2015年3月11日、お参りしました。
JR垂水駅の南側すぐのところに鎮座しています。
由緒は、「今から1800年前くらいの昔、神功皇后が三韓よりの帰路、暴風雨のため、どうしても御座船を進めることができなくなり、皇后御みずから綿津見三神をお祭りになり、御祈願されましたところ、たちどころに風波がおさまり御無事に都へ御還りになりました。その時神功皇后が綿津見三神をお祭りになったところに御社を建て、御神徳を仰いだのが鎮座の由来です。」
神戸市垂水区宮本町5-1
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鳥居
国道2号線を渡って南側にあります。
北側には「綿津見神社」となっています。
燈籠
鳥居
狛犬
子がまつわり付いているのが愛らしいです。
手水舎 龍の水口
拝殿
本殿
猿田彦社、蛭子社、稲荷社
七福神
天神社
山田岸松像
神戸市西部漁業協同組合の初代組合長で、垂水漁港の整備など、県の水産業発展に尽力されました。
寶ノ海神社
海神社の南の鳥居の東側に鎮座しています。垂水の海の安全と豊漁を願って建立されたようです。
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遊女塚(宝篋印塔)
神戸市垂水区仲田町1 西垂水墓地
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説明書より「このような形の塔を宝篋印塔(ほうきょういんとう)といいます。日本にだけ見られる形の塔で、峠や村境などに建てられ人々の安全を守ってくれると信じられていました。この塔は、総高4mにおよぶ大きなもので、他にあまり例のないものです。塔自体が大日如来で中央部四方にある梵字は、それぞれの如来仏を表しています。笠石の四隅にある三角形の突起の梵字は如来を守る四天王と如来に奉仕する四菩薩を示しています。台石に縦に彫られて12行の文字には塔創立の功徳とこの塔が建武4年(1337)3月に士忠禅師によって建てられたことが書かれています。塔はもと、山陽道に沿った丘の上に建てられていましたが、鉄道開通(明治21年)によって現在地に移されました。」
JR垂水駅の南側すぐのところに鎮座しています。
由緒は、「今から1800年前くらいの昔、神功皇后が三韓よりの帰路、暴風雨のため、どうしても御座船を進めることができなくなり、皇后御みずから綿津見三神をお祭りになり、御祈願されましたところ、たちどころに風波がおさまり御無事に都へ御還りになりました。その時神功皇后が綿津見三神をお祭りになったところに御社を建て、御神徳を仰いだのが鎮座の由来です。」
神戸市垂水区宮本町5-1
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鳥居
国道2号線を渡って南側にあります。
北側には「綿津見神社」となっています。
燈籠
鳥居
狛犬
子がまつわり付いているのが愛らしいです。
手水舎 龍の水口
拝殿
本殿
猿田彦社、蛭子社、稲荷社
七福神
天神社
山田岸松像
神戸市西部漁業協同組合の初代組合長で、垂水漁港の整備など、県の水産業発展に尽力されました。
寶ノ海神社
海神社の南の鳥居の東側に鎮座しています。垂水の海の安全と豊漁を願って建立されたようです。
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遊女塚(宝篋印塔)
神戸市垂水区仲田町1 西垂水墓地
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説明書より「このような形の塔を宝篋印塔(ほうきょういんとう)といいます。日本にだけ見られる形の塔で、峠や村境などに建てられ人々の安全を守ってくれると信じられていました。この塔は、総高4mにおよぶ大きなもので、他にあまり例のないものです。塔自体が大日如来で中央部四方にある梵字は、それぞれの如来仏を表しています。笠石の四隅にある三角形の突起の梵字は如来を守る四天王と如来に奉仕する四菩薩を示しています。台石に縦に彫られて12行の文字には塔創立の功徳とこの塔が建武4年(1337)3月に士忠禅師によって建てられたことが書かれています。塔はもと、山陽道に沿った丘の上に建てられていましたが、鉄道開通(明治21年)によって現在地に移されました。」