晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

日吉町地名散歩(5) 9/24

2011-09-25 | 歴史・民俗

2011.9.24(土)晴れ

 木住川上流の生畑(きはた)にかつてマンガン坑があったことは確かであるが、どこにあったのか今のところ解らない。生畑という地名についても如何なるものか判断がつかないでいる。そのうち判明するかと思い次に進むことにする。
 小畑から柏木トンネルを越えると四ッ谷である。四ッ谷といえば四谷怪談で有名な新宿区四ッ谷がある。かつて四つの家があったから四ッ家だとか四番目の谷だから四ッ谷だとか言われているそうだが、どうも怪しい。どこから数えて四番目なんだというと、その北に市ヶ谷(いちがや)がある。三島由紀夫の自決でご存じかと思う。いずれにしても都会のど真ん中で周囲の地形も変わり地名も消えているので探りようがない。
 スキーをする人なら誰でも知っている大糸線の白馬駅は白馬村大字北城四ッ谷にあって、かつては信濃四ッ谷という駅名であった。このように四ッ谷という地名は各地にあるのだが、由来ははっきりしない。単純な地名なので学者も研究しないのか書物にも見あたらない。私はヨツヤという言葉に何かあるのではと考えているのだが、さていかんともしがたい。
 田原川流域は金工地名の宝庫である。私は古代の鉱山の谷であったと想像している。それは金工にも歴史にも興味の無かった時に既に気になる地名があったことによる。京都ゼミナールハウスで行われた京都トライアスロンは水泳の代わりにクロスカントリーを入れて行われる、いわゆる変則トライアスロンだったが、京都府に於けるトライアスロンの魁であった。10回も続いただろうかその総てに関わり、特にコースの設定では北山の山道を走り回り、ランコースの設定のため田原川流域を踏査した。赤石、田貫、佐々江などという地名が金工に関係があるのかなと、その当時からうっすらと考えていた。Img_3723
 
ドッグランのある喫茶「おかげさんで」はこのあたりと聞いたのだが、一度いってみたいところだ。(日吉町四ッ谷)


 日吉の四大鉱山は道奥谷、矢谷、玉岩、地蔵の各鉱山と言われているが、玉岩は海老谷に、道奥谷は神楽坂にあることは確認できている。矢谷鉱山は位置は未確認だが五箇荘村にあったということだから、田原川の流域である。地蔵鉱山も未確認なのだが、玉岩鉱山地蔵坑というような表現も見あたる。また最初の発掘は佐々江明日ヶ谷の岩見鉱山であったというから、日吉のマンガン坑の主流は田原川流域にあったと考えてよい。つづく

【作業日誌 9/24】
じょんのび坂芝張り
第三木小屋床作製Img_3827

作業小屋の横に薪を積んで、断熱効果も狙っている。



 今日のじょん:今日のじょん君といって訪ねてこられるお客さまがたまにある。晴徨雨読を見ておられる方だろうと感謝する次第だ。本文は面倒なので「今日のじょん」だけ見ているよと言われる方もちょい有りで、まっいいかという感じだ。そんなこんなで休むわけにいかないので大変だ。Img_3821


これはまさしく今日のじょんである。霧の写真を撮ろうとしたんだが、朝が遅いのではれてしまった。(念道橋で) 

コメント
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