旅行 写真で紹介 

旅のあれこれ、見たこと、感じたこと 写真で現地を紹介します。

千年の湯 権左衛門(城崎温泉)と外湯めぐり、温泉街

2022-07-17 16:54:45 | 温泉、旅館、ホテル
2022年7月14日、利用しました。
城崎温泉街の中心地に位置します。プラン名は「城崎ジェラート&女性のみ色浴衣サービス!牛・蟹・海鮮鍋の季節会席」です。泉質は塩化物泉です。部屋数は22室の旅館です。お風呂は内風呂と露天風呂があります。夕朝は男女入れ替え制です。食事は部屋食でした。外湯巡り券が付いていました。とっても、親切な対応でした。
兵庫県豊岡市城崎町湯島282
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外観

おみやげ処

玄関



フロント

ロビー

廊下



室内、8畳と縁







おもてなし

夕食です。
食前酒と造里盛り合わせ



牛ステーキ



鍋物

鰆の西京漬焼物と蕗佃煮

茶碗蒸し

えんがわの山葵漬

香の物

蕎麦

椀物

デザート

城崎ジェラート

もちろんビールを飲みながらです。ご馳走様でした。
少し早くついたので、温泉街を散策です。











人力車



















街ぶらマップ

郵便ポスト

















夕食前と夕食後に外湯めぐりで5つに浸かりました。
一の湯

地蔵湯

さとの湯

鴻の湯

まんだら湯

朝食です。
煮物

サラダ

温泉玉子

海苔

鰈焼物

湯豆腐

汁物

香の物

ご馳走様でした。料理はおいしくて素敵な旅館でした。
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養父神社

2022-07-17 15:35:38 | 但馬
2022年7月14日、お参りしました。
「崇神天皇30年(皇起594年、西暦前66年)御鎮座以来、約2000年の歴史を持つ丹波の古社。地元では、『養父の明神さん』と呼ばれ、親しまれている。但馬牛のせりを行う牛市場の発祥の地とも言われている。県下でも有数の紅葉の名所として知られ、モミジのほか、ケヤキやイチョウなどもあり、赤や黄色の錦絵のような光景に包まれる。例年11月に『やぶもみじまつり』が開催される。」
兵庫県養父市養父市場840
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社標

参道

鳥居

手水舎

随神門





境内

狛犬



尻尾を上げて可愛いですね。



拝殿



本殿



神馬

琴平神社
「事代主命をお祀りし、讃岐の金平さんと同じ神様です。海運、水運または水産業反映の守りの神であります。円山川の水運が古代盛んであった事を物語っています。」





石柱

五社神社
「御祭神は、天熊人命、天照大神、素戔嗚命、月讀命、五十猛命であります。但馬五社としても、また広く本邦の国の守り神として祀られております。」

御霊神社
「御祭神は、伊弉諾命、伊邪冊命であります。記紀にいう最初の夫婦の神であり、基なる親神様です。夫婦和合の守り神であります。社殿は元の御本殿であり、安応20年(室町時代)の建立です。この方向は皇居、神宮が遥拝できます。」



迦遅屋神社
「奥津彦命、奥津姫命、猿田彦命、表米親王をお祀りしています。別称『猫の宮』と申し鼠除けの信仰もあります。主に火除け、災除けの神であります。」

厳島神社
「御祭神は、厳島姫命です。安芸の宮島と同じ神様です。前の池には鯉が放流しており、主に女性の守り神であります。古代より、鯉の縁のある当神社では、鯉(恋)の宮として古えより鯉が飼育されています。二百有余年の寿命があると言われる鯉は、長寿の魚として昔から珍重されました。当神社で結婚式は勿論、銀婚式、金婚式をも挙行され鯉の長寿に肖ってください。」

山野口神社
「御祭神は大山祗命です。別称『山の口のおおかみ』と申し、流行病を退けられ『つきもの』を落とす神として広く信仰されています。この奥には神の滝があり、上社跡、中社跡が遥拝できます。社殿は元禄年中(江戸時代)建立と伝えられています。」















お走り祭りについて
「ヤブ神社のお走り祭りは、養父市無形民俗文化財に指定され、但馬三大祭りの一つにも数えられる由緒ある御祭りです。神功皇后の代(約1800年前)に、朝鮮半島との交流をお祝いして『葛の葉の餅』がつくられ雷神社に神幸しおわかちした事が起源とされています。神代により経路や神輿の形態は異なりますが、現在の神輿の形態は江戸時代頃より用いられるようになったと、伝わっています。この神輿は、明治初年頃作られ平成に至るまで、百数十年間用いられてきた伝統ある御神輿です。この功を顕彰する為、また、後世に伝えて行く為に、収納庫に常設展示する事になりました。」

鯉養殖の歴史
「養父市場は、鯉の里である。その始まりは、江戸時代とも、それ以前からともいわれている。細長い町筋に沿ってつくられた四本の用水路は、豊富な円山川の水を引き入れ、養鯉に最適な環境を供えていた。その上、この地域一帯に盛んだった養蚕により、鯉の絶好の飼料となるさなぎが手に入った。最初は、食用の養鯉が中心で、宿場町であったこの地で、郷土色豊かなごちそうとして食卓を飾り、養鯉は盛んになった。観賞鯉については、昭和12,3年頃、新潟県から錦鯉を移入した。戦争中は一時関心が薄れたが、戦後復活して本格的に観賞用鯉の改良、増殖が行われるようになった。現在、全国に普及している墨の交じった『黒ダイヤ』系の品種は、すべてここでつくられたものである。」


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赤淵神社

2022-07-17 08:16:05 | 但馬
2022年7月14日、お参りしました。
由緒書より「赤淵神社は、枚田内高山のふもとに鎮座する式内社。式内社とは、延喜5年(927)にまとめられた延喜式神名帳に記載された神社のことで、市内には9社ある。赤淵神社の祭神は、大海龍王神、赤淵足尼神、表米宿彌神の三神で、赤淵足尼命は表米宿彌命の祖神である。 神社略記によると645(大化元)年、表米宿彌命が、丹後 白糸の浜に来襲した新羅の賊を討伐した際、 沈没しかけた船が、海中から浮かび上がった無数のアワビに助けられたため、そのアワビを持ち帰り、 赤淵神社に祭ったとされている。大海龍王は海神で、アワビを使い難を救う神であると伝わり、表米宿禰命の子孫である日下部氏の一族の中には、現在もアワビを食べない風習が残っているといわれている。」

兵庫県朝来市和田山牧田
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社標

鳥居

楼門(朝来市指定文化財)
「かつて赤淵神社の神宮寺であった旧神淵寺の山門であったもの。創建年は不詳。現在の門は、文政13年(1830)に多数の喜捨によって再建されたものである。威風堂々としたたたずまいで、随所に丹波柏原の彫刻師 中井権次による見事な彫刻が施されている。2階には高欄を巡らせ、内部には大般若経が納められていた。この門をくぐると除疫福徳の効があると伝えられる。」





参道

神門





社務所



手水舎





狛犬



勅使門(朝来市指定文化財)
「勅使が神社に参向する際に用いる門。現在の門は、寛政11年(1799)に多数の喜捨により再建されたもの。円形の丸柱に前後2本ずつの控柱を立てた四脚門方式で、柱材にはケヤキが使用されている。扉の上部に見られる鳳凰の透かし彫りや、木鼻、蟇股などの見事な彫刻は、丹波柏原の彫刻師 中井丈五郎と久須善兵衛によるものである。」





石灯籠



拝殿

本殿(重要文化財)
「室町時代初期に建てられたもので三間社流造、こけら葺、桁行4.8m、梁間3.1m正面と両側面に高欄付縁をめぐらせている。身舎内部は内陣と外陣に分かれ、正面に格子をはめ、中央には階段を設けている。改修のあとはあるが、蟇股、懸魚、妻窓などに当時の建築様式を残している。」










末社

護国神社



秋葉神社

三寶荒社

絹巻社

金比羅社

末社


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粟鹿神社

2022-07-16 22:58:01 | 但馬
2022年7月14日、お参りしました。
「2000年以上の歴史を持つ但馬五社の一つであり、現在も全国から多くの崇敬者を集めています。粟鹿神社には国家の大難に際し、過去4度にわたって勅使が派遣されたと言われています。市の文化財に指定されている勅使門は、勅使が派遣された時と年に1回の秋季例大祭の日にのみ開門します。『鹿が栗を加えて粟鹿山から現れ、人々に農耕を教えた』という伝承により“粟鹿”という名が付けられたと伝えられています。」
兵庫県朝来市山東町粟鹿992
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鳥居

石碑



勅使門(朝来市指定文化財)
「勅使門は、勅使が神社に参向する際、出入りする門である。粟鹿神社では、四回の勅使参向があったことが記録に残っている。創建年は不祥であるが約600年前に創建されたと伝わる。桁行3.95メートル、梁間3.3メートル、妻造りの四脚門形式で、建材の大部分は欅である。屋根は現在銅板葺であるが、以前は桧皮葺であった。柱は、上下に粽を施して基盤の上に立っている。柱上の組物、中構えの三斗詰組、海老虹梁、木鼻等は唐様の手法を示している。本柱の両開きの唐戸は、透かし彫りの欄間をつけ、羽目板には鳳凰が刻まれている。頭貫には簡単な若草模様が見え、全体的には唐様であるが、妻梁を請ける本柱からの挿し肘木は天竺様の手法がうかがえる。度々の災禍も免れたと伝えられ、数少ない遺構の一つである。」

随神門

木造著色随身倚像(朝来市指定文化財)
「木造著色倚像は、瑞身門に安置されている。制作年代は、両像とも銘文は記されていないが、随身の像内に入れられていた棟札から、江戸時代前期、1755(宝暦5)年に修理されたことが判明する。さらに棟札の裏に1683(天和3)年に再興されたと記されている。台座は候補で、色彩は殆ど剥落し、像内に修理時の補材が見られるが、造立当初の姿をよく留めている。」

「阿形は、随身門の南東部に安置、総高117.6センチメートル、像高(座高)82.2センチメートル、一木造(内刳なし)、彩色、彫眼。左右に緌(おいかけ)を付けた冠をかぶり、口は少し開けて顔をやや左に向ける。朱色の袍を着て、表袴をはき、五本の矢を押した胡簶を背負う。右手に弓を左手に太刀を持つ。」

「吽形は、随身門の北東部に安置、総高122.1センチメートル、像高(座高)87.3センチメートル、一木造(内刳あり)、彩色、彫眼。左右に緌を付けた冠をかぶり、口を閉じて顔をやや右に向ける。黒色の袍を着て、表袴をはく。左腰に太刀を佩き、五本の矢を挿した胡簶を背負う。右手に弓を左手に矢を持つ。」

狛犬(朝来市指定文化財)
「木造著色狛犬像は、随身門に安置されている。制作年代は、両像とも銘文は確認できない。迫力のある表情や力強さが見られる作風は、鎌倉時代風であるが、背筋の後半が湾曲しているのは、制作年代が新しいことを示すものと思われ、江戸時代前期の制作と推定される。台座は後補で、彩色もほとんど剥落し、足先にやや傷みがみられるが、力強く迫力がある当初の姿をよく伝えているのは貴重である。」



手水舎

天満宮





厳島神社

夫婦杉

狛犬



拝殿

本殿





床浦神社

茗荷神社

稲荷神社

猿田彦神社


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高座(たかくら)神社

2022-07-16 21:55:32 | 丹波
2022年7月14日、お参りしました。
由緒書より「創立年代は不祥、当社祭神は丹波国造家の祖神、丹波の守護神として奉納されたと伝えられている。当社は古来旧久下上久下両村の総氏神として年々の祭事が継承され現在に至った。中世には当郷地頭久下氏の祈願所として当町金屋に鎮座していたが、弘治3年(1557)現在地に遷り、徳川時代には谷川領主織田家の崇敬厚く社領の寄進を受けた。現在の本殿は宝永2年(1705)に氏子により再建された。大工棟梁は谷川の清水武右衛門と清水七郎左衛門である。石鳥居は元禄6年(1693)に氏子が建立したものである。」
兵庫県丹波市山南町谷川3557
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社標

鳥居

案内図

手水舎

随神門



中門

フジキ(兵庫県指定文化財)
「マメ科の落葉高木で、『ヤマエンジュ』とも呼ばれ、成長すれば普通15メートル程に達する。本州福島県以西や中国地方の湿気の多い山中にまれに生える。その冬芽は柔らかく、白い帽子のような薄い膜に包まれており、春になるとこの帽子を破って若芽が出る。花は白色で、夏に枝先から15~25センチメートルの複総状花序をつける。種実はマメ科特有のさやに入っていて、さやの大きさは4~9センチメートルになる。当神社のフジキは、根周り6.8メートル、目通幹囲3.5メートル、樹高約20メートルで、兵庫県下はもちろん全国的にも大変貴重なものである。」



石鳥居(丹波市指定文化財)
「この石造鳥居は、高さ4.57メートル、柱の下部真々3.8メートルの、すっきりとして形のよい明神鳥居であるが島木の鼻の截り方はほぼ鉛直で笠木の反増は少ない。向かって左柱前面に1693(元禄6)年の造立年・右柱前面に寄進者名が刻まれている。貫の中央部が破損したために現在は新しい石材と取り替えてあるが、古材は神社に保管してある。石材は谷川地区の奥山から切り出したもので、今でもその跡があるといわれている。」

狛犬



拝殿

本殿(重要文化財)
「建物の身舎は正面5間、背面6間。側面2間、庇1間の流造の正面に、1間の唐破風造の向拝を付け、屋根には左右に千鳥破風を置いています。斗栱は和様三手先で、中備の蟇股、手挟、板支輪等の彫刻や妻組の構成には元禄期の手法を駆使した、県下では例のない18世紀初頭の神社建築であるとともに、当時のおける当町谷川工匠のすぐれた技術を示すものであります。」





















末社






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常勝寺

2022-07-16 21:03:28 | 丹波
2022年7月14日、お参りしました。天台宗の寺院で山号を竹林山と号す。
パンフレットより「はるかなるインドより万里の波涛を越えて渡来した法道仙人(大化年間、孝徳天皇の御代)は、七尾七谷の此の山に七堂伽藍を建て、寺運日増に栄え、僧坊70余の一山地となりましたが永保年間に出火し、堂塔すべて灰燼に帰しました。その後、泉州槙尾山の浄意上人が本堂および末社を建てましたが、1575(天正3)年10月3日、戦国動乱の兵火により、全山ことごとく炎上し、のち当山の智光法印が再建に着手しましたが、工半ばにして遷化し、爾来、寺運なく、荒れるにまかせ、1697(元禄10)年ようやく良海法印が本堂を修造し、寺坊七舎のうち、慈眼、松林、普賢、蓬莱、宝樹の五ケ院とし、寺運更に沈み遂に慈眼院のみとなり、明治に入っても尚風雪つよく、うらぶれの明け暮れでありましたが、霜をふんで山林経営に粉骨し、入りては法灯を高くかかげて諸堂宇修復に砕身し、寺運、日を重ねてよみがえり、今日に至りました。山気清く澄んで深く、千古の老杉は亭々として磴を覆ひ、梢をわたる風邪は野鳥の声をはこび、木漏れ日に映える青葉、若葉、蝉しぐれ、虫の宴、栗鼠に揺らぐ紅葉、冬ざれの石仏等四季の情趣に恵まれております。」
毎年2月11日午後2時執行の「鬼こそ」(追儺式)は、法道仙人に従う四鬼が、その徳に感化され、五穀豊穣を祈って本堂をめぐる。
兵庫県丹波市山南町谷川2630
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鬼こその寺
「常勝寺では、毎年『鬼こそ』が行われる。五穀豊穣、無病息災を祈願する会式で、おにうち(鬼打)ついな(追儺)おにやらい(鬼遣)など様々呼称があるが、当寺では『鬼こそ』と称している。太鼓、ほら貝、鐃、鈸などの仏具を打ち鳴らすことから『鼓騒』(戦場で太鼓を打ち鳴らし鬨の声をあげて騒ぐこと)が訛ったものではないか。鬼追い会式は播磨地方に多く見られるが、丹波地方には当寺にしか伝承しておらず、他に比べて鬼面の大きいのも特色である。」

仁王門







参道、360段を登ります。

由緒書

参道









塔頭寺院





















手水鉢



本堂























薬師堂



宝篋印塔

石碑

弁財天



















鐘楼堂












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荘厳寺

2022-07-16 20:25:57 | 丹波
2022年7月14日、お参りしました。
由緒書より「当山は、652(白雉3)年に法道仙人の開基と伝えられる観音霊場である。慶長年間(1596〜)に、徳禅上人が当山に入り、堂宇を修復して再興され、爾来真言宗高野山派の末寺として法幢を輝かした。盛時には本堂への参道沿いに10か寺の塔頭を構えました。宝暦年間(1751~)には社町の朝光寺と鴨川の西光寺(廃寺)を行場とする権現信仰の修験道の寺として交流していたことが伺える。大河ドラマの主人公となった秀吉の軍師・黒田官兵衛の出生地との説を主張する『荘厳寺本黒田家略系図』を所蔵・展示(複製)しており、持仏堂には歴代城主の位牌も安置しています。」
兵庫県西脇市黒田庄町黒田1589
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西脇市観光マップ

黒田里
「播磨国風土記ゆかりの地、託賀郡の章に登場します。黒田里は、土が黒いので里の名としました。中世には一帯が荘園となったので『黒田庄」と呼ばれ、その後自治体名にも引き継がれ、西脇市との合併後も大字名として残っています。黒田里の記述で登場する『袁布(きふ)山は昔、宗像大神の奥津島比売命(福岡県宗像郡の宗像神社に鎮座する三女神の中の一神)が、播磨国の神様の伊和大神の子を身籠もり、この地にやって来て、『私が子を産むときになったので、をふ(=やりとげるの意味)と言った山なので、名づけられました。また、『支閇(きへ)丘』というのは、宗像大神が『子を産む月が尽ぬと言われた地なので名づけられたとあります。この『『袁布山』は、黒田庄町黒田にある『前山」と呼ばれる山が比定されており、『支閇丘』は黒田庄町田高と丹波市山南町井原との境にある『イタリ山』と考えられています。」
軍師・官兵衛の里
「播磨古事」「播磨鑑」「播陽古城記」など江戸時代に編纂された播磨の資料には、黒田官兵衛やその父は、多可郡黒田村(現在の西脇市黒田庄町黒田)の生まれとするものが多くあり、西脇市内には官兵衛や黒田家ゆかりの場所が点在しています。ここ黒田集落には、北播磨随一の紅葉の名所として知られ、黒田氏の発症から嫡流の滅亡までを記した「荘厳寺本 黒田家略系図」を所蔵する荘厳寺、黒田氏9代の居城と伝わる黒田城址、城に付随する邸宅跡と伝わり、黒田官兵衛誕生地の石碑が立つ「姥が懐」などのゆかりの地があります。」

播磨黒田氏と黒田城
「播磨黒田氏は、赤松円光(赤松円心則村の弟)を元祖とする赤松庶流の一族です。1351(観応2)年3月円光の子・七郎重光がこの黒田城に移り、播磨黒田氏の始祖、初代となりました。以来その子孫は、九代、二百数十年にわたり、黒田城主として存続しました。八代黒田城主・黒田下野守重隆に男子二人あり、兄が治隆、弟が孝隆です。治隆は父重隆の家督を継いで九代城主となりましたが、元亀の頃(1570年代初め)合戦に敗れて戦死、播磨黒田氏は滅亡しました。それより前、弟の孝隆は、姫路城主・小寺美濃守職隆の猶子(養子)となっており、小寺官兵衛を名のって、播磨の国飾東郡の御着城主・小寺氏の家老となっておりました。この小寺官兵衛が豊臣秀吉の参謀役として有名な黒田官兵衛(如水)です。当地、黒田は、官兵衛の先祖、赤松庶流・黒田氏の根本地であり、しかも黒田官兵衛自身の出生地です。これらは、心光寺旧記等の姫路の古文書、そして当山所蔵の荘厳寺本黒田家略系図の史料研究によって、近年はじめて判明した新事実です。」

塔頭・法音院山門















280段の階段を登ります。



鐘楼堂

梵鐘
「姫路城主の本田政勝氏から1649(慶安2)年に寄進される。」

鎮守社

稲荷社

手水鉢



本堂
「本尊十一面観世音菩薩を祀る。脇侍像仙人の立像台座に慶長16年の墨書がある。」









多宝塔(兵庫県指定文化財)
「本堂近くに立つ、檜皮葺きの屋根に円筒形の2層目が特徴的な多宝塔は建久年間(1190〜)に造立、1711(正徳元)年に再建されている。」






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兵主(ひょうす)神社

2022-07-16 18:08:31 | 西脇市
2022年7月14日、お参りしました。
「社伝によれば、782(延暦元)年に大和国から播磨国の国衙へと赴任した岡本修理太夫藤原知恒が森林を開いて社殿を作り、2年後の784(延暦3)年6月1日に大和国穴師の兵主神社(現在の奈良県桜井市穴師の「穴師坐兵主神社」)から神を勧請したと伝えられています。式内社で、「ひょうすさん」と呼ばれる大志郷(黒田庄町南部)の氏神様です。」
兵庫県西脇市黒田庄町岡372-2
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社標

石灯籠

鳥居・随神門

茅輪

手水舎



お牛様

神馬

狛犬



拝殿(兵庫県指定文化財)
「茅葺入母屋造の長床式で、安土桃山時代の建築様式をとどめており、全国的にも貴重なものです。羽柴秀吉が三木城の別所長治を攻めた際に、戦勝祈願のため臣下の黒田官兵衛が灯明田を献納し、拝殿はその奉納金によって改築されたと伝えられています。棟札から1591(天正19)年の改築であることが分かります。」



本殿

雨降りで写りが悪いですね。





末社


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西仙寺

2022-07-16 17:37:40 | 西脇市
2022年7月14日、お参りしました。
由緒書より「山号は和多山と号す。西仙寺(さいせんじ)は、651(白雉2)年に西天竺の大仙、法道仙人が同地に一寺を建立し、宝塔に仏舎利を安置して開創されました。749(天平勝宝元)年には播磨巡訪中だった行基菩薩が仏舎利から発せられる光明に感嘆し、自ら十一面千手観音像を刻んで殿堂を建立したと伝わります。南北朝時代、播磨の豪族赤松家六代則祐と一族の帰依を受けて寺は隆盛を誇ります。『東寺の三宝』のひとり賢宝阿闍梨であり、のちに『西仙寺復興の祖師』と称される赤松氏出身の良円上人が堂宇の大整備を行ったほか、高野山で最高職位である検校法印を務めた梅本院の快舜など傑僧も輩出しました。」
「孝徳天皇の病気平癒のために建立されたと伝わります。姫路城主の本多忠刻の妻・千姫が田畑を寄進し、亡くなったわが子の霊を祈るため信仰を寄せたことなどでも知られています。境内には赤松則祐など武将の墓も残っており、兵庫県の重要有形文化財の本堂横には、西脇市の文化財に指定されている五輪塔や釈迦三尊板碑なども見ることができます。」
兵庫県西脇市西田町88
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寺標

西脇市観光マップ

西仙寺案内マップ

参道入り口

持仏護摩堂(梅本院)
「塔頭・梅本院跡。現在は金蔵院の持仏堂として釈迦如来を祀るほか、堂内左側に不動護摩堂、右側に大師堂が組み込まれています。」





地蔵菩薩・堅観世音・不動明王

修行大師

山門(中門)







弁財天



四国遍路道



鐘楼



薬師堂
「薬師三尊が祀られています。」

求聞持三昧堂
「弘法大師も修行した苦行求聞持法を行うためのお堂」

石造五輪塔(西脇市指定文化財)
「1427(応永34)年10月17日に当山にて入寂した良円上人の五輪塔です。」

宝篋印塔
「陀羅尼の御利益が刻まれています。」



本堂(兵庫県指定文化財)
「間口五間の大規模な本堂は、宝形造の大屋根が重量感たっぷり。内部は広く、真言宗最高の儀式、灌頂が行われていた特別な道場としての威容を今に伝えています。建立は1523(大永3)年とみられ、1676(延宝4)年から1682(天和2)年にかけて金蔵院頼雄による大修理が行われるなど、改造の跡が随所に見られます。」









熊野権現社(兵庫県指定文化財)
「鎮守社で、本堂と同じ大永頃の建立とみられています。」



訶梨帝母社

護法善神社

石造釈迦三尊板碑(西脇市指定文化財)
「1593(文禄2)年建造の読誦塔です。」


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皇大神社

2022-07-15 20:16:42 | 神戸市垂水区
2022年7月13日、お参りしました。
「JR垂水駅の東口を出て、線路の南側に沿って東すぐのところに小さなお社が建っている。祭神は『大日霎貴尊』(天照大御神)である。創立年代は不祥であるが、境内にある石灯籠には、『享保12年』(1727)の銘があるので、それ以前の建立と思われる。往古より播磨国東垂水村の鎮守として祀られてきた。古くは、神社周辺には畑地も多く、社の北側を西の天神川から海神社の後側を通り福田川へ注ぐ『後川』という小川が流れていたが、旧国鉄(JR)の線路が建設され、駅周辺の開発が進み、神社周辺からあまり目立たなくなってしまった。年月の経過とともに社殿は老朽化し荒廃していたが、町内の有志が相諮り、1980(昭和55)年に御社殿を復興し現在に至っている。境内には稲荷社と白龍・黒龍の社も建立され、皇大神社とともに、商売繁盛、家内安全の神として、地域住民はもとより、広く一般の人々からも進行を集めている。」
神戸市垂水区平磯4-4-18
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皇大神社、鳥居





稲荷社・猿田彦社



白龍社・黒龍社

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