2018年2月18日、奈良市内観光でお参りしました。
パンフレットより「天平19年(747)、聖武天皇の病気平癒を祈願して、お后の光明皇后によって創建されました。聖武天皇は、天平15年(743)、動物植物ことごとく栄える世の中をめざし、皆で力を合わせて虜舎那大仏を造立することを発願され、近江国信楽宮で行基菩薩をはじめ多くの人々とともに大仏造立に着手されました。ところが、天平17年(745)に入り、山火事と地震が頻発したため、工事を中断して平城宮に戻られました。大仏造立は平城宮の真東の山麓(現在の東大寺)で再開されましたが、天皇ご自身は体調をくずされました。そこで天皇の病気を治すため、都とその近郊の名高い山、きよらかな場所で、薬師悔過が行われ、都と諸国に薬師如来七躯を造立し、薬師経七巻を写経することが命じられました。これをきっかけに、光明皇后によって春日山、高円山の麓に、新薬師寺が造営されました。天平勝寶3年(751)に、新薬師寺で聖武上皇のための続命法が行われ、天平勝寶4年(752)、東大寺で大仏開眼供養会が営まれました。新薬師寺の金堂には、七仏薬師が祀られていました。金堂は平安時代、応和2年(962)の大風により倒壊し現存していませんが、現在の本堂の西方約150メートルやや南寄りにあり、堂内に七仏薬師、脇侍の菩薩二躯ずつ、十二神将が並んだ東西に長いお堂(横幅約30メートル)だったことが、最近の発掘調査で確認されました。その他に壇院、薬師悔過所、政所院、温室、造仏所、寺園、東西の塔が存在していたことが史料からわかります。鎌倉時代までに、東門、南門、地蔵堂、鐘楼などが建てられ、本堂を中心とした現在の伽藍が整備され、修理を繰り返し今にいたっています。」
奈良県奈良市高畑町1352
map
南門(重要文化財)
「鎌倉後期(1275-1332)建築、四脚門、切妻造、本瓦葺。境内の正面にある、表門。」
鐘楼(重要文化財)
「鎌倉前期(1185-1274)建築、桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺。」
梵鐘(重要文化財)
「銅製、口径104センチメートル、奈良時代鋳造。」
境内
石仏群
稲荷社
会津八一歌碑
地蔵堂(重要文化財)
「鎌倉前期の文永3年(1266)建築、桁行一間、梁間一間、一重、入母屋造、妻入、本瓦葺。」
東門(重要文化財)
「鎌倉前期(1185-1274)建築、棟門、切妻造、本瓦葺。」
本堂(国宝)
「奈良時代(710-793)建築、桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、本瓦葺。本堂は様式上奈良時代のものと思われ、天平19年光明皇后が新藥師寺を創立された時に建立されたものと見られる。堂は内部に天井を張らず全部化粧屋根裏とし、中央に大きな円形仏壇を設けた珍らしい形式を持っている。」
薬師如来坐像(国宝)
「新薬師寺の本尊です。頭と胴体など体幹部分は一本のカヤの木から彫り出され、手と足は同じカヤの木から寄せ木し、全体の木目を合わせ、一本の木から丸彫りした様に造られています。光背には宝相華樹が大きな葉を翻らせ花を咲かせながら上に伸び、花の上の六躯の小仏は本尊と併せて七仏薬師を示しています。」
十二神将立像(国宝)
「奈良時代のもので、像高152~166センチメートル。土壇の上で円陣に取り巻いて、お薬師さまを護衛しています。」
撮影不可のため、パンフレットより転載。十二神が干支となっており、その前に絵馬を掛けて願掛けをします。
竜王社
実忠和尚御歯塔
香薬師堂
鏡神社
「この神社は、春日移しの社であります。春日大社古記録によると、延享3年(1746)春日大社が第46次式年遷官による御造営のとき旧社殿のうち第三殿を譲渡した、とある。」
鳥居
拝殿
狛犬
本殿(奈良市指定文化財)
『一間春日造、檜皮葺。享保13年(1728)建築、鏡神社は大同元年(806)に新薬師寺の鎮守として勧請されたと伝える。記録には春日大社第47次式年造替の延享3年に、本社本殿の第三殿を鏡神社に譲渡したとあり、さらに昭和34年の本殿修理中には、屋根裏から「三ノ御殿」の墨書銘が二か所で発見されている。鏡神社本殿は、春日大社本社の旧本殿であり、当初の部材がよく残るとともに、移築の経緯も記録に残っていて貴重である。』
比賣神社・鏡神社の摂社
パンフレットより「天平19年(747)、聖武天皇の病気平癒を祈願して、お后の光明皇后によって創建されました。聖武天皇は、天平15年(743)、動物植物ことごとく栄える世の中をめざし、皆で力を合わせて虜舎那大仏を造立することを発願され、近江国信楽宮で行基菩薩をはじめ多くの人々とともに大仏造立に着手されました。ところが、天平17年(745)に入り、山火事と地震が頻発したため、工事を中断して平城宮に戻られました。大仏造立は平城宮の真東の山麓(現在の東大寺)で再開されましたが、天皇ご自身は体調をくずされました。そこで天皇の病気を治すため、都とその近郊の名高い山、きよらかな場所で、薬師悔過が行われ、都と諸国に薬師如来七躯を造立し、薬師経七巻を写経することが命じられました。これをきっかけに、光明皇后によって春日山、高円山の麓に、新薬師寺が造営されました。天平勝寶3年(751)に、新薬師寺で聖武上皇のための続命法が行われ、天平勝寶4年(752)、東大寺で大仏開眼供養会が営まれました。新薬師寺の金堂には、七仏薬師が祀られていました。金堂は平安時代、応和2年(962)の大風により倒壊し現存していませんが、現在の本堂の西方約150メートルやや南寄りにあり、堂内に七仏薬師、脇侍の菩薩二躯ずつ、十二神将が並んだ東西に長いお堂(横幅約30メートル)だったことが、最近の発掘調査で確認されました。その他に壇院、薬師悔過所、政所院、温室、造仏所、寺園、東西の塔が存在していたことが史料からわかります。鎌倉時代までに、東門、南門、地蔵堂、鐘楼などが建てられ、本堂を中心とした現在の伽藍が整備され、修理を繰り返し今にいたっています。」
奈良県奈良市高畑町1352
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南門(重要文化財)
「鎌倉後期(1275-1332)建築、四脚門、切妻造、本瓦葺。境内の正面にある、表門。」
鐘楼(重要文化財)
「鎌倉前期(1185-1274)建築、桁行三間、梁間二間、袴腰付、入母屋造、本瓦葺。」
梵鐘(重要文化財)
「銅製、口径104センチメートル、奈良時代鋳造。」
境内
石仏群
稲荷社
会津八一歌碑
地蔵堂(重要文化財)
「鎌倉前期の文永3年(1266)建築、桁行一間、梁間一間、一重、入母屋造、妻入、本瓦葺。」
東門(重要文化財)
「鎌倉前期(1185-1274)建築、棟門、切妻造、本瓦葺。」
本堂(国宝)
「奈良時代(710-793)建築、桁行七間、梁間五間、一重、入母屋造、本瓦葺。本堂は様式上奈良時代のものと思われ、天平19年光明皇后が新藥師寺を創立された時に建立されたものと見られる。堂は内部に天井を張らず全部化粧屋根裏とし、中央に大きな円形仏壇を設けた珍らしい形式を持っている。」
薬師如来坐像(国宝)
「新薬師寺の本尊です。頭と胴体など体幹部分は一本のカヤの木から彫り出され、手と足は同じカヤの木から寄せ木し、全体の木目を合わせ、一本の木から丸彫りした様に造られています。光背には宝相華樹が大きな葉を翻らせ花を咲かせながら上に伸び、花の上の六躯の小仏は本尊と併せて七仏薬師を示しています。」
十二神将立像(国宝)
「奈良時代のもので、像高152~166センチメートル。土壇の上で円陣に取り巻いて、お薬師さまを護衛しています。」
撮影不可のため、パンフレットより転載。十二神が干支となっており、その前に絵馬を掛けて願掛けをします。
竜王社
実忠和尚御歯塔
香薬師堂
鏡神社
「この神社は、春日移しの社であります。春日大社古記録によると、延享3年(1746)春日大社が第46次式年遷官による御造営のとき旧社殿のうち第三殿を譲渡した、とある。」
鳥居
拝殿
狛犬
本殿(奈良市指定文化財)
『一間春日造、檜皮葺。享保13年(1728)建築、鏡神社は大同元年(806)に新薬師寺の鎮守として勧請されたと伝える。記録には春日大社第47次式年造替の延享3年に、本社本殿の第三殿を鏡神社に譲渡したとあり、さらに昭和34年の本殿修理中には、屋根裏から「三ノ御殿」の墨書銘が二か所で発見されている。鏡神社本殿は、春日大社本社の旧本殿であり、当初の部材がよく残るとともに、移築の経緯も記録に残っていて貴重である。』
比賣神社・鏡神社の摂社