旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

平野祇園神社と平清盛

2014-05-03 20:39:38 | 神戸市兵庫区
2014年5月3日
祇園神社(ぎおんじんじゃ)は神戸市兵庫区上祇園町にある神社です。
主祭神は、素戔嗚尊、櫛稲田姫命です。創建は不詳です。
由緒書によれば、第56代清和天皇の御代貞観11年(869)、京の都では、大雨が降り続いて川が氾濫して疫病がはやり多くの犠牲者が出ました。この疫病をおさめるため京都の北白川に祇園さんを建てる事になり、姫路市の城北にある広峯神社より素戔嗚尊のご分霊を頂き、京都におうつししました。その時、みこしがこの平野の地に一泊され、霊験あらたかなのを仰ぎ、お社を建てておまつりしたのが始まりと伝られています。
素戔嗚尊は仏教で祇園精舎の守護神とされている牛頭天王と同一視されたため、祇園神社はまた天王社とも呼ばれました。
清盛公は、豊かな国造りを目指し、日宋貿易の拠点であった大輪田泊に、波浪を避ける目的の人口島「経ヶ島」を築造する際、祇園神社の裏山にあったとされる潮音山上迦寺(現在は廃寺)で、海潮の響きを聞きながら、その計画を練ったと言い伝えられています。
神戸市兵庫区上祇園町12-1
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石灯篭
生島四郎奉献の灯篭です。生島四郎は、奥平野村の乾八左エ門の次男として文化2年(1805)に生まれ24歳で松屋(生島家)の養子となり明治19年、81歳で没しました。
神戸村の大庄屋を勤め、地主と酒造業、廻船業で家業の繁栄を築き豪商として知られていました。幕末、勝海舟と共に神戸港開港、外人居留地の開拓に尽力し、神戸の歴史に名を馳せました。













手水舎

従軍者記念碑

境内の市杵島姫社
市杵島姫命は弁才天と同一視される女神です。

境内の白玉稲荷社

境内の烏原神社
祭神は応神天皇です。石井川上流の烏原村にあった社が1905年(明治38年)の貯水用ダム(烏原水源地)によって水没したため、氷室村へ遷座するも1945年(昭和20年)の神戸大空襲で被災し、1995年(平成7年)の阪神大震災で石造の鳥居なども倒壊したため2006年(平成18年)に祇園神社境内に移されました。

境内の猿田彦社
道祖神・庚申講と関係が深い猿田彦大神を祭ります。

境内からの景色


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五宮神社

2014-05-03 20:14:28 | 神戸市兵庫区
2014年5月3日
五宮神社(ごのみやじんじゃ)は神戸市兵庫区五宮町に鎮座する生田裔神八社の一社です。
御祭神は、天穂日命(あめのほひのみこと)
由緒書によれば、天穂日命は、天照大御神が、弟神素戔鳴尊(すさのおのみこと)と剣玉を交換して誓約の時にお生まれになった五男神の一神で、天照大御神のご命令により出雲国に降り、国土開発と経営に努力された神と言われています。
この神社は、神功皇后三韓出征の帰途、巡礼された一社でもあり、厄除け・天下泰平・五穀豊穣のご神徳の高い神社として知られています。出雲国能美郡天穂日神社と関係があり、古来より平野一帯の氏神としてまつられています。
神戸市兵庫区五宮町22-10
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本殿

境内の猿田彦社

境内の岩松稲荷社

境内の出雲社
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祥福寺

2014-05-03 19:55:39 | 神戸市兵庫区
2014年5月3日
祥福寺(しょうふくじ)は神戸市兵庫区五宮町にある臨済宗の仏教寺院です。
貞享2年(1685年)12月、もと僧正眼が営んでいた平野五宮神社のほとりの小庵に、雲巌和尚によって創建され、盤珪禅師を招いて開山とし、禅寺の道場となりました。
本尊は、釈迦如来です。福原西国三十三箇所 第18番札所。
神戸市兵庫区五宮町22-17
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山門

階段の途中に



さらに階段

境内に



本堂







手水鉢

十三重塔

鐘楼

南天聖紫観世音

灯篭

手水舎

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荒田八幡神社

2014-05-03 18:32:17 | 神戸市兵庫区
2014年5月3日
荒田八幡神社の由緒書によれば、古くは高田神社といい、後に宝地院境内にあった八幡社を神仏混淆を避けて、明治31年(1898)にここに合祀して荒田八幡神社とされました。八幡神社の土地は、平清盛の弟・池大納言平頼盛の山荘であり、治承4年(1180)6月3日の福原遷都の際には安徳天皇の行在所となりました。

神戸市兵庫区荒田町3丁目99
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鳥居

本殿

清荒社と高田稲荷

安徳天皇行在所址碑

福原遷都800年記念碑
昭和55年(1980)6月3日に建てられました。
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安徳天皇菩提寺、宝地院、平頼盛公

2014-05-03 18:16:51 | 神戸市兵庫区
2014年5月3日
寺の説明によれば、当寺域はもと、平頼盛公(平清盛の異母弟)の山荘地で、治承4年(1180)の福原遷都の際、6月3日 安徳天皇が頼盛邸に入御された。御父の高倉天皇は、清盛公屋敷の雪の御所に入御された。しかしご都合があって、6月4日に安徳天皇と高倉天皇は、それぞれの御所を替わられて、高倉上皇が頼盛公屋敷にお移りになりその年の10月まで此の山荘に居られた。その因縁により、約百年後の弘安2年(1279)に、安徳天皇の菩提を弔うために僧 智鏡(智譽大圓)を開山として、宝地院が建立された。昭和20年のアメリカ軍の空襲で本堂は消失し、昭和24年に再建されたが、平成7年の阪神・淡路大震災で甚大な被害を受け、大規模修繕をし、現在となっています。

神戸市兵庫区荒田町3-17-1
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本門佛立宗・佛立寺

2014-05-03 17:57:49 | 神戸市兵庫区
2014年5月3日
佛立寺は、寺の説明によれば、高祖日蓮大菩薩(1222~1282)が,建長5年4月28日,久遠本佛の宗旨を開宣ときに創まります。その後,門祖日隆大聖(1385~1464)が高祖の真義を発揚して,法華経本門八品の教えにより上行要付本因下種の教旨をあきらかにし,再興された。更に安政4年1月12日,開導日扇聖人(1817~1464)が,本門佛立講を開き,蓮隆両祖の本意を伝えてその要義をあらわし,僧俗一体の信心を確立し,「上行所伝の南無妙法蓮華経」を唱えて御題目口唱の宗旨を立てられました。明治31年には寺号を「佛立寺」と公称される。

神戸市兵庫区荒田町3-7-19
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佛立開寺・日扇聖人像





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鎮守稲荷神社と平経俊塚

2014-04-27 14:44:39 | 神戸市兵庫区
2014年4月26日
 鎮守稲荷神社の創建は定かではありませんが、高田屋嘉兵衛が海上交通の安全を祈り奉納の石灯籠があることから、寛政年間(1789~1801)には鎮座していたと思われています。境内の一角に清盛の弟で経盛(つねもり)の第2子の「経俊(つねとし)」の塚が祀られています。
神戸市兵庫区西出町680
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手水舎

平経俊塚





高田屋嘉兵衛の献上灯籠

境内の日向神社




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竹尾稲荷と高田屋嘉兵衛の顕彰碑

2014-04-27 14:04:53 | 神戸市兵庫区
2014年4月26日
竹尾稲荷神社の御祭神は宇迦御魂大神(うがたまのおおかみ)で、享和二年(1802)光格天皇の御代に、地元の人々が、京都の伏見稲荷大社の分霊を勧請し、奉祀したとのことです。
説明書きでは、創建は定かではありませんが、境内に、文化10年(1813)11月と文政元年(1818)6月との年号が刻まれた石灯籠が2基あり、その頃に造られたと推定されています。
 高田屋嘉兵衛の顕彰碑は、兵庫から蝦夷地にかけて活躍した嘉兵衛を称え、昭和28(1953)年入江小学校の門脇に建立されましたが、平成5(1993)年、竹尾稲荷神社の境内に移設されました。

神戸市兵庫区七宮町1-3-18
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高田屋嘉兵衛の顕彰碑

高田屋嘉兵衛本店の地
竹尾稲荷神社の道路向いにあります。
嘉兵衛は、津名郡志本村の生まれ、22歳のときに、西出町の廻船問屋・堺屋喜兵衛のもとに身をよせ、もちまえの勇気と努力で4年後には1500石の辰悦丸を建造し船持ち船頭になりました。やがて廻船問屋として独立し、蝦夷地(北海道)の開発、日露間の紛争解決などに活躍し、兵庫津の繁栄につくしました。






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七宮神社

2014-04-27 13:52:34 | 神戸市兵庫区
2014年4月26日
 七宮神社は、御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)、相殿に大日霊貴命(おおひるめむちのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)を祀っています。
 創建の年代は不詳です。延喜式に載する八部郡汝売神が七宮の前身と称えられ、主祭神の大己貴命(おおなむちのみこと)が七つの名(大国主命(おおくにぬしのみこと)、大物主命(おおものぬしのみこと)、葦原醜男(あしはらしこを)、八千矛神(やちほこ)、大国玉神(おほくにたま)、顧国玉神())を持つことより七宮(しちのみや)神社と言われている説と神功(じんぐう)皇后が201年に三韓征伐凱旋帰国の途中七番目に巡拝したという説があります。
 平家一族が尊崇した神社で、もとは清盛が兵庫津を整備するに当たり、経が島築造のために産土神として社殿を建立し整備したといわれています。
 また、1799年には豪商高田屋嘉兵衛(かへえ)翁が辰悦丸を含む持ち船三隻の模型を奉納し航海安全を祈願、それ以降、海上業者は七宮神社を参拝するようになった。

神戸市兵庫区七宮町2-3-21
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鳥居

本殿

狛犬





手水舎


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金光寺、山王神社、久遠寺、藤之寺、古代大和田泊の石椋など

2014-04-27 11:37:57 | 神戸市兵庫区
2014年4月26日
兵庫区の運河の様子

清盛くん


古代大和田泊の石椋(いしくら)
大和田泊は、平安時代のはじめに律令国家の管理のもとに造営された泊(港)です。当時、物資輸送や外交航路として重要視されていた瀬戸内海の航路と泊の整備が進められていました。石椋は、石を積み上げた防波堤や突堤の基礎などの港湾施設であったと考えられています。
来迎寺の南西の歩道に展示されています。


金光寺
高野山真言宗で、本尊は薬師如来です。承安3年(1173年)に隆真法印が創建したとされています。
1995年(平成7年)の阪神・淡路大震災で、本堂、庫裡が全壊したが、再建された。
兵庫区西仲町2-12
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山王神社
近江国(滋賀県)の日吉神社の御分霊を勧進されたもので、創立年代は不詳です。門口町の守護神として地域の人たちに信仰されています。
神戸市兵庫区門口町36番

久遠寺
法華宗本門流のお寺です。
神戸市兵庫区門口町4-5
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阪神・淡路大震災の慰霊碑です。



由緒
このお寺は俗称「浜の寺」ともよばれており、これは平清盛が築島造成の当時は浜辺であったと思われます。








藤之寺
浄土宗の寺です。
寺伝によると、もとは北風家が佐比江に神功皇后から賜った御手形を御霊として主神に、相殿に春日明神を祀る社を建立し、奉仕する社僧のいた真言宗西光院であった。 のちに浄土宗の西光寺と改め、北風家の菩提寺であり、同家が白藤姓を名乗っていたことから俗に藤の寺とよばれるようになった。
兵庫区兵庫町1-3-6
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