2007.4.5(木)快晴 風冷たい 道中最高16度
7:00 起床
9:20 武雄YH発~R34~
13:45 佐賀青年の家YH着~県立博物館~佐賀城本丸歴史館~大隈記念館~
佐賀市歴史民族館~長崎街道(旧古賀家、旧牛島家、構口橋、思案橋)
18:15 佐賀青年の家YH着
出発時夫婦で見送っていただく、記念写真を撮って、 北方の事件が無罪確定し、新聞のトップ記事となっているのは単なる偶然なのか。
この通りは長崎街道が通っているのだが、勿論新道にはその影はない。脇道にそれて旧道を走ると、いろいろの遺跡や街道の面影が見えてくる。大町町の福母地蔵板碑や横辺田代官所跡、江北町のカンカン石など興味深い物がある。カンカン石は国道に「カンカン石200m」とだけ書いてあり、一体なんだか解らない。200m矢印の方向に行っても何もないので、玉葱畑のおばさんに聞く、「カンカン石はどこですか。」「あの山の向こうにあると」「カンカン石ってなんですか」「私にもわからんと」これは面白そうだ。やっと探し当てると、その珍石は江戸時代から長崎街道の名物となっており、記録や紀行文中に出てくるという。正式名称を鳴石といい、その正体は磁鉄鉱を含むサヌカイトである。灯籠やその台石などいろいろあるが、その中に一部分がたたかれてへこんでいる石があり、傍らの小石でたたいてみると、まるで鐘をたたいているように、カンカンと乾いた音がする。思わずニヤリとする、楽しい石である。
左:福母地蔵板碑 中:カンカン石公園 右:カンカン石
その少し先に日だまりの丘公園というのがあり、あまりに桜が綺麗なので、立ち寄って行動食を食べる。文字通り日だまりの中で老人ホームのお年寄り達が花見会をしており、楽しそうである。写真を撮っていると、古い地蔵様があり、これも長崎街道のなごりなのか。
宿の佐賀青年の家に着くと荷物を置いて、佐賀市内を逍遙する。佐賀市は落ち着いた街である。各地の県庁所在地を廻ってきたが、どこも雑然としていて騒がしいが、佐賀は静かで落ち着いている。自転車で走っていてもイライラヒヤヒヤすることはない。それに何より街が綺麗である。ゴミやタバコの吸い殻、空き缶など一切落ちていない。それが京都や大阪と違うところである。もう一つ気に入ったのが、宮崎県同様博物館などが無料なのである。長崎県がどこに行っても高かっただけに、余計感動する。博物館の隣に佐賀城跡があり、県立の佐賀城本丸歴史館がある。佐賀城本丸御殿を復元し、資料なども展示されている。本丸御殿とは藩主の居宅でもあり、為政の場でもある。大変立派な建物だが、使用されている材は杉なのである。普通は檜とかそれに準ずる高級材を使用するものなのだが、質素こそがこの藩のポリシーであったようだ。長崎の警護に多大の出費を余儀なくされ、自ずと質素にならざるを得ないのかも知れないが、参勤交代の人数を四分の三に減らしたり、藩主自ら一汁一菜を実践したり、念の入った倹約ぶりである。その実、蘭学を重視し、大砲や軍艦の作製や医学、科学の発展などしたたかな面がある。
佐賀城本丸御殿
佐賀の七賢人というのがあり、筆頭は大隈重信だろう、江藤新平、副島種臣ぐらいまではどなたも知るところかも知れないが、じゃあ一体何をした人なのかというと、心許ないものである。大隈重信も何かと活躍しておられるのだが、早稲田大学(当時は東京専門学校)の創始者ぐらいしか解らない。明治の偉人と言えば、北朝鮮の高官みたいに重いほど勲章をぶら下げているのだが、大隈重信はひとつも勲章を着けていない。何でも勲章をやろうという時に「私は頑張っているが、隣のおやじも同じように一所懸命頑張っている。彼にも勲章をやってくれ」と言って、断ったという話を聞いたことがあるが、本当だろうか。佐賀城跡と佐賀市歴史民族館の間に大隈重信記念館がある。入館すればそのあたりのことも解ったかも知れないが、時間的に無理なので外から写真だけ撮って失礼する。
佐賀市歴史民族館は旧長崎街道沿いの旧古賀銀行、旧古賀家、旧牛島家、旧三省銀行、そして二筋南の旧福田家など歴史的な建造物を無料で開放しているものである。時間的に内部を見ることができたのは旧古賀銀行だけであった。一階の半分が浪漫亭なるレストランになっており、大正ロマンあふれる店は人気が高いようである。その隣が旧古賀家で、向かいが旧牛島家である。写真を撮っていると、牛島家の隣の「富士の煙」製造元の末裔らしき、がばいおばちゃんが出てきていろいろと昔話を聞かせてくれる。なお、富士の煙とは、国独占となる前の煙草で、長崎街道の名物だったそうだ。
旧古賀銀行とその内部
がばいばあちゃんと言えば武雄市がそのロケ地として売り出しているが、それはテレビのロケだそうだ。映画の方は佐賀市が中心で、靴を買う場面や、古賀銀行で働いている場面など近所の人も総出で出演したそうである。お礼を言って出かけようとすると、目の前に恵比寿さんの像がある。そういえば長崎街道沿いには恵比寿像が沢山あると、博物館に展示していた。「これは長崎街道に前からあったものですか」「それがそうじゃないとよ。前の市長さんが、長崎街道にはこれがないといけんばってん、お寺にあったのを持ってきたとよ」歴史ってそんなもんか、偽物ではないからまあいいかとも思うが、なんとなくしらけてしまった。
旧牛島家、隣が煙草工場跡、恵比寿さんも見える。
右は構口番所跡、道標と恵比寿さま。
街道を象徴する二つの橋を見に行って、今日の仕事とする。ひとつは遊郭の手前にあった思案橋、名の通り行こか戻ろか思案するものらしい。もう一つは東構口橋、構口は宿場や城内の入口である。番所跡があり、こくら、ながさきの道標と恵比寿さんが並んでいる。いかにもという場所だ。
走行距離53Km 累計8,219Km 経費6,082円
★佐賀青年会館YH 一泊二食4,475円 設備古い、TV一時間100円