2019.10.13(日)曇り
砕かれた石は石室に使われる他、石室の右手に無造作に置かれている。これらの石の体積を足すと元の大岩の大きさが解るのだが、素人のわたしには見当も付かない。しかしそれなりの大岩だと想像できる。
峠として相応しい地形であっても、そこにそれだけの大岩があれば通行は困難となる。人はよじ登っても、横を捲いて通ってもいいが、荷車や牛馬となるとそうはいかない。現在の峠は大岩があって通れない、従って旧峠が元々の峠として機能していたと考えられる。
これらの岩塊は元々通行を妨げていた大岩だったのではないか。
ではその大岩はどの辺りにあったのだろう。気になるのは石室だ、お地蔵様の鎮座する石室の窪みはどう見ても自然のものとは思えない。人工的に窪みを造って、石を積み上げ石室にしたようだ。大岩の一端がこの窪みだと考えればわかりやすい。新峠の道をふさぐ大岩を砕いていけばこの窪み部分まで根が張っている。掘り起こすとその跡が大きな窪みとなった、砕いた石を積み上げ、旧峠付近にあったお地蔵を祀り、旧峠の石標を倒せば新峠ができあがる。なぜ新峠を造る必要があったのかは前に述べたとおりである。
左:志古田から登ってきて写真上の旧峠に向かう
中:旧峠から志古田からの道を見る
右:右わち 左志こだの旧峠
さてもう一つの課題、志古田道が直接旧峠に繋がっていないかという疑問がある。あくまで想像で考えた道なのだが、実際に旧峠に立って眺めてみるとそんな想像は吹っ飛んだ。旧峠からの志古田側は急斜面であり、道の痕跡も見当たらない。むしろ現峠を無視して志古田道側から旧峠を眺めると、随分趣のある良い峠に見えるのである。
旧峠から志古田側斜面を覗く、急斜面で道があったとは思えない。