2019.10.18(金)曇り、雨
「ひ弱になる日本人の足」近藤四郎著 草思社1993年11月第1刷発行
「日本人の起源と進化」「足の話」「足のはたらきと子どもの成長」「人間の生と性」とつづく著書を分かり易くまとめたものと思われる。
「なぜ足が弱くなったのか」という問に、多くは歩く時間が少なくなった、歩数が減ったという答えとなっているが、近藤先生はそうは言わない。
例えば「現代の幼い子どもに扁平足が多いのは、われわれの生活が近代化するにつれ、裸足になって傾斜面や泥道などを歩く機会や木登りなどの足ゆびを使う遊びが少なくなっていることに原因があると思われる。つまり足ゆびを使って地面(床面)を踏ん張る場面がないから、足の裏やいろいろの関節にわたる筋肉、靱帯が弱くなって、足のアーチを支えきれずアーチが落ちて底平化してくるのである。」と説かれる。歩きの量よりもその質を重視しておられ、わたしの進化する「寿命延ウォーキング」の考え方にぴったりで嬉しくなってくる。ヒトのヒトたる所以は直立二足歩行であるという考え方も、昨今のウォーキング理論を語る書物には見られず近藤先生の著書が参考になる。ウォーキングの方法や効果を語るとき、進化の過程から考えないと説明しきれないのである。例えば足裏の荷重ライン(踵→土踏まずの外側→小趾球→母趾球)など当然の如くだれもがいうことだけど、なぜそうなるかは言われない。わたしにとっても悩ましい問題だったのだが、先生の言われる「ヒトは外から内にあおって歩く」ということがヒントになりそうだ。先生は街中を歩く関取からそのことに気付いた言われているが、やたらとデータをふりかざして理論立てていく最近の科学者より頼もしい。わたしはあおって歩くと聞いたとき、ガラパゴスのコモドドラゴンの歩みを思いだした。もっと遡れば魚のひれの動きも考えられ、歩行というのも生物の進化の過程の渦中にあるものだと解ってくる。
現代人の足が弱くなっているのは「足のあおりを利かせることなく歩いているからだ」とまで書かれているが、なぜあおりが無くなっているのか、どうすればあおって歩けるのか、常にあおりを意識して歩かなければならないのかと疑問はいくつも湧いてくる。あおりについては先生が発見され、学位論文にも発表されてウォーキング理論の本などには必ず出てくる行為なのだが、前記の様な疑問がありいまひとつ納得のいかない事柄なのだ。(ちなみに昨今話題となっている自動車のあおり運転は無関係なので、念のため)
「このように、足を外から内へあおりながら足ゆびで蹴り出すから、反対側の足がスムーズに前に振り出される。したがって、最小のエネルギーで長時間歩くことができるのである。」(P107)一部分の文なのだがこれが理解できるだろうか。わたしは前述のようには虫類があおって歩くのが人類にも残っているのかなと思っていたが、それは間違いである。あおり歩行は足アーチ同様小さな子供にはなく、立って歩くようになって7,8才の頃から出てくるというのである。つまり人類が直立二足歩行を始めてから出てきたものであって両生類、は虫類のあおり歩きとは無縁のものであるらしい。
足裏の荷重ライン、足のアーチ、あおり歩行など一般には注目されないけれど、人間にとって重要な問題であり、近藤四郎先生が日本におけるこの分野のパイオニアであることは間違いない。おわり
【今日の”のび”】NO.6
じょんのびに来てもうすぐ1ヶ月になろうとする。体重も増え毛並みも良くなり、名前も憶え、お座りや待ても出来るようになったが、なぜかおびえる様子が残っている。今までの犬生によほどつらい体験があり、PTSDが残っているのだろう。
散歩も出来るが、人に会うとおびえる。