2014年5月1日
三宮神社(さんのみやじんじゃ)は、生田神社の八柱の裔神を祀った一宮から八宮までの神社(生田裔神八社)の中の三柱目に当たり、祭神としては湍津姫命(たきつひめのみこと)を祀っています。
由緒書によれば、航海の安全と商工業の繁栄を守る神として祀られています。古い記録がなく、いつ創設されたかなどについては未詳です。江戸時代享保年間(1716~1735)の手水鉢、寛延元年(1748)の石燈籠が現存しているが、それらは以前尼崎藩領であった為、藩公の篤い所から奉納されたと伝聞されています。明治維新以前は3・40戸余りの田園的一寒村であったが、慶応3年(1867)2月7日に神戸の浦が開港され、居留地が設定されるに至って急速に開発されました。明治6年11月に県令で三宮神社の社名が三宮の地名となりました。
神戸市中央区三宮町2丁目4-4
map
鳥居
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/67/cc/5b7ead4956bec178e39e9e9c0cbe69ea.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/4f/4ab17b8fb1ba83d59f4462ef03f2f4b2.jpg)
本殿
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/c6/e8b2214799b420765958a34d0de6c0d5.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/3c/b647bc6f24383e69ee7d76a1f677c8a7.jpg)
手水舎
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/e7/8e0969f70f95786e02df36dbf09b3bfe.jpg)
石畳
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/3f/953fe1f4913eed928e92fe30d078bb6d.jpg)
源平の史蹟
本殿東側には河原霊社があります。寿永3年(1184)に起こった源平一ノ谷戦の生田ノ森合戦の際、戦況が膠着状態の時、2月7日に討死した河原太郎高直、次郎盛直兄弟が先陣を切って打って出て源氏方の勝利の道を拓いた勇者の霊を祀った小社です。塚は神戸開港の発展とともに惜しくも跡は失ってしまいました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0c/e8/e2f98b546be50989481bfd01f0233e4d.jpg)
河原兄弟塚碑
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/4d/a26d0c3f8efba680d46d5cf6d7fe55f6.jpg)
史蹟 神戸事件発生地碑
慶応4年(明治元年、1868年)1月11日に、三宮神社前において、岡山藩(備前藩)兵の隊列が東に向かって行進中、沖に停泊していた外国軍艦の水兵数人が隊列を横切った。これに怒った備前藩隊員が水兵を切りつけたことが国際事件となった。結果として第3砲兵隊長の滝善三郎が詰め腹を切らされ、兵庫の永福寺の座敷で6カ国の立会人のもとで切腹しました。明治政府初の外交事件となったこれを、神戸事件と呼んでいます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/c1/333b1d95800b0be013308a47c91dc218.jpg)
大砲
神戸事件の時に、備前藩は三門の大砲をひきいて応戦した。当時と同時代のものを参考に展示しています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3e/03/83fbdc67a712056384640e662365111a.jpg)
大典記念奉献
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/47/ad24782d822d44289fbb562f771587f3.jpg)
境内の三宮稲荷・安高稲荷
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/38/90/542ca6f48ac681923cd6137e13068b8d.jpg)
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三宮神社(さんのみやじんじゃ)は、生田神社の八柱の裔神を祀った一宮から八宮までの神社(生田裔神八社)の中の三柱目に当たり、祭神としては湍津姫命(たきつひめのみこと)を祀っています。
由緒書によれば、航海の安全と商工業の繁栄を守る神として祀られています。古い記録がなく、いつ創設されたかなどについては未詳です。江戸時代享保年間(1716~1735)の手水鉢、寛延元年(1748)の石燈籠が現存しているが、それらは以前尼崎藩領であった為、藩公の篤い所から奉納されたと伝聞されています。明治維新以前は3・40戸余りの田園的一寒村であったが、慶応3年(1867)2月7日に神戸の浦が開港され、居留地が設定されるに至って急速に開発されました。明治6年11月に県令で三宮神社の社名が三宮の地名となりました。
神戸市中央区三宮町2丁目4-4
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鳥居
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本殿
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手水舎
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石畳
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源平の史蹟
本殿東側には河原霊社があります。寿永3年(1184)に起こった源平一ノ谷戦の生田ノ森合戦の際、戦況が膠着状態の時、2月7日に討死した河原太郎高直、次郎盛直兄弟が先陣を切って打って出て源氏方の勝利の道を拓いた勇者の霊を祀った小社です。塚は神戸開港の発展とともに惜しくも跡は失ってしまいました。
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河原兄弟塚碑
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史蹟 神戸事件発生地碑
慶応4年(明治元年、1868年)1月11日に、三宮神社前において、岡山藩(備前藩)兵の隊列が東に向かって行進中、沖に停泊していた外国軍艦の水兵数人が隊列を横切った。これに怒った備前藩隊員が水兵を切りつけたことが国際事件となった。結果として第3砲兵隊長の滝善三郎が詰め腹を切らされ、兵庫の永福寺の座敷で6カ国の立会人のもとで切腹しました。明治政府初の外交事件となったこれを、神戸事件と呼んでいます。
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大砲
神戸事件の時に、備前藩は三門の大砲をひきいて応戦した。当時と同時代のものを参考に展示しています。
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大典記念奉献
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境内の三宮稲荷・安高稲荷
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