晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

ブログ書き込み

2006-08-05 | 旅行記

 2006.8.5(土) ○

 休養のため連泊としたが、昼間はクーラーが使えないと聞きがっかり、なんとか涼しいところをと図書館に行く。この8月にオープンしたばかりの図書館で、なんとインターネットが使い放題、たまった記事を一気に書くこととする。パソコン持ち込みだがケーブルを持ってこなかったことに気づく、幸い図書館の方にお借りしてできたがケーブルは京都から送ってもらうようにしよう。

 各地でもこうした図書館があればいいけれど。Img_0127

越前市図書館

 図書館の帰りに骨董屋さんに立ち寄ったり、古い町並みを探索した、岩崎ちひろの生誕の家などというのも見つけた。Img_0129 夜は昨日同様秀亭かねろくに食事に行く、6時を過ぎたら満員で今日は数分待たされた。鰯の天ぷらと牛タン、野菜サラダとご飯を注文した。昨日は造りや白海老の唐揚げなど2日間おいしいものをいただいた。たぶん親子であろう二人の板前さんが阿吽の呼吸で立ち回っている、なによりもお客に対する気遣いが凄いのだ。通って良い店ってなかなか無いもんだよ。

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福井県に入る

2006-08-05 | 旅行記

 2006.8.4(金)○ 26度(起床時)日中34度

 6:45 起床
 9:25 余呉湖幕場出発
12:10 今庄着
12:45 今庄発
15:00 武生着
15:30 ホテル着
走行 70Km 累計 235Km  費用 8,463円

 連日強行軍になり今日こそはゆっくりしようと決意し幕場を出る、余呉湖の周りは琵琶湖アイアンマンのコースで二度走ったコースである。ところが一向に憶えてないのである、レースでは周りの景色なんて関係ないのである。今回の旅は時速15Kmだからいろんなものが目につく、蛇の目石の伝説なんかもゆっくり止まって由来を読んだり写真を撮ったり。ところがレースの時でもはっきりと意識していた光景があった、北陸本線の踏切である。レース中列車通過につかまったら、選手はじっと止まって待つしかない、一刻を争う選手にとってこれほどつらいことはない、みんな知っているあの踏切である。幸い私は一度もつかまらなかったが、その踏切が今ここにありまさに電車が来ようとしているのだ。何でもない光景だが懐かしさのあまり写真におさめることとした。Img_0115

 北陸自動車道の隣をのたりのたりと走る、とにかく暑い、しかも少しずつ登りで一番つらいのは今日越える峠が遙か彼方に見えることといくら漕いでもちっとも近づかないことだ。柳ヶ瀬というところで大木の木陰で一服する。古戦場や倉坂峠の由来が看板に書いてある。川の水にタオルを浸し、ヘルメットの下に入れる。朝からずっと後頭部をやられてるのだ。Img_0117 さあ出発という時大木の葉を見るとなんとこれは桑の木ではないか、こんな大きな桑の木見たこと無い。
 段々登りが急になり山が迫ってくる、椿坂峠だ。ボトル二本のお茶はもう無くなりかけている。生水は飲まないなんて言ってられない、熱中症の恐怖が襲ってくる、山水を汲んでとりあえずボトルを満たす。幸い水はあちこちわき出ている、それよりも問題は食料だ。
道中で行動食を仕入れようと思っていたのだが、店なんて一件も無いのだ、この辺の人はどこで買いものするんだろう。峠は思ったより長く急だ、熱中症よりハンガーノックの恐怖が襲ってきた。昨日買ったチョコレートウェハースが唯一の食料だ、小出しに食べて登ってゆく、いざとなれば生米が一勺タマネギが半個ある、ちっとはカロリーがあるのだろう。這々の体で椿坂を登り切る、やがて昼食と書いた看板が見える。助かった、なに食おうかななんて楽しい想像をしながら近づくと中は真っ暗、私の心も真っ暗、行動食をしっかり用意しなかったことが悔やまれる。Img_0120
 途中右手に己知の冷水というのがある、これも都市の近くなら行列ができそうな水だ。それにしても余呉町はしつこい、どこまで走っても余呉町なのだ。もう一つ栃の木峠を越えなければという不安があったがこれは椿坂ほどではなかった。Img_0121
だらだら登り切ったところに「淀川の源」という石碑がある、ここで小便すれば大阪に流れ着くのかと変な感心をする。ここで滋賀県とお別れ、あとは恐ろしく長い下り、福井県側からはたまらない峠である。下りきったところが蕎麦で有名な今庄の宿、おばちゃんの店というところでざるそば大盛りをいただく、やっとありつけた食事だが味は少し期待はずれ、蕎麦通の人には怒られるかもしれないが、、、。
 今庄に宿泊するつもりだったが周りは工事だらけでやかましく埃っぽい、落ち着いたところもあるのかもしれないが、気がすすまず先に進むことにする。日野川に沿ったサイクリング道は最高の走り心地、途中そま山に温泉があり電話するも満室とのこと、金曜日だもんなあ。気持ちいいサイクリングロードも泊まるところが決まらないで段々イライラしてくる。結局武生まで来てしまう。見つけた宿は安くて親切、疲れを取るため連泊することにする。紹介された居酒屋もおいしくて予算オーバー、明日も行こう。

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八淵の滝を巡る

2006-08-05 | 旅行記

 2006.8.3(木)○  24度(起床時)日中32度

 6:00 起床
 7:25 幕場出発~八淵の滝
 9:10 七遍返しの淵着  発 9:25
10:00 ガリバー旅行村着
11:15 ガリバー旅行村発
17:10 余呉湖キャンプ場着
走行 74Km 累計 165Km  費用 4,930円

 昨晩の夕食の残りの焦げ飯を梅干しとお茶で無理矢理かっ込みスタートする。自転車で登れば時間が稼げると思い林道を登っていくが、ものの5分で山道に代わる。自転車を木にくくりつけて歩き始めるがガスが濃く、気味悪い。獣でも出ないかと不安、熊よけの鈴持ってくりゃ良かったと思いつつ仕方がないから歌を歌いながら行く。中島みゆきでは余計寂しくなるので、なぜか秋の夕日に照る山紅葉となった。魚止めの滝に向かう急斜面を降りてゆく、ドウドウという滝の音がだんだん大きくなり落口の上に出る。障子ガ淵もあわせてなかなかの圧巻である。何枚も写真を撮って山道に戻る。Img_0069
 Img_0076         Img_0080          Img_0089

唐戸の淵、大摺鉢、小摺鉢、屏風が淵と巡り、貴船ガ淵が一番滝らしい滝、幽玄とはまさにこういうことをいうのかな、思い切ってきて良かったと思う。その先はきつそうなルートが見えているが、あと一つを残して帰るのも心残りと思い、岩場を登る。はしごや鎖が完備してあるのでサイクリングシューズでもなんとか登ることができる。途中に遭難の碑があったりして心細い、よく考えれば何という格好だ、遭難でもしたら非難ごうごうの軽装である。最後の七遍返の淵で記念撮影、まむしにでもかまれたらたまらんなと合羽のズボンをはき、さっさと下る。大摺鉢など気もつかず30分で自転車のある林道に出る。この辺りでやっと登山者にあうようになる、もっと早く来いよなあ、寂しかったぜ。2時間半ですべての滝を巡ることができた、管理人さんの5時間はいったい何だ、素人にしか見えなかったのかな。
 早々にテントをかたづけ高島に向かう、昨日見つけた宝ヶ池湧水をボトルに汲む、由来をしっかり読むとこの地はかつて真宗大谷派の影響力が強かったとか、宝ヶ池、鴨、音羽など京都と同じ地名が多いのは何か関係あるのか。
 新旭の風車村の近くでコンビニ弁当の昼食をとる。ここは以前トライアスロン駅伝のスタート地点だ。このトライアスロンでは二度ばかりお立ち台に立たせてもらった、といってもあとの二人のがんばりでいただいた賞だが、、、、。ここで向日市の公文の教室に泥棒が入ったとの報、そこには旅の出発前自転車や装備を置かせてもらってたところなのだ。 新旭からマキノまで湖岸の自転車道を走る。琵琶湖がこんなに美しいとはかつて感じたことはなかった。自転車のなせるわざってところか。Img_0104
 

琵琶湖の葦原 竹生島がかすむ

奥琵琶湖パークウェイはかなりの登の記憶があり、303号線経由を選ぶ、これが大間違いでいきなり161号線迫坂峠の登りがあり、303号にはいると奥琵琶トンネル、これが長くて大型トラックが多い最悪のトンネルであった。次の岩熊トンネルは右側に広い歩行者と自転車用の歩道があり最高、何百回とトンネルを通ったがこんな嬉しいトンネルは初めて、トンネル大賞をあげましょう。Img_0108

気持ちよく下っていると折りたたみ式の自転車に荷物を積んだおじさんが登ってくる、聞くと自転車電車併用で九州に行くとのこと、先ほどのトンネルの状況を話すと「汽車で行くわ」と言ってさっさとUターンして下っていった。「親不知ではえらい目にあった」と言っていたのでトンネルではよほど懲りているらしい。それにしてもどこから来たんだろう。
 私はここからえらいめにあうこととなる。8号線に出合うところを直進すれば余呉湖に行けると思っていたのだが、そんな道は無いよとスタンドのお姉さんに言われる。8号線を木之本に行くしかないそうだ。8号線だけは絶対に走りたくないと考えていたのでがっかりする、それほどトラックが多いのだ。藤ヶ崎トンネルはまだ歩道を走れたが賤ヶ岳トンネルは左側に歩道無しと予告がしてある、右側にあるとも描いてないのだ。ママよと左の道に入る、えらい登りで立ち漕ぎとなる、暑くてお茶が終了、仕方なくさっき汲んだ宝ヶ池の水を飲む、生水は避けようと思っていたのに。ところがこれが最高にうまい、甘露とはこのことか、いろんな名水飲んだけど生水でうまいと思ったのはこれが一番である。
古戦場の亡霊でも出そうなほど寂しい坂道を一人で登る。亡霊は出なかったがトンネル工事のおじさんがたくさん出てきて峠は終わり、本日欲せずして2つの峠を越える。降りたところが大音というところでどちらへ向かえばよいか解らない。100均の地図は駄目だ、次は高くてもしっかりした地図を買おう。なんとか道標に従って余呉湖に向かう、民宿の看板はいっぱい出てくるが本物の民宿は見あたらない。湖に近づくと国民宿舎があった、もう70Km以上走っている、「予約してませんがとまれますか?」と頼むがつれなく断られる。駐車場には1台も駐まってないのにだぜ。キャンプ場を紹介されてとりあえず今夜のねぐらとする。まずはビール。

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八淵の滝を目指して

2006-08-05 | 旅行記

 2006.8.2(水)○   29度(出発時)

 8:00 起床
10:30 出発 比良~高島民俗資料館
13:30 民俗資料館出発
15:10 ガリバー旅行村着
走行 34Km  費用 10,457円(民宿は夕食、ビール3缶で6,500円)

 十分に寝たのに体が重い、3ヶ月間のぐうたら生活のつけがきているのか。炊飯器で1.5合の米を炊きおにぎり6個をつくり、朝と昼食とする。サイドバッグの留め金の調節をし、出発の準備をしていると親切にしていただいた奥さんがおしゃべりにこられた。以前は向日町に住んでおられ、お子さんと私の娘は同じ幼稚園に通っていたとか、比良の民宿も子供さんが継ぐこともないとか、分譲地の話とかいろいろ聞かせていただいた。比良の分譲地も高齢化が進み、次世代は田舎暮らしがいやな様子で売りに出ている家がたくさんあるらしい。200坪の土地で6000万円、ちょっと手が出ない。民宿田沼はおすすめの宿、洗濯などもしていただいて感謝、感謝。Img_0046_1
 161号線は北小松までは交通量が多く、歩道も走れず恐ろしい、白髭神社で一服し母に電話する、心配している母には毎日電話する約束なのだ。
 ここからは歩道も広く走りやすい、高島市は旧市街を走る、どこでもそうだが新しい国道と旧の国道が分岐している場合は旧の道(大抵旧の市街となっている)を採ることにしている、交通量も少ないし興味深いものにも出くわす確率が高い、なにより人々の生活がそこにあるからだ。高島町もそのとおりで、昔の町並みを上手に活かしたおしゃれな商店街となっている。造り酒屋、酢の製造所など由緒のある店が並んでいる。Img_0056
 街のはずれの民俗資料館に立ち寄り昼食とする。民俗資料館は無料で沢山の資料が並んでいる。特に井筒屋の発祥の小野組の資料とか、稲荷山古墳の石棺など興味深かった。小野組は明治初期には三井と並ぶ豪商であったが、その跡地は駐車場とマンションになっており栄枯盛衰を感じさせられる。
 資料館に置いてあるパンフで八淵の滝を見つける。今行ってみないと一生行かないだろうと思い、予定変更しガリバー旅行村へ行くこととする。途中拝戸というところにアンティーク山積みの廃倉庫がある。土塀の農業倉庫だが、高島の消防ポンプや、足踏式脱穀機などの旧い農具が軒下に積んである。痛みも激しく、資料館などが引き取ればいいのにと余計な心配をする。Img_0098

その先に「宝ヶ池湧水」という名水を見つける。いわれの書いてある看板も草に埋もれ、柄杓や湯飲みも朽ちはてている。都市の近くであれば連日行列のできるところであろうに、手ですくい飲んでみるとなかなかおいしい。Img_0057

 ガリバー旅行村まであと3Kmぐらいから急登となり、ついには押して歩くはめになる。小一時間押し歩き、くたくたになる。走行距離は34Kmだが5,60Kmに値する登りであった。管理人さんに八淵の滝の所要時間を聞くと、5時間といわれ、今日の遡行をあきらめ、明日早々に登ることとする。テント場は蟻の大群で一晩格闘する。

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比良山のすてきな宿

2006-08-05 | インポート

 2006.8.1(火)○

 9:00 起床
12:09 出発 向日市~外環状線~1号線逢坂山越え~大津161号線
17:09 比良民宿田沼着
走行 57Km  累計 57km     経費 0円

 昨日近畿、東海等梅雨明け宣言、あせりを感じいよいよ再スタートとなる。気温は34,5度あるようだが体が慣れてきて7月の試走のときより涼しく感じる。Img_0036

 尾池先生の涙の見送りを尻目に今回はサイクルロードを南にとる。外環状線を中書島に向かうが、高架のところは自転車通行不可となっている。適当に町中を東へ進む、道路はあくまで自動車のためにつくってあるものだ。五条外環状線の交差点だってそうだ、横断歩道はなく地下の階段を汗だくになって渡る。逢坂山の登り口だって車は最短コースをスイスイ行けるのに自転車はとんでもない大回り、自民党総裁候補の谷垣氏は自転車が趣味とか言ってるが、消費税上げさえすれ自転車のための政策なんてないだろうなあ。逢坂山で関所跡の写真を撮る、さようなら京都。Img_0039
 車の多い161号線をひたすら北上する、和迩を越えた頃から暑さと空腹でふらふらしてくる、なんか食べようと立ち寄る店はみんな閉まっている。ラーメンとかケーキなど食べたくない店は開いている、くそったれ。ふらふらになって比良に着いたが今日の宿民宿田沼が見つからない、携帯電話も雑音が多く要領を得ない、そのうちチエンのトラブルとなる。前トップ、後ろローの状態でチエンがパンパンに張ってどうにもならなくなっている。イライラしないで荷物をおろし、丁寧に直す。この心情になるまで相当かかった、急がば回れだ。最後の携帯電話がつながり、奥さんが迎えにきてくれた、比良の別荘街の一角で別棟一棟を貸してくれるのだ。到着後買い出しに行くというと、「店は遠いから、あるもので食事を作ってあげます」とのこと、「じゃあビールだけ買ってきます」というと、「ビールもありますから、実費で良いですよ」ありがたいじゃないですか。部屋は寝室、ダイニングキッチン、お風呂、トイレ、応接間があり最高、ビールのあてにとオードブルなんかもつくってもらって、一人ではもったいない感じ。ニッポン放浪宿ガイド200で見つけた民宿だけど、初日にして最高の宿に泊まってしまった。阪神は巨人李のホームランでサヨナラ負け、今日の不満はこれ一つ、おやすみ。
Img_0040

ダイニングこんな感じ

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