旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

来迎寺

2014-04-27 10:51:21 | 神戸市兵庫区
2014年4月26日
来迎寺(らいごうじ)は、浄土宗西山派の仏教寺院です。
寺伝によると、平清盛公は我が国の貿易の中心地はこの兵庫であると確信して、良港を築くために海岸線を埋め立てる工事に着手した。
しかし、潮流が速く難工事であった。時の陰陽師が30人の人柱と一切経を書写した石を沈めるよう言上した。通行の旅人を捕らえたが肉親からの非歎は大きかった。このとき、清盛の侍童である讃岐香川領主大井民部の子、松王17歳が「人柱は罪が深い、わたしひとりを身代わりに沈めてください」と申し出た。応保元年(1161)7月13日、千僧読経のうちに松王は海底に沈み経ケ島造営は完成した。天皇は大いに感動され、松王の菩提を永く弔うために当寺を建立し、念仏の道場とされた。依って経島山来迎寺不断院と号し、通称築島寺の縁起です。

神戸市兵庫区島上町2-1-3
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清盛の寵姫妓王と妓女の墓
平家が壇の浦で敗れたため、平家ゆかりの兵庫の八棟寺(来迎寺の末寺)で一門の菩提を弔った。



松王小児入海之碑



珪化木
土中に埋もれた樹木が化石となったものです。








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海向山 阿彌陀寺と楠公供養石

2014-04-27 10:10:55 | 神戸市兵庫区
2014年4月26日
浄土宗西山禅林寺派のお寺で、文永8年(1271)浄音の開基といわれています。
神戸市兵庫区中之島2-3-1 
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本堂


楠公供養石
建武3年(1336)5月25日、湊川の戦いに大捷した足利尊氏が須佐の入江の奥にあった魚の御堂で楠正成の首改めをしたと言われる礎石です。この大石を黒田長政より絵屋が賜ったものを阿弥陀寺に寄贈された。昔の争いを水に流し平和を祈願して中庭より池中に納められた。


元和6年(1620)徳川期の大阪城再築普請に参加した加藤肥後守忠広の「加藤肥後守石場これより川南ひがし」と刻印された石です。



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史蹟 清盛塚と兵庫住吉神社

2014-04-27 09:41:08 | 神戸市兵庫区
2014年4月26日
 清盛塚は、清盛橋のたもとにそびえる十三重の石塔(県指定文化財)。平清盛墓と伝えられてきたが、発掘調査の結果、墳墓ではなく供養塔である事がわかりました。隣接する琵琶塚は、琵琶の形をした古墳を琵琶の名手であった平経正の墓として伝えてきたもので、ともに市電の道路拡幅工事により現在地に移されています。
兵庫住吉神社が同じ場所にあります。

神戸市兵庫区切戸町1-3
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史蹟 清盛塚



十三重の石塔
高さ約8.5メートルで「弘安9年(1286年)2月」の年号が刻まれています。



平清盛像
石塔の隣に、柳原義達(やなぎはらよしたつ)氏の作の像があります。

琵琶塚
琵琶の名手・平経正(つねまさ)にちなんだ碑が建てられています。


兵庫住吉神社
兵庫の津は、古来良港として発展してきました。明治10年、新川が開墾されて通じるとともに、神戸港の繁栄と守護の為に、浪速の住吉大社より勧進し、創建したとされています。

鳥居

本殿

境内にある橋本稲荷大明神


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真光寺と一遍上人五輪塔

2014-04-26 22:49:38 | 神戸市兵庫区
2014年4月25日
 真光寺は、仁明天皇(833年~850年)のころ、恵萼が唐より観世音を持ち帰り、和田岬で船が動かなくなったので、堂を建てて祀ったのが始まりという。
 真光寺は、もと兵庫輪田の崎島「光明福寺」に創まり宗祖一遍上人が念仏勧進の全国遊行の旅の途中、この地に立ちより正応二年(1289)八月二十三日観音堂に於いてご入寂、その後兵庫の信者達によって荼毘(火葬)に付され、霊骨を五輪塔に納められ、お木像を御影堂に祀り御遺徳を崇めました。
 御影堂において二祖真教上人が一遍上人の13回忌の法要を営んだと「遊行縁起(真光寺所蔵)」に記されていそうです。その頃二祖真教上人は、伏見天皇に奏して「真光寺」の寺名を拝受し、播州守護職赤松円心より寺領を寄進され、七堂伽藍は荘厳を極め、寺地三十八町四方に及んだといわれています。
 次いで後醍醐天皇より「西月山」の山号を勅賜され、南朝の皇族「尊観法親王」が住持されてより更に念仏の大道場として繁栄しました。

兵庫区松原通1丁目1-62
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門前の右です。


門前の左に「 一遍上人示寂之地」の石碑があります。


鐘楼

旅行柳
謡曲「遊行柳」によって知られている遊行十九代尊皓(そんこう)上人が、南無阿弥陀仏の名号をもって柳の精霊を済度された。安永3年(1744)10月、浪華の俳人佐々木泉明がその因縁をたどり、その柳の一枝を一遍上人示寂の地真光寺に移し植えたもの(今は枯れてしまってありません)で、この句碑を建てています。

一遍上人御廟
兵庫県指定記念物(史跡)(昭和46年4月1日指定)鎌倉時代後期
遺体は敬慕する沙弥教信のように野に捨てて獣に施せとの一遍の遺言であったが、在地の人々の結縁により観音堂前の松の根元で荼毘に付し、廟を設けたという。



五輪塔
花崗岩製石造五輪塔 兵庫県指定重要文化財(建造物)(昭和46年4月1日指定)鎌倉時代後期~南北朝時代
高さ1.95cm、阪神・淡路大震災で倒壊した時、中から骨灰が現れたという。



地蔵さん

六地蔵

平清盛公の御膳水の井戸
平清盛公が当寺に弁財天を勧進した時に、僧がこの井戸の水でお茶をたてて献上したと伝えられています。

境内にいくつかの句碑があります。
河野静雲先生句碑
「白露や永久に聖の御跡ど」
明治20年~昭和49年(1887~1947)
大正13年俳誌木犀発行、同9年ホトトギス同人、同16年冬野を発行。その生涯は虚子門下の俳僧として終始しました。

望月華山句碑
「菊剪ってわれ一介の祖廟守」
明治30年~昭和48年(1897~1973)
大正3年藤沢時宗宗学林に入り寮監河野静雲に俳句を習う。昭和21年神戸大檀林真光寺住職、同29年5月選挙によって法主候補に任じ、同45年1月多年の労作である『時衆年表』(角川書店)刊行しました。

境内にある熊野権現社
文永11年の夏(1274)、一遍上人が熊野証誠殿に参篭し、御神示を感得され、御託宣を受け、念仏勧進の遊行の旅を続けられたといわれています。以来、時宗にては熊野権現を守護神として尊崇しているとのことです。


和田の笠松の歌碑
寺の北側の須佐野公園にありました。
和田の笠松は、須佐の入江に聳え、入港船の目標となり、東西往還の目印となっていた。鎌倉時代初期の歌人、藤原為家の歌に「秋風の吹き来る峯の村雨に、さして宿かる和田の笠松」と歌われており、古くから有名な松であった。戦災で焼失したが、神戸史談会の記念事業としてこの地に植えた。


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御崎八幡神社

2014-04-26 22:22:14 | 神戸市兵庫区
2014年4月25日
当社の創建は、清和天皇、貞観年中(859~876)山城国男山(石清水八幡宮)に、豊前国宇佐神社より大神を奉迎し、鎮座いただいたのと、同時代に創建されたことが、社記に書かれているそうです。

神戸市兵庫区御崎本町1-1-49 
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右獅子
玉を押さえています。

左獅子
子獅子を抱いています。

手水鉢

阪神・淡路大震災被害記念碑

境内の稲荷神社

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薬仙寺と萱の御所蹟碑

2014-04-26 21:21:06 | 神戸市兵庫区
2014年4月25日
千憎寺塔頭の一つとも伝え、天平年中(729年~748年)行基の開山といわれています。 天平18年(746年)に日本で最初の施餓鬼会を行ったと伝えられています。 『摂津名所図会』に「往古の本尊は薬師仏にして、天台宗なり」とあり、延文年中(1356年~1360年)に京都の霊山国阿(時宗8世)が中興し、時宗に改宗しました。 福聚庵・普照院・荷松院・慈眼院・大光院・世尊院・全真庵の坊舎七字のうち、現在は普照院のみが残っています。現在の本堂は第二次大戦後(昭和48年)に再建されたものです。
建武年間(1334年~1337年)後醍醐天皇が隠岐島より帰京の途次病気となり、この霊泉で薬を調進するとたちまち平癒され、薬仙寺の号を賜わったという。
薬仙寺には、萱の御所あとの碑が残されています。萱の御所は、清盛が後白河法皇を幽閉した場所と伝えられています。
文久元年(1861)に、英国初代公使オールコックの一行が兵庫開港予定地を視察するために宿泊したゆいしょある寺院です。
神戸市兵庫区今出在家町4丁目1-14
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詠歌踊り念仏連名



花山法皇歌碑

大施餓鬼會日本最初之道場碑

萱の御所蹟碑
「牢の御所」ともいい、平清盛が後白河法皇を幽閉した建物で三間四方の粗末な造りであったといいます。伊豆国に流された際に源頼朝と出会った文覚(もんがく)上人は、後にこの御所に忍び入り平家追討の院宣(上皇及び法皇の命を奉じて出す文書)を賜ったと伝えられています。



神戸空襲戦没者慰霊碑

薬師出現古跡湧水



十三重の塔

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法然上人名号石

2014-04-26 20:49:14 | 神戸市兵庫区
2014年4月25日
承元元年(1207)に土佐に流される法然上人がこの地に泊まり、自ら「南無阿弥陀仏」の名号を石に彫って民衆のために供養をしたと伝えられています。
和田神社の北側の通りにあります。














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和田神社

2014-04-26 20:13:15 | 神戸市兵庫区
2014年4月25日
和田神社(わだみや)とは兵庫県神戸市兵庫区和田宮通3丁目2-51にある神社で、和田宮ともいいます。
祭神は天御中主大神、市杵嶋姫大神、蛭子大神。
蛭子大神が淡路を出て本土に上陸された最初の地が和田岬でそこにあった森を『蛭子の森』と云い神代の昔に蛭子大神が祀られた西摂最古の聖地です。
市杵嶋姫大神は、承安三年(1173)に平清盛が兵庫津(神戸港)の築港に着手した際に工事がことのほか難渋し、この事業の無事完成と将来の繁栄を祈願して、安芸の宮島より観請しました。
天御中主大神は、関西地方でお祀りしている神社が極稀で、江戸時代の国学者、本居宜長が『天の真中に坐々て世ノ中の宇斯たる神』また平田篤胤は『天地萬物の主宰神』と解され信仰されたご祭神です。
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大鳥居
関西一を誇っていた御影石の大鳥居は、平成7年1月17日未明に発生した阪神淡路大震災により全てが倒壊しました。現在のものとなりました。







宮比社(みやびしゃ)
元々この神社には『宮比講』という崇敬会が組織されていました。その象徴ともいうべきこの御社には古くより自らが信仰する神様を祀る習慣がありたくさんの神様がお祀りされています。

秋葉神社
秋葉社には火を司る神様が祀られています。火の幸を恵み、悪い火を鎮め、災いを祓い除きます。兵庫津には高田屋嘉兵衛や工楽松右衛門また北風家のような大きな廻船問屋が軒を連ねており、他にも特定の大名に物産取扱の特権を与えられた兵庫津独自の問屋がたくさんありました。その中にあって火事は一度にたくさんの財産を失う悲惨な出来事であり兵庫津では特に気
をつけなければならない事でした。また斎行される祭典では燃えている火を消火する『鎮火の儀』が行われます

蛭子大神















ご神木

高倉稲荷大明神



神田兵(こおだひょう)右衛門(えもん)の彰徳碑(しょうとくひ)



三浦清太郎翁顕彰碑
兵庫の漁業振興に尽力をしたことを記しています。

和田陽三宮司顕彰碑




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三石神社

2014-04-26 19:35:29 | 神戸市兵庫区
2014年4月25日
神戸市兵庫区にある三石神社(みついしじんじゃ)の鎮座地である和田岬は、神功(じんぐう)皇后摂政元年(200年)、凱旋の帰途上陸され、三つの石を立てて神占いをした結果、廣田・生田・長田・住吉の神々を其の地に祀らしめた儀式の地です。
後、推古天皇(602年)がこの地に来られ、ミゾギをされたので、祓殿塚(はらいどののつか)といい、玉座とされた石を三石といいます。
神戸市兵庫区和田宮通3丁目2-51
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三石神社の盃状穴
人為的に石に穿いた痕跡を盃状穴という。

神功(じんぐう)皇后像と幼き応神天皇を抱きた武内宿禰像

三石の遺跡
神功皇后(西暦200年)が3つの石をもって安産を祈られた処という。





境内にある三好稲荷神社


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時雨の松の碑

2014-01-25 11:26:28 | 神戸市兵庫区
2014年1月24日
福海寺にはかつて平清盛が好んだ「時雨の松」があった。その松はなく、碑だけが残されています。
場所は、兵庫県神戸市兵庫区西柳原町10-10、JR兵庫駅東徒歩5分です。
康永3年(1344年)に足利尊氏公により開かれ、室町将軍家から厚い崇敬を受けた臨済宗南禅寺派の寺です。

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