2021年12月21日、お参りしました。
説明書より「社伝によると、『元正天皇の715(霊亀元)年卯月卯日の夜、深江の沖に闇夜を照らす妙な光が現れた。人々が不思議に思い、海岸に集まると波のまにまに一基の神輿が近づき、『われは稲荷の神霊、この山手の森かげに鎮まりたい』と告げられたので、神託どおりにお祀りすると五穀豊穣となり平安な日々が続いた。』稲荷神社は『森のお稲荷さん』と親しまれ、明治時代まで近郊の本庄九ケ村(森・深江・青木・北畑・中野・田辺・三条・小路・津知)の総氏神として篤く信仰されてきました。明治12年に森・深江・青木の三地区が氏子地として残り、他は保久良神社の氏子地となった歴史があります。」
神戸市東灘区森北町4-17-11
map
鳥居
狛犬、吽形しかなかった。
参道
社務所
拝殿
中門
本殿
地車倉
「森地区地車(だんじり)は、1847(弘化4)年の製作と伝わる。製作者は大工棟梁・柳平兵衛中良(大阪市平野区住人)、杉田信也(西宮市若山町)、木彫刻師・柳原清蔵、井岡勘治(東灘区田中町住人)、酒井宏・秀哲(富山県城端)、錺師・後藤正嗣(京都市山科区)、縫師・高木一彦(香川県観音寺市)、合田武司(新居浜市大正院)、金物師・上田徹(東灘区森北)、高さ4.0米、長さ6.5米、幅3.0米、重量約3.5トン」
神具倉
神楽倉
末社
稲荷社
説明書より「社伝によると、『元正天皇の715(霊亀元)年卯月卯日の夜、深江の沖に闇夜を照らす妙な光が現れた。人々が不思議に思い、海岸に集まると波のまにまに一基の神輿が近づき、『われは稲荷の神霊、この山手の森かげに鎮まりたい』と告げられたので、神託どおりにお祀りすると五穀豊穣となり平安な日々が続いた。』稲荷神社は『森のお稲荷さん』と親しまれ、明治時代まで近郊の本庄九ケ村(森・深江・青木・北畑・中野・田辺・三条・小路・津知)の総氏神として篤く信仰されてきました。明治12年に森・深江・青木の三地区が氏子地として残り、他は保久良神社の氏子地となった歴史があります。」
神戸市東灘区森北町4-17-11
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鳥居
狛犬、吽形しかなかった。
参道
社務所
拝殿
中門
本殿
地車倉
「森地区地車(だんじり)は、1847(弘化4)年の製作と伝わる。製作者は大工棟梁・柳平兵衛中良(大阪市平野区住人)、杉田信也(西宮市若山町)、木彫刻師・柳原清蔵、井岡勘治(東灘区田中町住人)、酒井宏・秀哲(富山県城端)、錺師・後藤正嗣(京都市山科区)、縫師・高木一彦(香川県観音寺市)、合田武司(新居浜市大正院)、金物師・上田徹(東灘区森北)、高さ4.0米、長さ6.5米、幅3.0米、重量約3.5トン」
神具倉
神楽倉
末社
稲荷社
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