晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

秋蒔きシーズン 9/13

2011-09-13 | 違いのわからん農学士

2011.9.13(火)快晴

 夏野菜の季節が終わり、畑を整備して秋蒔きの季節となってきた。夏野菜は千両が秋ナスとして連日収穫出来ることと、ヒスイナスも生育が遅かったのでいまだになり続けている。ゴーヤとオクラもなっているがもう飽きてきたので種採り用に置いているだけだ。秋蒔き、秋植としては以下のとおりである。
8.24 馬鈴薯ニシユタカ植えつけ(1Kg、購入品)
8.25 ラッキョウ、ニンニク植えつけ(干しネギ状)
8.26 白菜播種(2009年購入種子)
9.6  オリーブ、ムクゲ植えつけ(購入苗)
9.8  馬鈴薯キタアカリ植えつけ(夏収穫の残り物)、ホウレンソウ播種(購入種子)
9.9  九条ネギ植えつけ(干しネギ)
9.12 白菜苗植えつけ(頂き物)
9.13 大根播種(2010年購入種子)

とまあこんなスケジュールでやってるのだが、問題も多い。
 この夏馬鈴薯の栽培が割と上手く行ったので秋取りというか冬取りというか要するに二度芋を植えつける。キタアカリが美味しかったので又植えようと思ったが、この時期には芽出しが悪いということで種類が変わっていた。煮くずれしないニシユタカという種類を植える。夏期に植える場合は地中温度が高く、腐る可能性が高いので切らないで植えるのが常識だそうだ。実験的に半々で植えつけたが、果たして切った方は20%程度の芽出し率である。丸のままの方は60%ぐらい出ているがまだ結論は出ていない。Img_3738
 
手前が丸のまま、向こうが切ったもの。違い歴然。


 なお、キタアカリがこの時期に出ないのは芽が出にくいからだそうだ。畑を耕していたら6個ほど残っていたので、後日植えつけた。これは生育しないかもしれないが、ひょっとしたら来年できるかも知れない。
 白菜は8月に播種し、その後台風の雨などあったが一向に芽が出てこない。3年目の種なので無理もないか。新しく種子を購入しマルチの穴4っつに播種する。残りの穴にも蒔こうかと云うときに苗を頂くことができた。9個の穴に植えつけて防虫ネットもしたのだが、以降カンカン照りの真夏日であっという間に萎れてしまった。やむなく朝昼夕に水遣りをし、昼間は寒冷紗を掛けることにした。ちょっと手間がかかるけど、育てば儲けものだ。Img_3737
 
下葉が枯れて白っぽくなっている。



 大根の播種もしたが、発芽が心配、やはり種は保存状態を考えないとやばいみたいだ。Img_3736

マルチ穴と畝の巾があっていない。九条ネギは本社農場で、ラッキョウ、ニンニクは究極農場で栽培。干しネギは3本ずつ植えるんだって、知らんかったなー。近所で立ち話を聞く。


【作業日誌 9/13】
大根播種

今日のじょん:やがてヘルプを求める視線を送ってくる。ここでヘルプして、ボールをちょっと移動すると簡単に取ってしまう。それではためにならないので知らん顔していると、離れたところで固まってしまう。根比べとばかり放っておくと、実にいつまでも固まっているのだ。Img_3733そういう意味では根性があるといえる。


絶対取らんぞと固まっているところ。

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仁和寺の法師 玉岩地蔵(4) 9/12

2011-09-13 | 上林界隈(AKB)

2011.9.12(月)快晴

 さて、なんで仁和寺の法師なのかというと肝心なものを見てこなかったからだ。玉岩地蔵まで行けるとは思っていなかったし、満足して帰ってきたのだが帰宅後玉岩地蔵のことを調べているといろんなことが分かった。
 もともとなんで玉岩なのか不思議には思っていたが、八百比丘尼の伝説以外の予備知識は無かった。現地にあった二つの案内看板にも玉岩のことは書いてなかった。実はこの地蔵堂の建っているところに巨大な流紋岩の岩塊が横たわっているということだ。というより岩塊の一部に地蔵堂が乗っているという方が解りやすい。この岩塊が玉岩である。左手の末社の辺りを観察すべく回り込んでいたら、お堂の裏にその岩塊が見えたかもしれない。地蔵仏はその岩塊をくり抜いて安置されているそうだ。本堂の覗き窓から見えたのかも知れない。なんとも仁和寺の法師である。Img_3719
 
法師ふりかえると杉木立の中に地蔵堂が見える。



 また海老坂に242cmもの宝篋印塔があることも後日知った。峠までは行くつもりが無かったのでこれはいいのだが、いずれ訪れてみたい。それにしても由良川と大堰川をつなぐ小さな峠というイメージだったのだが、実は大変重要な峠であったのだろう。Img_3712

地蔵堂から海老坂(峠)にむかう道。


 それは案内板にあるように炭や薪が越えたというだけでなく、大堰川の水運につながる物資が越えた峠であろう。海老谷は”えびたん”または”えびだん”と発音するそうで、これは将に上林同様若狭の影響である。八百比丘尼伝説や笛吹神社など若狭の海人族の影響が感じられる。金工は近代のマンガン鉱だけでなく、古代の金工がなされていた地帯だったのではないだろうか。海老谷とは一般的に海老のように曲がった谷を表すそうだ。しかし特別に曲がっているとも思えないし、曲がっていると云えばそのあたりの谷はみんな曲がっている。しかも美山町側板橋に下りる谷も海老谷というそうだ。私はこれはもともとイビ谷だったのではと想像しているImg_3721
Img_3722  
海老谷は稲刈り真っ最中、路傍には地蔵や石碑があり若狭街道の面影を偲ばせる。


 地名については別に機会を設けるとして、今回の玉岩地蔵訪問は仁和寺の法師ではあったが、他に得るものが多かった。おわり

【作業日誌 9/12】
白菜苗植えつけ、サーキさんに頂いたよく育った苗を9本植えつける。同時に防虫ネットも設置、これもサーキさんにお借りする。

今日のじょん:問題はボールが見えているかどうかということである。私は見えていて、分からない振りをしていると思っている。そうだとするとなかなかの役者だということだ。Img_3671

ボールは杉丸太の向こうにある、でも必ずこちらから行けるのではという感じで探しに来る、なんとなく白々しい。

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