旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

ハートンホテル京都

2018-01-21 22:23:03 | 温泉、旅館、ホテル
2018年1月18日、宿泊しました。プラン名は特別/京懐石(竹)でツインの部屋です。京都地下鉄烏丸御池駅から北側出てすぐの位置にあります。自動車が一泊1600円ということで、利用しました。
京都府京都市中京区東洞院通御池上ル船屋町405
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外観

フロント

室内





廊下

食事会場



夕食、京懐石
前菜、胡麻豆腐・筍・鱈、食前酒

吸い物

刺身盛り合わせ

煮物、アナゴの巻物・慈姑、蕗

鰤・黒豆・ひまわりの種・瓢箪

天ぷら盛り合わせ

炊き込みご飯・赤だし・香の物

デザート

もちろん生ビールで美味しくいただきました。
庭園



朝食は、和定食か洋風のバイキングのどちらかの選択です。バイキング形式にしました。



後でデザートとしてフルーツとコーヒーをいただきました。ご馳走様でした。
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久世神社・城陽市

2018-01-21 17:14:30 | 京都
2018年1月18日お参りしました。
説明書より「久世廃寺跡は、国指定史跡です。久世廃寺は、塔を東、金堂を西に置く法起寺式の伽藍配置をとります。寺域は東西約120m、南北約135mと推定されており、寺跡の大半は久世神社の境内地となっています。境内には塔跡・金堂跡・講堂跡が、土壇として残っています。」
京都府城陽市久世芝ケ原142
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鳥居

参道

社務所











狛犬



拝殿





本殿(重要文化財)
「建立年代は明らかではないが、室町前期(1333-1392)に建立と考えられます。丹塗の一間社流造、檜皮葺で、柱上部・組物・庇水引虹梁・庇蟇股などを極彩色に仕上げています。内部は内陣と外陣に分かれ、内陣正面には幣軸付板扉、外陣正面に引違の格子戸を四枚たてています。内陣正面の板扉には扉二枚にわたり大きな松を描き、左右の脇羽目板にも草花を描いています。内陣正面の欄間中央に巴紋、左右に六弁の花紋を飾っています。外陣正面には透彫り欄間をいれ、単純化した唐草文様を柱間一間分にわたって彫刻した中に、中央に菊、左右に各二個ずつ計四個の桐を配しています。」











末社


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水度神社・城陽市

2018-01-21 17:12:28 | 京都
2018年1月18日にお参りしました。
説明書より『鴻ノ巣山のふもとにある水度神社は、旧寺田村の産土神で、祭神は天照皇大御神・高御産霊神・少童豊玉姫命です。「山城国風土記」逸文に「久世の郡水渡の社祇社」とあることから、風土記が編さんされた奈良時代には存在したと考えられます。平安時代前期に成立した「延喜式」には、「水度神社三座」と記されています。本殿は、市内に現存する最古の建物です。水度神社には、京都府登録文化財の「おかげ踊り図絵馬」と、城陽市指定文化財の「鉄湯釜」、「大般若経」があります。「おかげ踊り図絵馬」は、文政13年(1830)11月1日に寺田村北東町の人々が水度神社に奉納したおかげ踊りの様子を描いたものです。「鉄湯釜」は湯立て神事に使われていたと考えられ、銘文から応永32年(1425)に作られたことがわかります。「大般若経」は、鎌倉時代前期にさかのぼる書写経で、村落における信仰の歴史を知る貴重な資料です。』

京都府城陽市寺田水度坂89
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鳥居

参道

手水舎



絵馬殿









拝殿





狛犬



本殿(重要文化財)
「室町中期の文安5年(1448)建立、一間社流造、正面千鳥破風付、檜皮葺。庇正面中央に透彫の唐草と笹りんどうをあしらった欄間がつけられ、意匠を凝らした優美な建物です。」



















稲荷社

末社







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荒見神社・城陽市

2018-01-21 17:09:10 | 京都
2018年1月18日にお参りしました。
由緒書より「御祭神は、天火明尊、天香語山尊、天村雲尊、阿比良依姫尊、木花開耶姫尊。おやしろは皇紀1307年即ち大化3年(647)に五社谷の浄地に創建され寛正2年(1461)3月に今の神地に御遷宮。御社殿は慶長9年(1604)9月3日再建、明治中期まで安羅見天神宮の御社号なり。三間社流造で元国宝、学業達成、子守の神様、縁結、安産、育児、延命宝寿、子孫繁栄、事業隆盛、交通、航空安全、建築業に豊運の御加護を垂れ給ふ神々をまつる信仰社。神井の湧水は諸禍退散生命根源の神水なり。古くより宮座あり古儀を伝えて西冨野宮座現存する。」
京都府城陽市富野荒見田165
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鳥居

狛犬



薬医門





手水舎の龍

開運絵馬

絵馬



拝殿

拝所

本殿(重要文化財)
「桃山時代の慶長9年(1604)建築、三間社流造、檜皮葺。」



蟇股





御霊社(京都府登録文化財)

蟇股

菊水神座




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酬恩庵(一休寺)

2018-01-21 17:06:20 | 京都
2018年1月18日、お参りしました。
パンフレットより「京都府南部に位置し、大阪・奈良との府県境にも近い京田辺市。交通の要衝として古くから文化が開け、豊かな自然にも恵まれたエリアで、日本屈指の品質を誇る玉露の産地でもあります。
 鎌倉時代、臨済宗の高層・大應国師(南浦紹明)が、釈迦如来坐像を本尊として、この地に「妙勝寺」という禅寺を創建しました。そして、元弘の乱(1331年)の戦禍で荒れ果てた寺を再興し、師恩に報いる意味で「酬恩庵」と命名したのが一休宗純(1394~1481年)。大應国師の六代の法孫で、「一休さん」と親しまれている禅師です。
 一休は京都生まれ、後小松天皇の落胤とされ、政権の混乱を避けて6歳で安国寺に入門しました。若い頃は諸国を放浪しながら修行。一休の名は大徳寺の高層・華曳宗曇(かそう そうどん)により、「有漏路(うろじ・煩悩の世界)より無漏路(むろじ・悟りの世界)へ帰る 一休 雨ふらば降れ 風 ふかば吹け」という一休の言葉から道号として授けられました。晩年は酬恩庵に定住。81歳で大徳寺の住職となってもここから通い、88歳で病没、今も境内で眠っています。
 生前、一休禅師は、京都東山にあった茶室造りの「虎丘庵」を、戦乱から守るために移築。わび茶の創始者・村田珠光や能役者・金春禅竹(こんばる ぜんちく)ら文化人と交流しました。一方で、蛋白質が豊かな保存食「一休寺納豆」の製法を伝えるなど、応仁の乱で飢えた庶民のためにも行動しています。ざんばら髪に無精髭、破天荒なふるまいは、禅僧とは程遠い姿でした。しかしそれは、人々に格式張らず接するのが目的で、「形にとらわれるのではなく、精神が大切」という教えや権力者への風刺も込めたものであると言われています。
 没後も一休禅師は多くの人に慕われ、江戸時代には説話『一休咄』が作られたことで、「とんちの一休さん」として有名になりました。また、加賀藩前田家が寄進した方丈と玄関、庫裏、東司などは重要文化財に指定。江戸初期の一流文化人らが作庭した方丈庭園、禅院枯山水の蓬莱庭園である北庭。そして宗純王廟と虎丘庵を背景とする南庭は、四季の美と悠久を感じられる禅苑庭園です。
 庭園を眺めていると、一休禅師の「なるようになる。心配するな」という言葉が浮かびます。一瞬を大切に生き、まっさらな心で発想を転換して未来を拓く。現代にも通じる、人生へのエールでしょう。」
京都府京田辺市薪里ノ内102
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駐車場の土産物店

境内案内図

総門

石垣

参道

石碑



手水舎

浴室(重要文化財)
「桁行五間、梁間三間、切妻造、妻入、本瓦葺。禅宗の七堂伽藍の一つであり、本尊は入浴時に悟りを開いた跋佗婆羅である。内部は蒸し風呂となっており、浴室は東司、禅堂、食堂などの三黙堂の一つとして静寂さを大切にする厳粛な修行の場である。この建物は、大阪の冬の陣に薪村に布陣した加賀の前田利常が慶安3年(1650)に寺観を整えた際に新築されたものである。」





絵馬

三本杉

一休禅師墓所
「一休禅師は文明13年(1481)11月21日、88歳で当寺で示寂されたがこれに先だって文明7年ここに寿塔を建立し、平素敬慕されていた宋の慈明・楊岐両禅師の名をとって慈楊塔と名づけられたのである。今日の建物は法華堂と改称され内に卵塔がある前面の庭は茶祖村田珠光の作と伝えられ禅院式枯山水の様式で室町時代の古風をよく存している。一休禅師は人皇百代後小松天皇の皇子であるのでこの一画は宮内庁の御陵墓として管理している門扉に菊花の章があるのもこのためである。」





虎丘庵

庫裏(重要文化財)
「江戸前期の慶安5年(1652)建築、桁行16.0m、梁間16.0m、一重、一部二階、切妻造、妻入、南面及び北面庇付、こけら葺、西面庇付、こけら及び桟瓦葺、東面渡廊下附属、檜皮葺。」

唐門

囲炉裏







井戸





方丈

庭園(名勝)
「虎丘庭園と方丈庭園とよりなる。虎丘庭園は作庭年代は明らかでないが、室町時代であると伝えられる。虎丘庵の庭園であって庵の周囲に庭石と二個の手鉢とを布置し、これに木斛、梅、椿などと刈込みとを配している。小面積の庭として見るべきところがある。方丈庭園は慶安3年に前田利常が方丈を再興せる頃の築造と考えられ、文化2年原在明の画ける酬恩庵の図は現況を表している。方丈の南、東、北の三方面に作庭され、南庭は長方形の白砂敷であって後部の斜面に刈込物を作り西南隅に蘇鉄を植え禅宗寺院の方丈庭園の体型を現している。東庭と北庭とは特に密接な連繫を有し東北隅に主石を組み、これより築地塀に添い多数の庭石を南と西に流し、東庭と北庭を構成している。東庭はほぼ直線的に庭石を置き、北庭は庭石、石塔、石燈籠、つくばい、手水鉢などを配し十六羅漢の遊行に象とるものと伝えられる。備景として遠く比叡と男山を望み、近く木津川と田畑とがあり、これらのものが遊景と融合して優秀な景趣をなしている。」



























一休寺納豆





中門

本堂(重要文化財)
「室町後期の永正3年(1506)建築、桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、背面庇附属、檜皮葺。」







宝蔵

一休像



開山堂





放生池の鴨さん







このはしわたるな

























茶人寸松庵之墓

鐘楼(重要文化財)
「江戸前期の慶安3~承応3年(1650~1654)建築、桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺。」



江庵


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