2019.7.11(木)
蓮ヶ峰への道を早々に諦めたのは、アプローチに使った念道からの峠道(仮に井根峠としておこう)の井根側を確認しておきたかったからだ。峰地さんに井根側の取り付きは聞いていたので簡単に行けるだろうと思っていたが、谷に下りるところですぐに怪しくなってきた。獣道と区別の付かない道を谷に下りる。この道は地理院地図にも載っているのだが谷筋の道は完全に消滅し藪漕ぎ状態になる。峠への道も谷筋で見つけることは困難だろう。なんとなく意気消沈して、井根に下って帰ることにする。家まで3Kmあまりの舗装道路を歩くのは忍びない。かみさんに電話して迎えに来てもらう。今回道がわからずじまいで釈然としない山行だったが、井根峠への取り付きがはっきりしたこと、日圓寺観音堂への素晴らしい参道など収穫もあった。
この参道に何体の石仏があるか勘定して下った。九十六体だったろうか。
さて蓮ヶ峰への登山道であるが、井根から直接の道は無さそうである。後日村の人に聞いたところ、西谷を詰める道があるそうだが、その道も地図上では黒石峠からの林道のところで切れている。登山記録を調べると施福寺から登るものがすべてである。それよりも念道から於与岐に抜ける峠から山稜を辿るのが魅力的だ。上林にとって於与岐は、現在の通行から考えるととんでもなく遠い無縁の地のように思えるが、峠道が主体の時代には隣村で交流が深く通婚圏でもあったようだ。建田の金比羅さんで有名な宝永講の大祭には毎年於与岐から招待者が来られたという。強訴にかかる資金を於与岐の庄屋吉崎家が提供したといわれ、その好意に報いるためだそうだ。徒歩の時代、この峠を越え上林川を渡り折山峠を越えて建田三町に通ったに違いない。
その峠の取り付きが念道にあることは地図を覗いて始めて知った。それもよく通る道にあったのだ。早速カメラ片手に行ってみる。念道の清林寺から小山に向かう道すがら観音堂がある、その付近に取り付きがあるはずだ。その道はすぐに見つかり、少し登っていくととても素晴らしい道だ。入り口から想像できないほど道幅も広く、古道の趣たっぷりだ。どこまでこの状態が続いているかわからないが、この道は歩いてみる価値がある。おわり
観音堂横の取り付き、椿のトンネルを抜けると道幅の広い古道が現れる。