旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

滝善三郎の碑

2014-01-25 10:58:35 | 神戸市兵庫区
2014年1月24日
神戸事件のために切腹した滝善三郎の碑です。
能福寺境内にあります。

1868年2月4日に備前藩兵の隊列が神戸三宮神社近くに差しかかった時、付近の建物から出てきたフランス人水兵2人が列を横切ろうとした。これは日本側から見ると武家諸法度に定められた「供割」(ともわり)と呼ばれる非常に無礼な行為で、これを見た第3砲兵隊長・滝善三郎正信が槍を持って制止に入った。しかし、言葉が通じず、強引に隊列を横切ろうとする水兵に対し、滝が槍で突きかかり軽傷を負わせてしまった。明治政府初の外交問題となった。

この事件により、一時、外国軍が神戸中心部を占拠するに至るなどの動きにまで発展したが、その際に問題を起こした隊の責任者であった滝善三郎が切腹する事で一応の解決を見た。




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兵庫大仏

2014-01-25 10:24:28 | 神戸市兵庫区
2014年1月24日
身の丈11m重量60t、日本三大仏のの一つと称する「兵庫大仏」です。

明治時代に建立された初代大仏は、戦時中の金属回収で拠出されたため、現在の大仏は1991年に再建されました。
場所は天台宗の仏教寺院の宝積山能福寺(ほうしゃくざん のうふくじ)にあります。
新西国二十三番霊場であり、本尊は最澄作の秘仏・薬師如来像です。

805年(延暦24年)、唐に留学していた伝教大師最澄が帰途、兵庫の和田岬に上陸し自作の薬師如来像を安置し、日本で最初の教化霊場・能福護国密寺としたのが開創であると伝えられています。

JR兵庫駅から南東10分のところです。
兵庫県神戸市兵庫区北逆瀬川町1-39
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ジョセフ・ヒコの英文碑です。
我が国の新聞の父として有名な浜田 彦蔵(はまだ ひこぞう、天保8年8月21日(1837年9月20日) - 明治30年(1897年) 12月12日)は、幕末に活躍した通訳、貿易商です。
アメリカの地で教育を受け、安政元(1854)年にキリスト教の洗礼を受け、「ジョセフ」のクリスチャンネームを用いて、ジョセフ彦(ジョセフ・ヒコ Joseph Heco )と名乗るようになりました。
米国のリンカーン大統領と握手した唯一の日本人として下田の開港を迫ったペルリ提督の通訳として有名です。
神戸港に着いた外人客が神戸のマスコットとしての「兵庫大仏」を多数参拝したことから、当時の住職が寺の縁起のためにジョセフ・ヒコに依頼し、英文で造ったものです。






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湊川公園の楠正成像

2014-01-25 10:01:41 | 神戸市兵庫区
2014年1月24日
神戸市営地下鉄湊川公園の北側に楠木正成の像があります。

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