男性の家庭進出を巡る理想と現実のギャップはなぜ埋まらないのか。「『1人ブラック企業化』せざるをえない父親たち」(6月18日配信)に続いて、『ルポ 父親たちの葛藤 仕事と家庭の両立は夢なのか』(PHP新書)の筆者である育児・教育ジャーナリストのおおたとしまさ氏が仕事と家庭の両立を、父の日に考える。
雑誌『VERY』を愛読するという3人のワーキングマザーは口をそろえてこう言った。「世の中の男性がもっと家事や育児をして、男女平等になることはとてもいいことだと思います。でもやっぱり男性にはまずはしっかり稼いできてほしいかな。スーツを着て、外でかっこよく仕事している男性じゃないと私個人としては惹かれない」。
「男性は家族の大黒柱であるべきで、仕事で成果を出してなんぼ」。男性を縛るマッチョイズムは、企業文化の中だけでなく、妻の心の中にも住み着いているのだ。
「世間の風潮」が男性に求める役割と、「目の前の妻」が夫に期待する夫像との間にズレがある。性的役割にとらわれない優男的な男性像と従来型のマッチョな男性像のダブルスタンダード。どっちを目指せばいいのかわからない。
・「残業などしないで早く帰ろう!」←→「業績は落としてはいけない」
・「男性ももっと育児や家事をしよう!」←→「仕事ができない男はかっこ悪い」
これらのダブルバインドメッセージが妻からも会社からも代わる代わる発せられる。そして父親たちはパニックに陥る。自分のあるべき姿を見失う。
実際、現代の未婚女性は結婚相手に「経済力」と「家事・育児の能力」の両方を求めていることが厚生労働省「出生動向基本調査(独身者調査)」からわかる。結婚相手に「経済力」を求める未婚女性の割合は93.9%だが、「家事・育児の能力」を求める未婚女性の割合はさらに高く、96.4%にも上るのだ。
一方で男性は女性に対して「家事・育児の能力」を高い割合で求めている代わりに「経済力」に対してはあまり期待していない。そもそも同調査では、未婚女性に対して結婚後の理想ライフコースを聞いているのに、男性に対しては結婚後に「退職するか、働き続けるか」というような問いを設けていない。男性に「働かない」という選択肢はないのだ。「男であること」の呪縛と言っていい。
「男は外で稼ぐもの。たくさん稼いだやつが偉い」というシンプルな原則に従う社会では、余計なことは考えず、常にゴールに向けてアクセル全開にしておけば よかった。しかし現在においては、状況に応じて進む方向やアクセルとブレーキの使い分けをその都度判断しなければならない。それが難しい。
現代の男性が仕事と家庭の両立を実現するには、単に時間や体力の配分という対外的条件調整だけでなく、「男であること」に対する内面的な葛藤を避けては通れない。対外的葛藤と内面的葛藤、「二重の板挟み」が存在するのである。
一方、企業の中間管理職は今、「部下に残業はさせるな」「育児中の社員から不満が出ないようにしろ」と迫られている。いわゆる「イクボス(育児に理解のある上司)」だ。しかし、「でも成果は落とすなよ」とも言われる。
これに対し超大手企業中間管理職は言う。「人員を補塡するか、業務量を減らすか、どちらかにしてもらわないと理不尽」。
人員の余剰をつくり出せるのなら、問題は解決だ。しかし今の世相でそれは現実的ではない。だとすれば残る方法は1つ。業務量を減らすことだ。単に業務時間を減らすという意味ではない。部署ごとの目標数値あるいは仕事の絶対量を減らすことを意味する。つまり成果を落とす覚悟を決めるということ。
当然、部署単位ではできない。全社の方針として、一時的な業績の悪化を受け入れる覚悟が必要になるだろう。それをせずに現場の中間管理職にだけ「成果は落とさず、育児中の社員でも働きやすい環境を整えろ」と求めるのは卑怯だ。
妻はいっぱいいっぱい、夫は板挟みでパニック状態、中間管理職もジレンマにある。しわ寄せを、弱者同士で押しつけ合っている。悲しい地獄絵図だ。
拙著『ルポ 父親たちの葛藤 仕事と家庭の両立は夢なのか』の編集担当も、仕事と家庭の両立に悩む男性である。根本的な問題は激務だ。しかし会社は急に変えられない。社会も急に変えられない。
よくあることだが、「打ち合わせ」はいつの間にか「相談」になった。私は彼に言った。「何も捨てないからジレンマに陥るんですよ。子育てを始めるならこれまでどおりの仕事の成果なんて無理。結局何を選択するかということなんですよ」。
「仕事と家庭の両立」とは言うけれど、必要なのはマルチタスクのスキルではない。少ない業務時間の中で今までどおりの成果を出し続けることでもない。大切なのは、もっと「頑張る」ことではなく、何かを「手放す」勇気なのだ。要するに、自分は何をして、何をしないのかを選択することに尽きる。
はっきり言おう。これまで「男性の家庭進出」がなかなか前に進まなかったのは、「イクメンやイクボス推進運動」や「ワーク・ライフ・バランス啓蒙活動」そのものが、その表面的なメッセージとは裏腹に、実は昭和的マッチョイズムを根底で引きずっており、当事者の内面的変革を阻害していたからだ。
「何を守って何を捨てるのか」という議論を、個人のレベルだけでなく社会のレベルでも本格的に開始すべき時期に来ているのではないだろうか。
東洋経済オンライン
おおた としまさ
雑誌『VERY』を愛読するという3人のワーキングマザーは口をそろえてこう言った。「世の中の男性がもっと家事や育児をして、男女平等になることはとてもいいことだと思います。でもやっぱり男性にはまずはしっかり稼いできてほしいかな。スーツを着て、外でかっこよく仕事している男性じゃないと私個人としては惹かれない」。
「男性は家族の大黒柱であるべきで、仕事で成果を出してなんぼ」。男性を縛るマッチョイズムは、企業文化の中だけでなく、妻の心の中にも住み着いているのだ。
「世間の風潮」が男性に求める役割と、「目の前の妻」が夫に期待する夫像との間にズレがある。性的役割にとらわれない優男的な男性像と従来型のマッチョな男性像のダブルスタンダード。どっちを目指せばいいのかわからない。
・「残業などしないで早く帰ろう!」←→「業績は落としてはいけない」
・「男性ももっと育児や家事をしよう!」←→「仕事ができない男はかっこ悪い」
これらのダブルバインドメッセージが妻からも会社からも代わる代わる発せられる。そして父親たちはパニックに陥る。自分のあるべき姿を見失う。
実際、現代の未婚女性は結婚相手に「経済力」と「家事・育児の能力」の両方を求めていることが厚生労働省「出生動向基本調査(独身者調査)」からわかる。結婚相手に「経済力」を求める未婚女性の割合は93.9%だが、「家事・育児の能力」を求める未婚女性の割合はさらに高く、96.4%にも上るのだ。
一方で男性は女性に対して「家事・育児の能力」を高い割合で求めている代わりに「経済力」に対してはあまり期待していない。そもそも同調査では、未婚女性に対して結婚後の理想ライフコースを聞いているのに、男性に対しては結婚後に「退職するか、働き続けるか」というような問いを設けていない。男性に「働かない」という選択肢はないのだ。「男であること」の呪縛と言っていい。
「男は外で稼ぐもの。たくさん稼いだやつが偉い」というシンプルな原則に従う社会では、余計なことは考えず、常にゴールに向けてアクセル全開にしておけば よかった。しかし現在においては、状況に応じて進む方向やアクセルとブレーキの使い分けをその都度判断しなければならない。それが難しい。
現代の男性が仕事と家庭の両立を実現するには、単に時間や体力の配分という対外的条件調整だけでなく、「男であること」に対する内面的な葛藤を避けては通れない。対外的葛藤と内面的葛藤、「二重の板挟み」が存在するのである。
一方、企業の中間管理職は今、「部下に残業はさせるな」「育児中の社員から不満が出ないようにしろ」と迫られている。いわゆる「イクボス(育児に理解のある上司)」だ。しかし、「でも成果は落とすなよ」とも言われる。
これに対し超大手企業中間管理職は言う。「人員を補塡するか、業務量を減らすか、どちらかにしてもらわないと理不尽」。
人員の余剰をつくり出せるのなら、問題は解決だ。しかし今の世相でそれは現実的ではない。だとすれば残る方法は1つ。業務量を減らすことだ。単に業務時間を減らすという意味ではない。部署ごとの目標数値あるいは仕事の絶対量を減らすことを意味する。つまり成果を落とす覚悟を決めるということ。
当然、部署単位ではできない。全社の方針として、一時的な業績の悪化を受け入れる覚悟が必要になるだろう。それをせずに現場の中間管理職にだけ「成果は落とさず、育児中の社員でも働きやすい環境を整えろ」と求めるのは卑怯だ。
妻はいっぱいいっぱい、夫は板挟みでパニック状態、中間管理職もジレンマにある。しわ寄せを、弱者同士で押しつけ合っている。悲しい地獄絵図だ。
拙著『ルポ 父親たちの葛藤 仕事と家庭の両立は夢なのか』の編集担当も、仕事と家庭の両立に悩む男性である。根本的な問題は激務だ。しかし会社は急に変えられない。社会も急に変えられない。
よくあることだが、「打ち合わせ」はいつの間にか「相談」になった。私は彼に言った。「何も捨てないからジレンマに陥るんですよ。子育てを始めるならこれまでどおりの仕事の成果なんて無理。結局何を選択するかということなんですよ」。
「仕事と家庭の両立」とは言うけれど、必要なのはマルチタスクのスキルではない。少ない業務時間の中で今までどおりの成果を出し続けることでもない。大切なのは、もっと「頑張る」ことではなく、何かを「手放す」勇気なのだ。要するに、自分は何をして、何をしないのかを選択することに尽きる。
はっきり言おう。これまで「男性の家庭進出」がなかなか前に進まなかったのは、「イクメンやイクボス推進運動」や「ワーク・ライフ・バランス啓蒙活動」そのものが、その表面的なメッセージとは裏腹に、実は昭和的マッチョイズムを根底で引きずっており、当事者の内面的変革を阻害していたからだ。
「何を守って何を捨てるのか」という議論を、個人のレベルだけでなく社会のレベルでも本格的に開始すべき時期に来ているのではないだろうか。
東洋経済オンライン
おおた としまさ