2024年12月22日、お参りました。
南面山千光院と号す。
由緒書より「当寺は唐僧鑑真和上過海大師が開創の基を開き、その弟子恵雲律師空鉢と号した人が初代の住職となったと伝えられ、初めは律宗であったが弘法大師が真言宗に改めた寺で、四国八十八か所の八十四番の札所であります。本尊千手観音は平安時代前期の作であり、本堂は鎌倉時代の末頃の建築で共に重要文化財に指定されています。書院裏には名園雪の庭があります。鐘楼の釣鐘は鎌倉時代の初め1223(貞応2)年に鋳たものです。なお、源平合戦の遺物など陳列した宝物館があり、狸で有名な蓑山明神の社もあります。」
屋島は高松市の東、標高293メートルの火山台地の半島で、那須与一の扇の的や義経の弓流しなどで有名な源平合戦の古戦場の史蹟で知られる。屋島寺はその南嶺にある。鑑真和上は唐の学僧で、朝廷からの要請をうけ5度にわたって出航したが、暴風や難破で失明、天平勝宝5年(753)に苦難のすえ鹿児島に漂着した。翌年、東大寺に船で向かう途次、屋島の沖で山頂から立ちのぼる瑞光を感得され、屋島の北嶺に登った。そこに普賢堂を建てて、持参していた普賢菩薩像を安置し、経典を納めて創建されたという。
香川県高松市屋島東町1808
map
寺標




本坊の御成門

可正桜
「この老桜は、高松藩士松平半左衛門可正が老後の楽しみとして1665(寛文5)年に、屋島寺石段に七株を植えました。そのうち六株は枯れ、残った一株を現在の地に移植したものです。」

東大門

由緒書

仁王門



四天門







宝物館

手水舎

五重塔




千躯堂




三躯堂



一願不動尊


大師堂

七福神

熊野権現社

蓑山大明神
由緒書より「その昔、弘法大師さんが四国八十八か所開創のみぎり、霧深い屋島で道に迷われ蓑笠を着た老人に山上まで案内されたと言う。のちにその老人こそ太三郎狸の変化術の姿であったと信じられております。屋島の太三郎狸は佐渡の団三郎狸、淡路の芝右衛門狸と共に日本三名狸に称されています。太三郎狸は屋島寺本尊十一面観音の御申狸又数多くの善行をつんだため、土地の地主の神として本堂の横に大切に祭られ、四国狸の総大将とあがめられ、その化け方の高尚さと変化妙技は日本一であった。尚屋島太三郎狸は一夫一婦の契も固く家庭円満、縁結び、水商売の神、特に子宝に恵まれない方に子宝を授け福運をもたらす狸として全国よりの信者が多い。」




蓑山塚


屋島稲荷社



寺務所


鐘楼堂

本堂(重要文化財)
「江戸前期の1618(元和4)年建築。桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝三間、本瓦葺。」







瑠璃宝の池(血の池)
「屋島寺伽藍早創のおり弘法大師が『遍照金剛、三密行所、当都率天、内院管門』と書き、宝珠とともにおさめ周囲を池としました。ところが龍神が宝珠を奪いに来ると伝えられ瑠璃宝の池の名があります。また、源平合戦のとき壇の浦で戦った武士たちが血刀を洗ったため、池の水が赤くなり血の池とも呼ばれるようになりました。」




源平屋島合戦の説明書


下山して麓の「わら家」で釜揚げうどん特大といなり寿司、天ぷらを食べました。

南面山千光院と号す。
由緒書より「当寺は唐僧鑑真和上過海大師が開創の基を開き、その弟子恵雲律師空鉢と号した人が初代の住職となったと伝えられ、初めは律宗であったが弘法大師が真言宗に改めた寺で、四国八十八か所の八十四番の札所であります。本尊千手観音は平安時代前期の作であり、本堂は鎌倉時代の末頃の建築で共に重要文化財に指定されています。書院裏には名園雪の庭があります。鐘楼の釣鐘は鎌倉時代の初め1223(貞応2)年に鋳たものです。なお、源平合戦の遺物など陳列した宝物館があり、狸で有名な蓑山明神の社もあります。」
屋島は高松市の東、標高293メートルの火山台地の半島で、那須与一の扇の的や義経の弓流しなどで有名な源平合戦の古戦場の史蹟で知られる。屋島寺はその南嶺にある。鑑真和上は唐の学僧で、朝廷からの要請をうけ5度にわたって出航したが、暴風や難破で失明、天平勝宝5年(753)に苦難のすえ鹿児島に漂着した。翌年、東大寺に船で向かう途次、屋島の沖で山頂から立ちのぼる瑞光を感得され、屋島の北嶺に登った。そこに普賢堂を建てて、持参していた普賢菩薩像を安置し、経典を納めて創建されたという。
香川県高松市屋島東町1808
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寺標




本坊の御成門

可正桜
「この老桜は、高松藩士松平半左衛門可正が老後の楽しみとして1665(寛文5)年に、屋島寺石段に七株を植えました。そのうち六株は枯れ、残った一株を現在の地に移植したものです。」

東大門

由緒書

仁王門



四天門







宝物館

手水舎

五重塔




千躯堂




三躯堂



一願不動尊


大師堂

七福神

熊野権現社

蓑山大明神
由緒書より「その昔、弘法大師さんが四国八十八か所開創のみぎり、霧深い屋島で道に迷われ蓑笠を着た老人に山上まで案内されたと言う。のちにその老人こそ太三郎狸の変化術の姿であったと信じられております。屋島の太三郎狸は佐渡の団三郎狸、淡路の芝右衛門狸と共に日本三名狸に称されています。太三郎狸は屋島寺本尊十一面観音の御申狸又数多くの善行をつんだため、土地の地主の神として本堂の横に大切に祭られ、四国狸の総大将とあがめられ、その化け方の高尚さと変化妙技は日本一であった。尚屋島太三郎狸は一夫一婦の契も固く家庭円満、縁結び、水商売の神、特に子宝に恵まれない方に子宝を授け福運をもたらす狸として全国よりの信者が多い。」




蓑山塚


屋島稲荷社



寺務所


鐘楼堂

本堂(重要文化財)
「江戸前期の1618(元和4)年建築。桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、向拝三間、本瓦葺。」







瑠璃宝の池(血の池)
「屋島寺伽藍早創のおり弘法大師が『遍照金剛、三密行所、当都率天、内院管門』と書き、宝珠とともにおさめ周囲を池としました。ところが龍神が宝珠を奪いに来ると伝えられ瑠璃宝の池の名があります。また、源平合戦のとき壇の浦で戦った武士たちが血刀を洗ったため、池の水が赤くなり血の池とも呼ばれるようになりました。」




源平屋島合戦の説明書


下山して麓の「わら家」で釜揚げうどん特大といなり寿司、天ぷらを食べました。

