是安地区は、南砺市役所の南東約5km、南砺市役所城端市民センターの北約2kmのところ
南砺市役所城端市民センターの東側の国道304号線を北へ進みます
約2kmで「細木」信号を右(北東)へ、県道277号線です

約700mで右手に鳥居が見えました
直ぐ先右(東)側の参拝者用駐車場に
車を止めました

西向きに参道入口の一ノ鳥居です

風宮 不吹堂 級長戸辺神社(しなとべじんじゃ)の社號標です

説明版です
越中不吹堂
級長戸辺神社 御由緒
御祭神
級長戸辺命 (しなとべのみこと・龍田大社)
天照皇大神 (あまてらすすめおおかみ・伊勢神宮)
誉田別命 (ほんだわけのみこと・石清水八幡宮)
天児屋根命 (あめのこやねのみこと・春日大社)
罔象女神 (みずはのめのかみ・丹生川上神社)
創始
霊元天皇寛文4年(1664)より8年間にも亘って出穂時に大風吹き荒れ砺波地方では凶作、諸悪病の流行が打ち続き、時の十村役野尻村 菊地六郎右門が中心となって、各十村と相謀り、加賀藩主前田綱紀公へ願い出て、山田野の御用林の内、5294坪の境内地を賜って、龍田の風の神様を祀り創始した。
また古文書「越の下草」によれば、「此社往古よりありて、中古傾廃に及ひけるを、元禄の頃里正・保長等すすめて、神祠を再興し五穀豊穣を祈るなり、第一川上には山下の暴風を避けん事を念ずるゆえ、里人不吹堂といふ」とある。
当社は延宝3年(1675)8月社殿創設、天明2年(1782)に本殿が再建されている。
総建築費は、山田組・野尻組・太美組・井口組・石黒組・山見組、180ケ町村に、惣轄して創建し、毎年の神社費用は6組10村へ万雑割を以って、明治初年まで加賀藩の認可を受け護持されてきた。
御宝物の木札によれば、元禄14年(1701)に神社の再興を図り、前記五柱の神様を祀り五社大明神となったことがわかる。
明治元年(1868)に級長戸辺神社と改称されて。当社は氏子もなく、その後は多くの崇敬村、篤志家の御浄財により護持されてきている。
現在の御本殿は昭和59年(1984)に改築された。
例祭日 7月15日 例大祭(風鎮祭)
12月 5日 新穀感謝祭

参道を進みましょう

手水舎です

拝殿です

大きな本殿です

拝殿北側にあった目通り幹囲5.4mの御神木は、令和4年(2022)11月に伐られてしまっていました

かつての面影が写真で表示されています



かつての御神木の東側(本殿北側・社務所の前)の杉が新な御神木となっています



東側から、目通り幹囲約5.0mの巨木です



北側から見上げました
では、次へ行きましょう

2014・4・12・7・15
南砺市役所城端市民センターの東側の国道304号線を北へ進みます
約2kmで「細木」信号を右(北東)へ、県道277号線です

約700mで右手に鳥居が見えました

直ぐ先右(東)側の参拝者用駐車場に


西向きに参道入口の一ノ鳥居です


風宮 不吹堂 級長戸辺神社(しなとべじんじゃ)の社號標です


説明版です
越中不吹堂
級長戸辺神社 御由緒
御祭神
級長戸辺命 (しなとべのみこと・龍田大社)
天照皇大神 (あまてらすすめおおかみ・伊勢神宮)
誉田別命 (ほんだわけのみこと・石清水八幡宮)
天児屋根命 (あめのこやねのみこと・春日大社)
罔象女神 (みずはのめのかみ・丹生川上神社)
創始
霊元天皇寛文4年(1664)より8年間にも亘って出穂時に大風吹き荒れ砺波地方では凶作、諸悪病の流行が打ち続き、時の十村役野尻村 菊地六郎右門が中心となって、各十村と相謀り、加賀藩主前田綱紀公へ願い出て、山田野の御用林の内、5294坪の境内地を賜って、龍田の風の神様を祀り創始した。
また古文書「越の下草」によれば、「此社往古よりありて、中古傾廃に及ひけるを、元禄の頃里正・保長等すすめて、神祠を再興し五穀豊穣を祈るなり、第一川上には山下の暴風を避けん事を念ずるゆえ、里人不吹堂といふ」とある。
当社は延宝3年(1675)8月社殿創設、天明2年(1782)に本殿が再建されている。
総建築費は、山田組・野尻組・太美組・井口組・石黒組・山見組、180ケ町村に、惣轄して創建し、毎年の神社費用は6組10村へ万雑割を以って、明治初年まで加賀藩の認可を受け護持されてきた。
御宝物の木札によれば、元禄14年(1701)に神社の再興を図り、前記五柱の神様を祀り五社大明神となったことがわかる。
明治元年(1868)に級長戸辺神社と改称されて。当社は氏子もなく、その後は多くの崇敬村、篤志家の御浄財により護持されてきている。
現在の御本殿は昭和59年(1984)に改築された。
例祭日 7月15日 例大祭(風鎮祭)
12月 5日 新穀感謝祭

参道を進みましょう


手水舎です


拝殿です


大きな本殿です


拝殿北側にあった目通り幹囲5.4mの御神木は、令和4年(2022)11月に伐られてしまっていました


かつての面影が写真で表示されています




かつての御神木の東側(本殿北側・社務所の前)の杉が新な御神木となっています




東側から、目通り幹囲約5.0mの巨木です




北側から見上げました

では、次へ行きましょう


2014・4・12・7・15