旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

皇太神社

2024-01-11 21:36:36 | 伊丹・宝塚
2024年1月11日、お参りしました。
由緒書より「祭神は、天照皇大神、天児屋根命。いにしえより人々の心のよりどころとして、信奉厚き社といわれる。その歴史は、源満仲を祭神とし970(天禄)年に創設された多田神社が始まりといわれている。十世紀、多田盆地の地利に着目した源氏の祖満仲は、現在の川西市北部、宝塚市北部などに広大な荘園を開き、当時の御家人中村勘素を安場の地(川面)に派遣、安場村を開かせたといわれる。そして、源氏の守護神八幡神を現在の川面1丁目付近に勧請、明白(明城とも書く)大明神として創建かされたのが、皇太神社の前身といわれているが、その創建年代は不祥。時は移り、江戸時代の1715(正徳5)年、安場村の明白大明神と、鍋野宇古宮(現川面5丁目)に鎮座の八幡神赤白大明神の二つの神を現在地に遷座されたという。その後、明治維新の神仏分離により、天照皇大神、天児屋根命を奉斎、名は皇太神社と改められた。以来、混乱の世も、安定の世も守護神として敬われてきた。阪神・淡路大震災により御本殿、拝殿などが倒壊した。このため、氏子をはじめ地域の人々が心を一つに、新世紀への復興のシンボルとして御社殿再建に取り組んだ。」

兵庫県宝塚市川面4丁目7-6
map

宝塚のマンホール

社標

参道





手水舎



鳥居



狛犬



拝殿



本殿

覆屋の中にあります。

末社、天満天神社

末社、住吉神社・熊野神社

末社、大山祇神社

末社、加太神社

末社、愛宕神社

末社、多田神社

末社、稲荷神社



末社、明城大明神
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

千古稲荷神社

2024-01-11 20:36:37 | 伊丹・宝塚
2024年1月11日、お参りしました。
「創建不祥、正勝稲荷大明神、火防稲荷大明神、白玉稲荷大明神、千吉稲荷大明神の4柱を祀っています。手塚治虫が幼少の頃に昆虫採集をした神社です。」



兵庫県宝塚市川面6丁目21-48
map
畦の細い参道です。



鳥居





手塚治虫の新聞記事





社殿






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

宝塚ワシントンホテル

2024-01-11 20:08:04 | 温泉、旅館、ホテル
2024年1月10日、利用しました。
プラン名は、日本料理「島家」季節会席プランです。朝食は、カジュアルレストラン シャンゼリゼで、輪朝食、洋朝食、お粥朝食の3つから選択です。温泉の泉質は、 ナトリウム-塩化物冷鉱泉(Na-Cl泉)です。こじんまりとして内風呂とサウナ風呂があります。駐車場は宿泊者は1200円の有料です。チェックインは14時からチェックアウトは11時で、ゆっくりと出来ます。宝塚駅前の立地でホテルの向かい側にショッピングセンターがあります。
兵庫県宝塚市栄町2-2-2
map
外観

玄関



ロビー













カジュアルレストラン シャンゼリゼ





フロント

売店

廊下

室内です。







窓からの景色、ホテルは武庫川の川沿いです。



夕食会場、島屋

先付け

椀物

造里

煮物

天婦羅

茶碗蒸し

釜飯・赤出汁、香の物

デザート

朝食

和朝食

洋朝食
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

八多神社

2024-01-11 18:52:58 | 神戸市北区
2024年1月10日、お参りしました。
「八多は古くから幡多と記され、秦氏の居住地だった、摂津の端の地である、機織に関係がある、畑である等諸説あり、定かでない。古い記録によると、三十一代用明天皇の時、物部守屋が、六甲の嶺より遥か西北に杉檜の森を望み、神霊のいますを信じ訪ねたところ、木樵がいて、『天照大神は神代の昔から此の社に鎮座され、神功皇后に付き添って三韓を親征し、皇后は神のおしえに従いお祀りになった』と告げた。守屋は斎戒し謹んでおまつりし、神のお告げを受け、殿舎を建て荘田を献じた。その後、延喜の朝、神誨によって稲荷大神を奉祀した。歴朝、大社に準じて崇められ、即位、大嘗、祥瑞、災害等、いやしくも事があればすぐ使を遣わして祭告し、祈謝された。」



神戸市北区八多町下小名田284
map

鳥居





狛犬



参道





拝殿



本殿





末社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

附物八王子神社

2024-01-11 18:20:27 | 神戸市北区
2024年1月10日、お参りしました。
「附物の地名由来は、有野川支流の八多川上流域に位置し、古代の豪族秦氏が統括していた大蔵に納める工作品の作物所から、附物になったと伝えられている。古くは、衝毛野・付物といい、江戸期の古文書には付物村と載っている。付物村は、丹波国福知山藩領であったが、のち三田藩領となり、1605(慶長10)年の『摂津国絵図』の『摂津高改帳』によると、四七四石余、さらに『天保郷帳』・『旧高旧領』では、ともに七百九石余となっており、裕福な地区であったと思われる。八王子とは、一般的に、天照大御神が須佐之男命と誓約し給いし時に成りませる、天之忍穂耳命・天之菩卑命 ・天津日子根命・活津日子根命・熊野久須毘命・市寸嶋比売命・狭依毘売命の五男三女の神をいう。神仏習合の頃の信仰では、八王子を牛頭天王、須佐之男命と御子として、八王子権現と称して祀った。当社は、八王子の親神である天照大御神を主神とし、更に、八王子の神々を合わせて祀っている。元、八多神社の摂社として村内に鎮守し、八多神社を大宮(氏神)と崇め祭祀を行っていたが、1889(明治22)年、八多村の大字となった際、八多神社より分離して独立神社となった。」
神戸市北区八多町附物361-2
map
手水舎

社標

鳥居



狛犬



拝殿

本殿

末社




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

深谷八王子神社

2024-01-11 18:03:45 | 神戸市北区
2024年1月10日、お参りしました。
「深谷という地名の如く、深い谷に囲まれた地区ではあるが、その中にあって、当社は一段高い丘の上に鎮座し、檜・杉が生い茂る森厳な社である。創建年代は不祥であるが、中古以来、本地垂迹説が盛んな頃、祭神八柱命と共に本地薬師如来を合祀していたが、1580(天正8)年の羽柴秀吉の兵乱にて、社殿以下悉く烏有に帰し、その後、再建したと伝えられている。氏子戸数は三十九戸と少ないが、よく神域を維持管理している。」

神戸市北区八多町深谷字杉尾920
map
参道

一の鳥居



参道

二の鳥居



手水舎

末社

社務所

覆屋

社殿

末社
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

粟嶋神社

2024-01-11 17:43:52 | 神戸市北区
2024年1月10日、お参りしました。
「当社の創建は、『奉社伝記』によると、『村内白血病流行により、1538(天文7)年、紀州(現和歌山)加太浦より淡嶋大明神を勧請す。神験忽にして近郷一円篤く崇敬す』と記されている。社殿は、風景絶妙なる粟嶋山の山頂に鎮座している。昭和初期に不審火により社殿炎上するも、約百三十戸の氏子の懸命なる努力により、1930(昭和5)年に再建されたのが現社殿である。社前の石造物である狛犬・燈籠等は、その時の奉献によるものである。」
神戸市北区淡河町野瀬234
map
鳥居

参道

手水舎

社務所

狛犬



拝殿



本殿



清水寺遥拝所

末社・八坂神社鈴ノ宮
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする