旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

行原(ぎょうのはら)三十八社

2023-10-12 16:54:53 | 神戸市北区
2023年10月12日、お参りしました。
「当社の創建は、明治3年の『奉社伝記』によると『応仁2年(1468)1月15日、一村繁栄を祈り、地区内諸所方々の神々を一つに祀った』と記されている。当淡河町内にあって社殿施設は最小規模であるが、氏子地区を一望に俯瞰する高台に位置し、景勝の地に鎮座している。境内に、祇園社・八幡社の二社が配祀されている。江戸時代に声威をふるった堀口大庄屋が、地区内の二社(大歳神社・山平神社)と共に篤く奉斎した社といわれ、小規模ながらも、社頭今なおそうした遺風が感じられる。江戸末期と推定されていた社前の石灯籠が、倒壊したため、平成5年に小ぶりながらも氏子により復旧奉納された。行原集落は、淡河町内にあっても、氏子30余戸と極めて少ないが、由来、信仰の念篤き地区として知られ、法人神社三社、他に非法人の小社・小祠も多数鎮座している。」
神戸市北区淡河町行原105
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鳥居

手水鉢

石灯籠







三十八社の覆屋

本殿

八幡神社・天照皇大神



祇園神社


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中山神社

2023-10-12 16:14:42 | 神戸市北区
2023年10月12日、お参りしました。
「当社の創建は、明治3年の『奉社伝記』によると、『1115(永久3)年12月、土地の豪族下村八次郎、願主となり、表筒男命を祀る』と記されている。神社は、県道三木三田線より山間のゆるい小径を上ること約200メートルの台地上に鎮座する。いささか不便なる立地性によるものか、平素の参拝者はほとんどいない。銅板葺覆屋に納められる本殿は、江戸時代末期の建築と伝えられ、この地方共通の精緻な作風である。社殿前一対の石灯籠は、『宝暦15年」(1765)作のもの。古来より農作の神と仰がれ、12月13日の例祭には、豊穣感謝の意で『餅まき行事』が盛大に行われ、直会は、山を下って集落中央の公会堂にて、氏子揃って参加する。通称『峠の中宮さん』と呼ばれ、平素の維持管理は、集落内各班別の責任制で行っている。」
神戸市北区淡河町勝雄1434
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鳥居

階段の参道

山道





境内

石灯籠と覆屋

本殿






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塩田八幡宮

2023-03-02 21:30:02 | 神戸市北区
2023年3月1日、お参りしました。
「当宮は、この地を塩田の庄と総称する以前に創建にして、創立年月は不祥であるが、大同年間(806~)には既に御年神を奉祀する大歳神社として存し、後、京都石清水八幡宮より八幡三神の御霊ょ勧請合祀するに至り、石清水八幡宮の別宮となる。平安の仁和・寛平年間(885~)には度々在原行平卿の参拝を見、又、七十四代鳥羽天皇の御代、美濃局の庄園から土室園・磐若田等を寄進され、1158(保元3)石清水八幡宮宿院極楽寺領の庄園となり、その管理下に置かれ神宮寺としての体裁を成す。1336(延元元)年摂津守護職赤松範資より社領若干寄進される。その後、応仁の乱により社殿等を焼失するが、1499(明応8)年別当等の社僧谷の坊玉蔵院宝詮、大深太夫と協力して社殿再建を計り、1528(享禄元)年別当職玉蔵院は、石清水八幡宮に上り霊代を拝戴して再び奉斎する。1558(永禄元)年には、赤松氏一族の畑山利忠がこの地を攻略の折、当社を祈願所となし、梵鐘、寺領を寄進する。徳川幕政下、1657(明暦3)年三田藩主九鬼隆昌は社殿を再建するが、当八幡宮坊寺院が御室御所仁和寺の直末寺となめに至り、その支配を受け、これより別当恵日山蓮台寺宝蔵院と改称し、当宮を鎮守とした。明治維新の神仏分離により、神宮寺が廃されたが、石清水八幡宮の別宮として、北摂地域の守護神として、御神威益々昂揚して今日に至る。」
神戸市北区道場町塩田字八幡3238
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厳島神社(通称月見神社)
「塩田八幡宮の社務所の東側に鎮座する。祭神は市杵嶋姫命、天照大神より生まれ出でた宗像三神中の御一神で、弁財天とも称える。海の神・航海安全の守護神・運輸交通の神として知られている。往古、塩田川が此の山裾を流れており、多くの歌人がその情景を詠んだとされる。鎌倉時代の私撰和歌集である『夫木和抄』に、『岩高ミ塩田ノ川ニ船浮テ指上リタル月ヲ見ル哉』と収められている。『摂陽群談』「摂津名所図会』などにも記載されている。」
説明書





忠魂碑



鳥居

参道

鳥居

境内図

古札納所

手水舎

由緒書



狛犬



拝殿













本殿(神戸市指定有形文化財)
「本殿は、正面に千鳥破風・軒唐破風をつけ賑やかに飾る三間社流造で、全体に丁寧に作られている。彫刻は、蟇股をはじめ頭貫の木鼻や手狭、身舎正面と内外陣境の欄間など、いたって多彩である。1657(明暦3)年の棟札から、三田藩2代藩主九鬼長門守(隆昌)の寄進もあり再建され、『大工当村番匠屋伊左衛門永政』とあり、塩田村に技量の高い大工がいたことがうかがえる。」



授与所

ヒノキとヤマモモ
「樹齢500年以上経ている御神木である。」

祖霊殿

水神社

石清水祠

稲荷神社

高良神社

剣御前社

神明神社

式内神社



若宮八幡神社

山ノ神
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宅原一之宮神社

2023-03-02 20:54:29 | 神戸市北区
2023年3月1日、お参りしました。
「当社の創建は不祥であるが、その昔、里人川原村主は素戔嗚命の神託を受け、菅生の大池を開墾し田畑とした。その報恩として社殿を建立したという。その後1583(天正11)年、武田晴信の家臣馬場信直が社殿を改築し、一之宮明神と崇め奉る。1665(寛文5)年の本殿造営棟札と、1714(正徳4)年・1734(享保19)年の『由緒縁起』古文書を所蔵する。1873(明治6)年に近隣の大歳御祖神と八王子命を合祀し、1911(明治44)年にも近隣神社数社を境内末社として奉斎した。1929(昭和4)年に本殿改築を始め神域整備を成し、その後も記念事業等で大鳥居等を建立した。天正年間から記録が残っている奇祭を『乎波気祭』といって、44人の頭人のうち1年間を奉仕する2人の頭人は、10月10日の例祭前日に各家にて神籬を立て、氏神の分霊を迎えて祭を行う。祭礼当日には、子供神輿も繰り出し、また、境内では獅子舞の奉納や小餅撒きも行われる。」
神戸市北区長尾町宅原字宮ノ元1271
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説明書

鳥居



参道



狛犬





手水舎

社務所



舞殿



御牛

鳥居

狛犬



拝殿

本殿

末社・祖霊社

末社










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下上津熊野神社

2023-03-02 20:23:52 | 神戸市北区
2023年3月1日、お参りしました。
「当社の創建年月は不祥であるが、1844(天保159年11月、京都吉田神祇道より熊野権現玉串神宣啓状を得て再興したと伝えられている。10月の例祭に獅子舞が奉納される。その昔、この地方が大旱魃に見舞われたとき、雨乞いと五穀豊穣を祈願するため、越後国から獅子舞神楽を招いて奉納したのが始まりという。かつて、氏子中、長男が神楽講を編成していたが、農村の過疎現象が進み、存廃を討議され、一時存続が危ぶまれ、たが1966(昭和41)年に神楽保存会が結成され、更に1975(昭和50)年に50人会員の新組織『長尾町熊野神楽保存会』が結成され、青壮年25人の舞人が確保された。宵宮の日には、朝から獅子が氏子の家々をお祓いして廻る。この獅子に咬んでもらうと子どもも丈夫に育つといわれ、親は泣く子を無理やり獅子に咬んでもらっている。祭り当日は、豊作祈願と町内氏子中の娯楽も兼ねて、境内で盛大に舞われ、最後には餅撒きも行われる。獅子舞の演目は、本神楽・剣の舞・寝獅子・五尺踊り・猿獅子・御多福獅子・鼻の舞・京句・天狗獅子・背継獅子の十種類がある。」
神戸市北区長尾町上津字春日谷96
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参道

鳥居



説明書

手水舎

狛犬



拝殿

本殿



遥拝所

末社





祓戸大神


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上上津大歳神社

2023-03-02 19:55:16 | 神戸市北区
2023年3月1日、お参りしました。
「当社の創建は不祥だが、氏子中の所蔵する神社記録に『上津(こうづ)畑ノ庄内、上津畑村氏神、永正年間(1504~)、南都より大工を雇い神殿修繕す。承応二年(1653)巳三月、摂津大坂住の大工藤原朝巨鳥居甚兵衛正次、同九郎兵衛之を修理す。元禄七年(1694)長床を建て、同十年戌三月石灯籠建設」と記されている。その後、1914(大正3)年に本殿を改築すると共に、幣殿を新築した。境内に素戔嗚神社を祀っている。いい伝えによると、元禄7年建立の長床は、梁行二間桁行七間半でその棟木は、元末分からぬ美しき良材の一本松であった。長床で『日本大振袖』という芝居をするに、その後、村内に熱病が流行し、松樹霊神の怒りに触れたためとされ、以降、長床で一切芝居をしなくなったという。10月10日の例祭(秋祭)には、消防団員奉仕による締太鼓・鐘・摺鉦・太鼓等を鳴らしながらのだんじりが賑やかに町内を廻る。」
神戸市北区長尾町上津袋谷2030
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鳥居

参道

説明書

鳥居

手水舎

社務所

鳥居

狛犬



拝殿









本殿

素戔嗚社




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長尾神社

2023-03-02 18:46:28 | 神戸市北区
2023年3月1日、お参りしました。
「いい伝えによると、当地区は、もともと一面の湖水で、太古の水系は加古川の上流にあたり、後に現在の武庫川水流となったが、水が引くにつれ水田に、埋立て開墾されて農業地となったようで、古代の水田畦跡も発見されている。当社の後方は、その湖水の「銚子の口」に当たり、これより吹き越して流れるにより、1792(寛政2)年10月、京都吉田神祇道より神宣啓状を得て、水神である上筒男命・中筒男命・下筒男命を奉鎮し、住吉大明神・船着大明神と称した。本殿腐朽につき、1882(明治15)年2月に再建した。境内には、天照大御神を祀る太神宮社と、素戔嗚社がある。江戸時代には、上津畑荘八ケ村(岩谷・上津上・上津下・市原・簾・日西原・中大沢・上大沢)の惣社(産土神)であって、明治年間まで、この八ケ村が交替で秋祭の当番に当たり、神振いとして地車・獅子舞・相撲などを奉納していたという。明治40年頃に岩谷村のみの鎮座社となった。」
神戸市北区長尾町上津字二反田4288
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鳥居

説明書

鳥居

手水舎

狛犬



拝殿

本殿

末社




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日西原天満神社

2023-03-02 17:47:51 | 神戸市北区
2023年3月1日、お参りしました。
「この村に祇園左近太夫がいて、夙に菅公を崇敬していたところ、連夜、無数の埋め樹が生じ一斉に開花する夢を見たため、村の九大家を始め村人の賛を得て社殿を建て、京都北野神社より、菅公の御分霊を勧請したといい伝えられている。その後天文年間(1532~)、当村西浦城主高井重兵衛、灯明田を寄進す。1662(寛文2)年、社殿を再建修理(棟札写所蔵)し、更に、1774(安永3)年、大阪阿波橋玉屋五兵衛、灯明田を寄進す。1913(大正2)年、幣殿・拝殿を新設するも1929(昭和4)年に落雷により焼失し、1931(昭和6)年に本殿を再建した。10月10日の例祭には、地区内を廻った子供神輿が宮入りした後、練り込みがある。これは、御分霊勧請の際の村民の歓迎の名残りと伝えられている。境内では獅子舞などを奉納する。また、鳥居近くの土俵で子供相撲が行われる。」
神戸市北区大沢町日西原字門之前2413
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説明書

西の鳥居

参道

鳥居

狛犬



手水舎

獣神



社務所

狛犬



拝殿

本殿





末社、岩佐神社・木本神社・護国神社。地区内株の地神社









神輿
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簾天満神社

2023-03-02 17:22:58 | 神戸市北区
2023年3月1日、お参りしました。
「御祭神は菅原道真公です。当地区は、初め大沢町日西原鎮座の天満神社の氏子であった。何時の頃か定かでないが、同社頭神事の際、友国友善と当村安根太夫とが席次を争い、遂に分離を企て、洛陽(京都)北野神社より御分霊を勧請して社殿を創建したという。1720(享保5)年3月、社殿を再建し、1772(明和9)年、本殿覆を再建す。1889(明治22)年2月に社殿を再建し、1900(明治33)年7月より長尾町上津鎮座の長尾神社境外神社となるも、1915(大正4)年10月に分離した。伝説として、源平時代の1185(文治元)年2月の屋島の合戦の時、平家の武将能登数経が当村の竹を矢竹に調し、当神社に供え武運を祈ったという。神事として、毎月25日には、月例祭がとり行われる。秋祭り(10月)には祭典の後、子供神輿が地区内を練り歩く。参詣者には、献供品をくじせ引きで配る。」
神戸市北区大沢町簾字當田292
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説明書

鳥居

手水鉢

拝殿

本殿

末社
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多聞寺

2022-11-24 16:42:34 | 神戸市北区
2022年11月24日、お参りしました。
「孝徳天皇の頃(645~654)、現在の地より南東の古寺山に法道仙人が創建されたといわれている。その後、荒廃していた寺院を858年高野山の僧、長善阿舎利が復興した。平清盛の福原遷都の際(1177~1180)、古寺山が鬼門の方角にあたるので、新都の守護寺とされ大いに栄えたが、一の谷の合戦の際、源義経の別動隊多田源氏の一族が有馬郡に進出し、背後より福原を突こうとしたとき、多聞寺のみ平家に味方したので、兵火に焼かれ寺領も没収されたと謂われています。その後荒廃し、1462(寛政3)年に現在の地へ移された。境内には、樹齢300年以上のかやの木があり、神戸市の名木に指定されている。山号は六甲山と号す。真言宗の寺院。」
神戸市北区有野町唐櫃3086-1
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石碑





からと小学校発祥の碑

寺標



仁王門





羅漢道





参道の階段



手水舎



鐘楼堂



本堂











賓頭盧尊者



かやの木

庫裏

守護末社
愛宕大権現・八幡大菩薩・愛染稲荷大明神























宝篋印塔






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