6月28日から30日まで
和歌山に帰省してきました。というものの、父の危篤との知らせを受けて急遽、病院にかけつけました。
父は、すでに3月から病院に入院、すでに意識ははっきりしていませんでしたが、3箇月入院治療をうけてきましたが、28日、朝から、心拍停止しては再び動き出すこと2度繰り返し、心拍数は20回台、血圧50、体温34度、午後8時には息を引き取りました。
悲しむ暇なく、体を拭いてもらっている間に急いで葬儀屋に連絡、9:45、その日の内に実家の海南に連れ戻り、親族で御通夜、葬儀の日程決めて準備、お寺と連絡と親戚や関係者へ連絡と慌ただしくその日はすぎました。
29日は、朝から関係者へ連絡、御通夜の準備と御通夜式の実行、30日は正午からお葬式と日程は流れてゆきました。出棺、火葬場へ、葬儀会場へ戻って食事、骨揚げ、実家に仏を迎え・・・と慌ただしい日程が過ぎ、その日の夜には箕面の帰ってきました。
お葬式の最後の出棺にあたっての喪主としてのご挨拶をご紹介します。
本日はお忙しいところ、父靖典の葬儀にご会葬賜り、誠にありがとうございました。
父は、中学校で教員を務め地域の教育活動にたずさわりお世話になってまいりました。退職後も、家庭塾など仕事にたずさわりながら、糖尿病も患い、母が介護や介助にあたってきました。健康のためと海南の街をあることが好きで、晩年は地域で、倒れることもあり親切な街の人々に助けられることもしばしばありました。
2年間、紀三井寺の特養ホームに入所 ホームでの職員のあたたかい介護をうけての生活をおくっておりましたが、3月、体調を崩し、和歌浦の病院での闘病生活をおくってきました。
6月28日、朝から2度にわたって心拍停止に襲われ、家族や医療関係者の回復治療と看護の甲斐なく、夜8時、満83歳で永眠いたしました。
私にとっての父は、子どもの頃、川や海に連れて行ってもらったり、おぼれかけた私を助け上げ、相撲を取ったり、自転車の荷台に乗せて走ったこと、自宅の塾で私の同級生を集めて勉強を教えていたこと・・・若いころの元気な父の姿ばかりが、今、記憶によみがえってきます。
終戦、間際の、厳しい時代に、戦争の中で多感な少年期を過ごし、戦後の混乱期に青年期を過ごされて来た父たち世代は、まさに激しい時代の流れに翻弄され続けてきた世代です。こうした世代の方々が、今後もまっとうに人生の天寿を悔いなく全うできる世の中にしてゆきたいものです。
終わりに、生前の父に頂きました多くの方々のあたたかいご厚情に心より感謝をもうしあげます。残された母をはじめ、私どもに変わらぬご指導、ご鞭撻とあたたかいご厚情をたまわりますことをお願いいたしまして、 お礼のご挨拶とさせていただきます。本日は誠にありがとうございました。
和歌山に帰省してきました。というものの、父の危篤との知らせを受けて急遽、病院にかけつけました。
父は、すでに3月から病院に入院、すでに意識ははっきりしていませんでしたが、3箇月入院治療をうけてきましたが、28日、朝から、心拍停止しては再び動き出すこと2度繰り返し、心拍数は20回台、血圧50、体温34度、午後8時には息を引き取りました。
悲しむ暇なく、体を拭いてもらっている間に急いで葬儀屋に連絡、9:45、その日の内に実家の海南に連れ戻り、親族で御通夜、葬儀の日程決めて準備、お寺と連絡と親戚や関係者へ連絡と慌ただしくその日はすぎました。
29日は、朝から関係者へ連絡、御通夜の準備と御通夜式の実行、30日は正午からお葬式と日程は流れてゆきました。出棺、火葬場へ、葬儀会場へ戻って食事、骨揚げ、実家に仏を迎え・・・と慌ただしい日程が過ぎ、その日の夜には箕面の帰ってきました。
お葬式の最後の出棺にあたっての喪主としてのご挨拶をご紹介します。
本日はお忙しいところ、父靖典の葬儀にご会葬賜り、誠にありがとうございました。
父は、中学校で教員を務め地域の教育活動にたずさわりお世話になってまいりました。退職後も、家庭塾など仕事にたずさわりながら、糖尿病も患い、母が介護や介助にあたってきました。健康のためと海南の街をあることが好きで、晩年は地域で、倒れることもあり親切な街の人々に助けられることもしばしばありました。
2年間、紀三井寺の特養ホームに入所 ホームでの職員のあたたかい介護をうけての生活をおくっておりましたが、3月、体調を崩し、和歌浦の病院での闘病生活をおくってきました。
6月28日、朝から2度にわたって心拍停止に襲われ、家族や医療関係者の回復治療と看護の甲斐なく、夜8時、満83歳で永眠いたしました。
私にとっての父は、子どもの頃、川や海に連れて行ってもらったり、おぼれかけた私を助け上げ、相撲を取ったり、自転車の荷台に乗せて走ったこと、自宅の塾で私の同級生を集めて勉強を教えていたこと・・・若いころの元気な父の姿ばかりが、今、記憶によみがえってきます。
終戦、間際の、厳しい時代に、戦争の中で多感な少年期を過ごし、戦後の混乱期に青年期を過ごされて来た父たち世代は、まさに激しい時代の流れに翻弄され続けてきた世代です。こうした世代の方々が、今後もまっとうに人生の天寿を悔いなく全うできる世の中にしてゆきたいものです。
終わりに、生前の父に頂きました多くの方々のあたたかいご厚情に心より感謝をもうしあげます。残された母をはじめ、私どもに変わらぬご指導、ご鞭撻とあたたかいご厚情をたまわりますことをお願いいたしまして、 お礼のご挨拶とさせていただきます。本日は誠にありがとうございました。