2007.4.20(金)曇り
7:00 起床
9:30 城福寺YH発~市道~宅野~R9~県道30号線~県道56号線~県道281号線~R184~立久恵峡~R184~出雲文化伝承館~
17:30 ゑびすやYH着
二日間お世話になった城福寺を、お礼を言ってお別れする。今日は出雲市、立久恵峡までの予定なので道中ゆっくり見て回ることができる。仁摩の郵便局で小包を送り、立久恵峡のユースホステルに電話する。「現在使われておりません。」えっまたかよ。ユースホステルは廃止や営業中断などが多く、あてにならない。大社前のユースホステルに電話するとOKとのこと、しかしこれで20Km行程が伸びる。こんなことなら、早く出発すればよかった。
昨日買った本、グラビアで重いので郵送する。日本の鉱山文化
温泉津で見つけたタタラの水溜の出所を確かめるべく、宅野の街による。知らない間に通り過ぎてしまうような小さな街、集落と言おうか、だが落ち着いた街である。ここは石見にあって紅い石州瓦を使っている家がほとんど無い。ほとんど黒い瓦なのだ。この地では異様な感がする。郵便局の向かいにひときわ大きな屋敷がある。ここが藤間家かと思うが確かめる時間がない、いや心の余裕がないのだ。
宅野には石州瓦が少ない。
大田市街まで国道を走り、三瓶山に向かう県道に入る。この街道沿いには小豆原埋没林公園があり、遠くなければ訪れようと思う。三瓶川に沿って登って行くと、三瓶ダムの隣に名水がある。甘屋の水と言われ文徳天皇に献上したといういわれのあるものだ。名の通り甘露な味で、ボトルも一杯にする。水汲みのおじさんとしばし談笑、京都なら行列の出来る名水である。
三瓶ダムから三瓶山、甘屋の水
埋没林は県道から1.3Kmということで、諦める。ただ走るだけではつまらないのでなにか面白そうなところは無いかなと探していると、山口民俗資料館の看板が所どころ立っている。山口は山の中の集落だが、文化的には豊かな様子で、石見神楽の伝承館なども道中にある。峠道を必死に登り、やっと資料館の近くにたどり着いた。するとひときわ大きな看板があり、「開館日、第二第三日曜日」などと書いてある。最初から書いとけよな。
峠からうねうねした細い道を下る。苗代には田植えの準備が整い、蛙の声が賑やかである。土日は田植えの最盛期なのだろう。飽きるほど下って、国道184号線に出る。下り追い風ですいすい走る。神戸川の堤防が所々崩れていて、補修工事があちこちで行われている。ダンプの走行もかなり多い。立久恵峡のユースホステルに着いて、その悲惨な状況を目にする。一階部分は板で覆われて、もう長い間閉鎖しているようだ。周りのキャンプ場や遊歩道もどうも様子がおかしい。木々に流木が巻き付いていて荒れ放題となっている。立久恵峡のシンボルの吊り橋を見て、その状況に驚く。板がすっかり流されて、ロープだけが揺れている。道路脇で作業している人に聞く。「何かあったのですか」「洪水ですよ、ユースの二階まで水が来たのです」「いつ頃の話ですか」「去年の7月」、、、、、、、
去年の7月と言えば、私が最初に出発して、福知山で洪水に襲われ、逃げて帰ってきた、あの時ではないか。ユースホステルは廃業、公園や橋などは復旧の目途が立たないそうである。田に積もった土砂の捨て場として、この地は埋まってしまうそうである。観光地としての立久恵峡は何時元に戻るのか解らない。3本有る橋の2本が崩壊し、遊歩道へ行く手段もない。国道から対岸の岩峰群の写真を撮って、先を急ぐ。国道沿いにある温泉には立ち寄りのお客が来ているようである。
左:立久恵峡YH 中:すっかり壊れた吊り橋 右:濁流の跡が生々しい
立久恵峡の岩峰群
出雲市内に入ると出雲文化伝承館という施設が有り、無料なので立ち寄ってみる。出雲の神話や出雲大社の基礎知識を仕入れる。
走行距離86Km 累計8,901Km 経費6,198円
★ゑびすやYH(出雲市大社町)素泊まり3,050円 チェックイン4:30、チェックアウト8:30がつらい。