晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

幻の仏主峠-7 7/6

2019-07-06 | 山・峠

2019.6.7(土)曇り 仏主峠考察編-3

 1980年以前に歩かれた金久氏の地図と現在の地図が違っているのは当然だが、本来の峠道はどこなのだろう。国土地理院に問い合わせば当時の地図が見られるかもしれない、あるいは国会図書館ならあるかもしれないなどと考えているとき陸地測量部の明治24年所定二万分の一地形図「長老嶽」があることに気づいた。書庫から引っ張り出してきて驚く。そこに記されていた峠道は金久氏が歩かれたP831mから西に派生する尾根で、現在舗装道路がジグザグに下っているところである。そして現在の地図にある仏主側峠道は記載が無い。仏主峠は丁度P831mを東に捲く形で仏主に向かっていたのだ。

明治28年発行大日本帝国陸地測量部二万分の一地形図「長老嶽」
 では現在の地図にある仏主側峠道はいったい何なのだ。京都府の山(山と渓谷社刊1995年)の記録を見てみる。仏主からの登山だが、森林ふれあいロードといって長老ヶ岳西北西に延びる尾根に権現谷の対岸から取り付くルートである。長老ヶ岳に登るなら近畿自然歩道よりよっぽどいい登山道だが仏主峠を目指したわたしたちには眼中に無かった。下山には電波塔管理道路を使っているが、当時はまだ舗装はされていないようだ。大まかな地図に仏主峠の記載があるがどの位置なのか詳細はわからない。
 結局現在の地図にある舗装道路(管理道路)からオマツ谷に入って峠に至る道はネット上の記録を探すことになる。すると2015年の記録があった。道路と谷との合流点は昨年の豪雨で破壊されたもので、記録当時は荒れていないが、それでも谷筋の道は不明で、稜線にたどり着く部分もわからず、峠のかなり北方に上がってしまったというものだ。どうやら地図上の峠道は荒れているというより消えてしまったとみていいようだ。

現在の地図にある仏主峠への道取り付き、道らしきものは見えない。
 次回この道を踏査してみようと思っていたが、その必要もなさそうだ。これは想像だが、電波基地管理道路を作ったがために本来の仏主峠道が破壊された、その代替としてオマツ谷筋の道を峠道とし、峠でUターンしていた道を真っ直ぐ延ばして繋げたのではないだろうか。その道は無理やり作ったのではなく、従来の山仕事の道だったのかもしれないが、そう考えると不自然な仏主峠の現在の形が納得できる。本来の仏主峠だと、P831mを捲いて尾根から尾根に越える普通の形状である。
 ネット上の記録でもう一つ発見したことがある。三埜側の下り道で中谷と西谷の中間尾根で西谷に向かって降り始める位置が現在の地図よりかなり手前だということだ。地図上ではP665mの手前670m付近から降り始めているが、ネット記事では250m程手前720m付近から下っているのだ。写真も掲載されており、どうもこれが本当の古道のようである。陸地測量部の地図で見るとネット記事の方が正しい。これは一体どうしたことだろう。現在の地図に表された道は本当に存在するのだろうか、無かったとしたらこれは一大事である。GPSを頼りに歩いても道なき道を歩むこととなる。つづく

コメント
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