回顧と展望

思いついたことや趣味の写真などを備忘録風に

ケルト

2020年07月22日 16時58分38秒 | 日記

イギリス、あるいは英国は、正式には「United Kingdom of Great Britain and Northern ireland.(大ブリテン島および北アイルランド連合王国)」。この連合王国の中で、一番地味なのはウエールズだろうか。しかし、英国王室は伝統に従って、次期国王として王位を継承すべき最年長の王子には「ウェールズ王子(Prince of Wales)」の称号が与えられている。王位の法定推定相続人(皇太子)の正式呼称と言うわけだ。

ウェールズは人口320万人あまりとイギリス全体の5%にも満たないので、何かと自己主張の強いスコットランド(人口560万人)程とは少し趣が違うかもしれない。例えてみれば、スコットランドがずけずけものをいう次男坊なら、ウエールズはおとなしい三男坊と言ったところか。しかし、歴史、文化といった面ではイングランド、スコットランドに全くひけをとらない独自のものを持っている。ブリテン島は、古代ローマ帝国に征服されたけれども、ウエールズ地方のブリトン人は、アングロサクソンに征服されたことはない。アーサー王はウェールズに起源をもつブリトン系人で、アングロサクソンに抵抗した人物だ。そして、ここはアイルランドとともにケルト文化の地でもある。因みにアーサー王伝説には、中世になって騎士道伝説としてまとまったものがあるが、もともとはケルトに伝わる伝説が起源であり、伝説と言うからにはいくつもの筋が残されているものでもある。ちょうど、日本の多くの神話や伝説で話の終わり方に色々な形のものがあるのと同じに。

アイルランド出身の作家、フランク・ディレイニーの「ケルトの神話・伝説Legends of the Celts (1989, Hodder & Stoughton)」は、こういったケルトの神話・伝説を集めたもので、ケルト文化を理解するのに極めて重要な役割を果たしている。そのなかでも、アーサー王伝説中最も知られている「トリスタンとイゾルデ」の話は後世のヨーロッパ人の恋愛観に大きな影響を与えた。フランス語ではジョセフ・ぺディエの「トリスタンとイズ―物語」があるし、ワーグナーのオペラにもなっているが、この本では、ケルト文化の中で育った著者が幼いころから聞かされ、記憶していたヴァージョン(版)であり、後世のそれとは若干異なっている部分もある。子供のころから聞かされていたストーリーがそれこそ真正だ、ということはない。むしろ、幾つもの異文化と交渉してゆく中で、ケルト文化の「自己」を構成していくものであることも事実だろう。

アーサー王伝説最大の恋物語と言われるこの「トリスタンとイゾルデ」だが、この本で紹介されている筋書きは永続性のあるものだ。誤って媚薬を飲んでしまった二人の恋のゆくえは、波乱万丈の展開を見せながらも、裏切りや愛欲と言った、人間性についての普遍的な問いかけを止めることはない。この本ではトリスタンとイゾルデが、イゾルデの夫であるマルク王の不在時に密会し、その現場を覗き見する3人の貴族をすべて亡き者にしてひとまず終わる(一説によると、この不倫場面を国王が見つけ、毒を塗った槍を突き刺してトリスタンの命を絶った、という)。

このトリスタンとイゾルデの最後については別の話として、決闘で毒の塗られていた刃によって傷ついたトリスタンが、毒の傷を癒せるイゾルデを待ちながらも嫉妬に駆られた女の虚言によって絶望しこと切れてしまう、そこに到着したイゾルデも後を追って死ぬ。そしてコーンウォールの礼拝堂の両側に埋葬された彼らの墓からはそれぞれにイチイの木が生えてくる。その木は、何度切り倒してもまた生えてきて、礼拝堂一杯に伸びついには枝先が触れ合いしっかりと絡み合って引き離せないようになった。そした、この二本の木が絡み合っているのはトリスタンとイゾルデの呑んだ愛の媚薬が効果を失っていないからだ、と信じられている、というのもある。

北海道の家で庭木を植えるとすれば一番先に候補にあがるのがイチイの木(あるいはオンコの木とも呼ばれる)。秋には赤い実をつけ、鳥たちの餌にもなる。近所の家と同じように自分の北海道の家の庭にもイチイの木が数本植えてある。いつの間にか枝が伸び過ぎてしまったようだ。枝が絡み合わないうちに剪定しなければならないだろう。

イチイの木

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手紙

2020年07月21日 15時20分18秒 | 日記

フェルメールの絵の中に、まるで対のように「手紙を書く女」と「窓辺で手紙を読む女」という作品がある。これを眺めながら、自分でペン(ボールペンでも万年筆でもいい)をとって手紙を書き、郵便で送ったのはいつのことだったろうかと考えてみた。

直近で手紙を書いたのは、ほぼ1年前、大学時代からの親友の一人が肺炎で病死し、そのあと、奥様に彼の死を悼んで書き送ったものだ。これは彼の死に際しての自分の気持ちをつづったもので、宛先こそ奥様になっているが実質は彼に宛てたものだった。

意図を伝えるということであれば、紙に書く手紙もEメール(あるいはSNS)も違いはない。むしろ、迅速性などからはEメールのほうが格段に優れているだろう。事務的なものであればなおさらのことだ。さらに、Eメールであれば、漢字転換機能がついていてどんな難解な言葉も活字で打ち出される。さらに文章チェック機能を使えば、不要な繰り返しや、助詞などの誤り、文章の不整合なども防ぐことが出来るので、表現にもゆとりが生まれる。これに対して手書きの手紙では、書き損じのために書き直すことが何度もありうることは勿論、うっかりした誤字に気を付けなければならないから、辞書を引きながら書くことになって書体に不自然さがにじみ出てしまうこともある。特に画数の多い漢字などはうまく書くことが出来ないこともある。

このように手紙を書くということは、いくつかある頭と手を使う作業のうちでも難易度の高い方に分類されるだろう。手紙を書くということは文章を書く作業の中でも特に神経を使うものだ。それは、紙という物理的にも唯一無二のものとしていつまでも残るからだ。Eメールでも、紙にプリントアウトすれば同じようになりそうなものだが、それは原本とはいえない。プリントアウトするということは無数のコピーができることでもあるし、そのことは多数の相手にに一度に公開されてしまうこともありうるということだ。しかし、手紙をコピーしてもそれは複写でしかない。手紙の差出人が書いた筆圧であったり、インクそのものは、(電子的な記号にすぎないEメールとちがい)他にふたつとないものだ。

手紙の魅力(あるいは魔力)を存分に引き出したのが、18世紀のフランス、175通という膨大な数の手紙だけによる小説(書簡体小説)である、ピエール・ショデルロ・ド・ラクロの「危険な関係 Les Liaisons dangereuses 」。手紙の差出人と受取人、そこに書かれている人たちの幾つもの思惑と、陰謀の限りを尽くした密約によって幾重にも絡まった運命が悲劇的な結果へと導かれてゆく、この小説を読んだときに、手紙の持つ、とくに手紙が出されてから受け取られるまでの時差を極限まで活かした展開に舌を巻いた。もちろんフランス革命前夜の退廃した恋愛小説としての心理描写がほかに類を見ないものであることは間違いないが、手紙という舞台の上で人間がいかに踊らされるか、それも最後には決闘によって落命するという悲劇的な結末を。卓抜した心理描写と緊張感は、手紙という装置があって初めて可能になりまた、読者を魅了したのだと思う。

手紙を書いている姿、手紙を読んでいる姿を想像するのは楽しい。次に手紙を書くのはいつのことだろう。この前と同じような内容にだけはならなければいいが。

「手紙を書く女」

「窓辺で手紙を読む女」

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フェルメール

2020年07月20日 14時45分38秒 | 日記

英国王室が美術品の世界において最も有力な収集家のひとりであることは良く知られているところである。この英王室の所有する美術品を管理し、また、王宮におけるこれらの美術品の公開についての運営を行っているのがRoyal Collection Trust。

従ってエリザベス女王の執務する公的な宮殿がロンドンにあるバッキンガム宮殿(私的、と言う意味ではウインザー城)で、ここに所蔵されている美術品を公開するのも、このRoyal Collection Trustの業務である。バッキンガム宮殿は女王の公務に支障のない範囲で一般に公開されており、併せて王室の所蔵する膨大かつ貴重な美術品も見ることが出来る。自分も日本から来た知り合いを案内して一度だけ、バッキンガム宮殿の中に入った(入場料を支払って観光客として)ことがある。

イギリスの他の美術館や公共施設と同様、閉鎖されていたバッキンガム宮殿でのコレクションであるが、Royal Collection TrustのHPによれば、7月23日から一般への公開が再開されることになった、とある。もちろん、見物客のコロナウイルス感染防止のため事前に入場券を購入する必要があり、また、一日に入場者数も制限され、ソーシャルデスタンシングが確保されるようになっている。

バッキンガム宮殿にはファン・ダイク、ルーベンス、レンブラント等の著名な絵が展示されているが、それらとならんで貴重な作品のひとつに、フェルメールの「音楽の稽古(A Lady at the Virginal with a Gentleman)」がある。確認されているフェルメールの作品はわずかに34作品のみであり、その一つがここにある。

困窮の中で43歳で死んだフェルメールと言えば今ではもっとも有名なオランダの画家の一人。とくに、ウルトラマリンブルーと言う青色を使った「真珠の耳飾りの少女」はあまりにも有名だ。このモデルが誰なのか、フェルメールの長女とする説や彼に恋する召使(映画化されたトレイシー・シュヴァリエの小説のように)なのか、という謎めいていることも。

そういえば、バッキンガム宮殿に保管されている「音楽の稽古(A Lady at the Virginal with a Gentleman)」も謎めいた作品だ。この絵の銘文には、'Music is a companion in pleasure and a balm in sorrow(音楽は喜びの伴侶であり、悲しみの芳香である)とあり、描かれている二人の関係を暗示しているのだろう。しかし、この二人の関係がどの段階にあるのかをはっきりと言うことは不可能だ。描かれたハープシコードとチェロの二つの楽器が、喜びの共有と目には見えない調和を意味しているのだろうか。そして、少女を見つめる男性の視線の奥にあるものは・・・

「音楽の稽古(A Lady at the Virginal with a Gentleman)」

バッキンガム宮殿のガイド本

 
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静かなロンドン

2020年07月19日 16時22分29秒 | 日記

数年前、ロンドンに滞在中に友人と食事をした際、プレゼントとしてもらったのが黒い表紙で小型の「Quiet London」。ロンドンのような大都市はすべてのものが揃っていて、人間の考えうるあらゆる欲望にこたえられるようになっている。美術館、博物館、レストラン、パブ、公園、ホテルどれをとっても魅力的だ。しかし、一般的にロンドンのような大都会では、そういったところに行くとすれば常に混雑と騒音を覚悟しなければならない。いや、多くの人間が集まるこの大都会はその喧噪と猥雑さが刺激的でありかつ魅力なのだ。ごく一部の特権階級や億万長者を除いては、大都会生活を楽しむということは騒音と喧噪を意味する。それでいながら、時として人は静かに本を読んだり誰にも気兼ねなくゆっくりと名画を鑑賞したり、隣の席を気にせずに食事のできる場所を求める。誰もが行きたくなるような人の目を引く派手な場所よりも、地味であまり人のいないところがどこかにないものかと考えるのはこれまた自然でもある。静けさと平安を求める人のために、実際に足をはこんで調べ上げ、そういった場所を紹介しようというのがこの本だ。友人は、静かに埋もれている素晴らしいところを沢山紹介している、と言ってやや興奮気味にこの本を持ってきた。たしかに一部知っている名前もあったが大部分は知らない名前だ。かつてはにぎわっていたところが、今はどういうわけか人の注意をひかないようになって閑散としているところも載っている。それぞれの説明文を読んでみたらどれもなかなか面白そうに思えてくる。すくなくとも一見には値する、と言ったところだらけだ。

特に予定のない日にその本をめくっていたら、19世紀のイギリスの詩人でデザイナー、かつ政治的にはマルクス主義者として精力的に活動し、それぞれの分野で業績を挙げ、「モダンデザインの父」とも呼ばれるウイリアム・モリスの博物館がロンドン西部のハマースミス橋のほど近いところにあることが分かった。名前は知っていたけれども、彼が熱心なマルクス主義者と言うことで少し遠慮していたのだが、静かに彼のデザインを鑑賞できるのであれば、行って損はないと思った。さらに、やはり客の少ない、静かなパブとしてその近くに「The Dove」という店があると知ってはもう行かないわけにはいかない。

ロンドン中心部からテームズ川の上流のほうに向かって小一時間で着くところにあるウイリアム・モリスの博物館は思ったよりもこじんまりとして自分のほかには一人女性の見物人がいるのみ。わずか3部屋ほどの展示室で、その奥では何やらセミナーのようなものが開かれていた。彼の著作とデザインしたものなどが展示されていたほかに土産品が少々、音を立てないように静かに見て回ったが、ものの30分もあれば十分だった。

ここを出るとほとんど目と鼻の先、と言う感じで「The Dove」があった。ところが、ここはなぜか超満員、静かに本でも読みながらぬるいビターを1-2パイント呑んでほろ酔い気分に、という思惑が完全にはずれてしまった。確かにテームズ川に面したテラスには椅子が用意してあり、その日はあいにく曇りではあったが、川風に吹かれ、緑色のハマースミス橋を観ながら飲むのも一興、ということがよくわかった。「Quiet London」の説明は違っているではないかと思いつつ諦めてハマースミス橋のほうに向かっていくともう一軒パブがある。ここはさほど混んではいない(Quiet  London には掲載されていない!)ので同じように川に面した席でビールを飲んだ。ひょっとすると「Quiet London 」に掲載されたので「The Dove」には客が殺到したのかもしれない。こういう皮肉はよくあるものだ。「隠れ家的」として紹介されたとたんに店に客が殺到してもはや「隠れ家」どころではなくなるように。

コロナウイルスにより、今この博物館は休館中だ。イギリスのパブは今月から再開されているので「The Dove」も営業しているのだろうと思うが、感染を恐れて、客の入りはどうか・・それ以上に、もはや「Quiet London 」などという本自体その存在理由を喪失したのかもしれない。誰もが感染を恐れ、かつ観光客もいないロンドンはどこへ行っても「Quiet」なはずだから。あるいは、コロナによって新たな「Quiet London 」の編集の必要が出てきているのか・・・

「Quiet London」の表紙

William Morris

Morrisの作品「イチゴ泥棒」

William Morris 博物館外観

入り口(開館は週に二日のみ)

パブ「The Dove」

テームズ川にせり出したテラス

干潮時のテームズ川とハマースミス橋

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芝刈り

2020年07月18日 15時57分45秒 | 日記

家の向いの公園では今朝から芝刈りが。大型トラックが公園の中に乗り付け、手際よく機械を数台下ろしてゆく。乗用の芝刈り機のほかに芝刈り機を肩に担いだ数人が芝刈りを始める。平らで木の植えていないところは乗用の機械が歩道の曲線に沿って徐々に内側へと支刈り込んでゆく。木の植えてあるところや狭い場所は肩掛け用の刈り払い機。この公園は一辺が250メートル、舗装された一周800メートルと400メートルの2本の歩道が設置されている。四阿は5か所、木製のベンチが25か所設置されていて、そのうち12か所はバラや紫陽花、ラベンダーの植えてある、ヒバに塀に囲まれた花畑の中に設置されている。ヒバの塀は1.5メートルほどの高さで歩道に沿って作られているが中とは遮断されていて見えない。6つの区画に分かれていて、それぞれ花壇を挟んで2つずつベンチが向かい合って設置されている。

この公園は、春は桜、アカシア、花林檎、ライラックの木が順番に花をつける。今は端境期で緑一色だが、そのうちに紅葉が始まり、ナナカマドが赤い実をつける。正門の両側には4列のポプラ並木があり、その突き当りには円形の野外ステージ、その後ろに10メートルほどの高さの築山が控えている。

花壇の中を別にすれば、ここは子供たちの遊び場で、芝生に立ち入ることも許されていて思い思いに遊ぶことが出来る。たまに歩道をランニングしている者もいるが普段は家族連れがのんびりと歩いている。芝刈りの後、刈られたばかりの芝の放つ草いきれがひと際濃く漂ってくる。じりじりと照りつける太陽と熱気を含んだ風、熱い心臓の鼓動と言うのか、生命の躍動といったものを感じる。ものみな生きていることを謳歌しているようだ。

 

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