旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

桃山天満宮・伏見義民史跡

2014-09-10 20:07:12 | 京都
2014年9月9日
御香宮神社の境内にあります。御香宮神社の表門を入って、右手にあります。
説明書より『当社は学問書道の神「菅原道真」をお祀りしています。その昔、御香宮の東に蔵光庵というお寺がありました。1390年頃(室町時代)この寺の僧の夢枕に菅原道真がたたれました。数年後、同門の僧から菅原道真の画像が贈られました。それは夢で見たお姿と同じであったので、僧は自分の学問を守ってくださる神として寺の中に天満大神として祀りました。江戸時代、「山ノ天神」として伏見の町の寺小屋の子ども等は、2月と6月には必ずお参りしていました。しかし、次第に荒れてきましたので観音寺の僧教覚が町の中にお遷ししようと、木谷市造と、宮大工坂田岩次郎の協力を得て、20年間の歳月をかけて天保12年(1841)に完成しました。この時、坂田岩次郎は使用した大工道具を完成御礼として奉納しました。この大工道具約70点は日本の木造建築を支えた道具文化財として大切に保管されています。」
京都市伏見区御香宮門前町
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石碑



拝殿





伏見義民史跡
御香宮神社の表門を入ってすぐに左手にあります。
説明書より「天明5年(1785)、時の伏見奉行小堀政方の悪政を幕府に直訴し、伏見町民の苦難を救い、自らは悲惨な最期を遂げた文殊九助ら7人を伏見義民という。江戸時代(1603から1867)伏見は交通の要衝として栄え、政治・経済上重要な地であったため、幕府の直轄地として奉行所が置かれた。安永7年(1779)に奉行となった小堀政方は数々の悪政を行い、住民に対する苛斂誅求は言語に絶するものであった。文殊九助、丸屋九兵衛、麹屋伝兵衛、伏見屋清左衛門、柴屋伊兵衛、板屋市右衛門、焼塩屋権兵衛の7人は、奉行の悪政に虐げられた住民の苦難を坐視するに忍ばず、苦心惨澹の末、天下の掟を破って幕府に直訴した。このため、天明5年(1785)政方は奉行を罷免されたが、九助ら7人も獄中で相次いで病死した。この碑は明治20年(1887)に建てられたもので碑文は勝海舟の撰、題字は三条実美の書である。」

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御香宮神社(ごこうのみやじんじゃ)

2014-09-10 20:06:31 | 京都
2014年9月9日、お参りしました。JR奈良線桃山駅から徒歩5分くらいの位置です。
由緒書より『創建年は不詳です。神功皇后を主祭神とし、平安時代貞観4年(862)9月9日に、この境内から「香」の良い水が涌き出たので、清和天皇よりその奇端によって、「御香宮」の名を賜ったという。豊臣秀吉は伏見城の守り神とした。慶応4年(1868)正月、伏見鳥羽の戦には伏見奉行所に幕軍が據り、当社は官軍(薩摩藩)の屯所となったが幸いにして戦火は免れた。』
京都市伏見区御香宮門前町174
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表門(重要文化財)
元和8年(1622)、 徳川頼房(水戸黄門の父)が伏見城の大手門を拝領して寄進した。

鳥居と参道

東の鳥居

狛犬



拝殿

装飾が綺麗ですね。











本殿(重要文化財)











絵馬堂

竹田街道の車石



神馬

母子像と可愛い地蔵さん

鳥羽伏見の戦いの碑









祓所

能舞台

奉納の酒樽



松尾社





東照宮

太神宮

豊国社

稲荷社

末社







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許波多神社(こはたじんじゃ)

2014-09-10 13:36:10 | 京都
2014年9月9日、お参りしました。JR奈良線黄檗駅より西に1.1Km徒歩15分の位置にあります。萬福寺にお参りした後、少し足を伸ばしてみました。
略記より「当神社は孝徳天皇大化元年(645年)勅願により、皇祖の御神霊を奉祀するため創建せられ、延喜式神名帳(927)所載の大社である。永禄12年(1569)9月、正一位の神階を受けた。明治8年旧大和村柳山境域3万6千余坪を擁し、柳大明神と称し奉った。明治時代、陸軍宇治火薬製造所(現 陸上自衛隊宇治駐屯地)の建設のため社地全体が官有地として召し上げられ、当社は御旅所であった旧岡田村内の現在地に遷座し、その際に社名を旧称の許波多神社に改称した。」
本殿、半舌鐙を重要文化財に指定されています。
宇治市五ケ庄古川13
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参道と一之鳥居

鳥居

手水鉢(旧鎮座地の橋桁で複元した)

拝殿

神馬



御神木の瘤
さすって、ご利益があるとか、ガン封じや心の癒しにもいいとか。

本殿(重要文化財)

宇治市の名木・むくのき

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萬福寺(禅宗・黄檗宗の大本山)

2014-09-10 08:57:03 | 京都
2014年9月9日、お参りしました。
パンフレットより「1654年(江戸時代)、中国福建省から渡来した隠元禅師が後水尾法皇や徳川四代将軍綱公の尊崇を得て、1661年に開設された寺院です。黄檗山萬福寺です。黄檗宗では、儀式作法は明代に制定された仏教儀礼で行われ、毎日誦まれるお経は黄檗唐韻で発音し、中国明代そのままの法式梵唄を継承しています。建造物は、中国明朝様式を取り入れた伽藍配置です。創建当初の姿そのままを今日に伝える寺院は、日本では他に例がなく、代表的な禅宗伽藍建築群として、主要建物23棟、回廊、額、聯などが国の重要文化財に指定されています。」
拝観料は500円です。JR奈良線の黄檗駅より徒歩5分です。
宇治市五ケ庄三番割34
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布袋様

案内図

総門(重要文化財)
右の屋根が少し低い牌楼式の中国的な門です。

放生池



菊舎碑
「山門を 出れば日本ぞ 茶摘み唄」
一宇庵田上菊舎は、宝暦3年(1753)10月14日、現山口市豊北町田耕に生まれた。16歳で近くの村田家に嫁いだものの、24歳のとき夫と死別した。子どもがいなかったため、実家に復籍した。俳諧の道をこころざし、芭蕉を慕い、尼僧になって、諸国行脚に明け暮れ一世を風靡した美嚢派の俳人です。菊舎が萬福寺に初めて詣でたのは寛政2年(1790)3月、38歳のときで、黄檗山のたたづまいに酔いしれた菊舎が、三門を出た時、門前の茶畑から茶摘うたが聞こえ、我に返った時の句です。

三門(重要文化財)

境内より

天王殿(重要文化財)











天真院表門

参道

松隠堂・通玄門(重要文化財)

松隠堂・客殿(重要文化財)

松隠堂・開山堂(重要文化財)

回廊



松隠堂・寿塔(重要文化財)



石碑亭(重要文化財)

合山鐘

境内



回廊

鼓楼(重要文化財)

祖師堂(重要文化財)

慈光堂

怨親平等塔
昭和12年に日中戦争に、当時の住職山田玉田和尚が、心を痛め、両国の将兵と国民の精霊を慰め、両国が1日も早く友好の昔にかえり親和親善の浄界実現を心から祈願して宝篋印塔を建てました。

法堂(重要文化財)



東方丈(重要文化財)

巡照板
ここで修行する雲水が正覚をめざして精進を誓い、自覚を促すために巡照板を打ち鳴らして各寮舎を回ります。

円窓

大雄宝殿(重要文化財)
萬福寺の本堂であり、最大の伽藍です。日本では唯一最大のチーマ材を使った。歴史的建造物です。本尊は釈迦牟尼佛、両脇侍は迦葉、阿難の二尊者、両単に十八羅漢像を安置しています。































祠堂(重要文化財)

開版
斎堂前にある魚板で木魚の原形となっているものです。時を報ずるものとして今も使われています。

雲版

斎堂(重要文化財)
食堂です。

生飯台
食前に一箸の飯を餓鬼や鬼子母神に施しをする台です。

伽藍堂(重要文化財)

鐘楼(重要文化財)

売茶堂入口











茶具塚

聯燈堂

境内社

菩提樹


萬寿院
萬福寺の塔頭で、1675年萬福寺第2代住持・木庵禅師の弟子明道禅師によって開創され、 木庵禅師の塔所となっています。
表門

庫裏

客殿

萬松院
萬福寺の塔頭で、龍渓禅師の弟子・東巌禅師によって龍渓禅師の塔所として開創されました。

表門(宇治市指定文化財)

天光塔(宇治市指定文化財)

不動尊
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