠山家のヒノキ」(町指定)です!!

2024-05-22 06:30:07 | 巨樹・大木
 長江字本江地区は、設楽町役場の北東約3kmのところ

 設楽町役場(標高460m付近)を北へ出て国道257号線を右(北東)へ進みますが、直ぐの「大田口」信号を右(東南東)へ

 でもまたすぐ約200mの「田口小学校南」信号を斜め左に入って上って行きます、県道427号線です

 道成に約3.5kmで「長江神社」の案内板(標高575m付近)に従って右(南東)へ、更に登って行きます

 約200mで右カーブの所を左へ入ります、棚田の広がる斜面を上へ登って行きます(この附近からも遠山家が見えます)

 間も無く住宅の陰から斜面上に大きな樹冠が見えました

 目的のヒノキです

 長江神社参道入口に車を止めさせて頂きました、標高610m付近です

 坂道を遠山家のヒノキへ向かいます、芝桜が綺麗です

 南側から見上げました

 南西側から

 西側から

 「町指定(天然記念物)ヒノキ 設楽町」の標柱です

 文面・・・幹が根元から二本に分かれている、根回り7.5m、目通り約5.3m。町内で最も太いヒノキ。

 北側から見ました



 登ってきた棚田の周りにはサクラや花桃が満開でした

 では、次へ行きましょう
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