天網恢恢疎にして漏らさず

映画レビューを中心に(基本ネタバレバレです)スキーやグルメ他、日々どうでもいいような事をダラダラと綴っています。

【映画】「長いお別れ」試写会@22作目

2019年05月17日 | 映画感想
「長いお別れ」試写会



今回、中野量太監督の舞台挨拶付き試写会でした。
一般観覧者もフォトセッションで撮影OKだったのでパチリと……肝心の映画ポスターがハレーション起こして見えないというね(薄涙)

という訳でー、
「湯を沸かすほどの熱い愛」で映画賞取りに取りまくった中野監督の最新作は直木賞作家・中島京子さんご自身の経験から書かれたという同名タイトル小説の実写映画化。
認知症になった父親を抱えたある家族の姿を描いています。因みに自分は原作小説未読。いつも未読。たまには本読めよ>自分^^;

あらすじ
2007年、父・昇平(山崎努)の70歳の誕生日で久々に帰省した長女の麻里(竹内結子)と次女の芙美(蒼井優)は、厳格な父が認知症になったことを知る。
2009年、芙美はワゴン車でランチ販売をしていたが、売り上げは伸びなかった。麻里は夏休みを利用し、息子の崇と一緒に実家へ戻ってくる。
昇平の認知症は進行していて、「帰る」と言って家を出る頻度が高くなっていた。 (Yahoo!Movieから丸パクしましたー)

認知症、アルツハイマー等を扱った作品って既に結構な数作られている印象で、自分も何作か観ているんですが……本作なかなか面白いアプローチと言うか。
通常認知症問題を取り上げるともの凄く深刻で辛くて悲しくて苦しくて、というイメージを連想すると思うんですが、本作は実に軽やかにコミカルに描いている。
勿論時に(と言うか割と度々)切なかったりちょっと厄介な状況が起こったりするんですが、それすらもどこか「ぷぷぷっ」と笑ってしまうような。
とにかく認知症になった父親を演じた山崎努さんの演技が真に迫っていて凄かった。この人本当にボケちゃったんじゃないか?って疑いたくなる程真に迫ってた。

映画感想からは少し離れてしまうけれど……
実は我が家もこの問題に正にぶち当たっている状態で、義母の認知症がかなり進んでいて1年半程前から認知症専門のグループホームに入所している。
男の人がボケても奥さんがしっかりしていれば割と自宅介護出来るご家庭も多いと思うけど、女の人の方が先にボケちゃうとダメだね。
自分達の親世代って男の人がほとんどなーんにも家事して来なかったから、奥さんがボケちゃうともうお手上げになっちゃうんだ。
幸いな事に旦那の実家は金銭的にはかなり恵まれた家庭なので、難なく義母は割と高級なグループホームに入所しましたが、コレがもし義父の方が先にボケてたら…
義母は義父をグループホームに入れただろうか?もしかしたら自力で介護出来る最後の最後まで入所させるのを断ったかもしれないな、と本作を観てチラリと思いました。

さて映画の方は、最初2007年の父親が70歳の誕生日から始まります。
そこから2年刻みで話が進んでいくんですが、当然だけど2年毎に場面が進んでいくにつれて父親のボケはどんどん加速して行きます
ここの部分だけ取り上げちゃうと物凄く悲劇的な家族の絵面しか想像が付かないだろうけど(苦笑)、本作は「ボケた親父」だけをフィーチャーしてる訳ではなく
あくまでも「ボケた親父がいるある家族のそれぞれの人間模様」をそれぞれの立場から描いています。
むしろ親父はただボケてそこにいるだけで(コラコラ)ボケた親父自身の心境や心情を吐露する場面は全くありません。
これは監督さんも敢えて描かなかったとおっしゃっていました。実際にボケてしまった人が何を考えているのか・自分をどう捉えているのかは誰にも分かりません。
だからそこを想像だけでドラマティックにはしたくなかったそうです。

親父の心境をドラマティックに描く、というお涙頂戴にしなかった部分は個人的には凄く評価していますが、他にも個人的に気に入った部分は…
家族の背景や状況を全部丸出しにするのではなくて、あくまでも劇中の会話の中でやんわり観客に伝えて観客にこの家族のバックボーンを想像させる作り、と言うのかな。
例えばだけど…親父は校長先生まで勤め上げた頑固な教育者だったようで、次女の芙美には(もしかしたら長女も?)是非教師になって欲しいと思っていたらしい。
それを親父が語っているシーンは出てこないものの、芙美が「自分はお父さんの期待に沿えなかった」的な卑屈な発言を何度もしているし、もしかしたらボケる前は
芙美の「いつかカフェを開きたい」という夢に対して否定的な言葉を投げつけていたのかもしれない(←と観客に暗に匂わせている)
だから親父がボケ始めてから2年後辺りで芙美が一念発起してミニバンの移動屋台を始め、初めて親父に自分のミニバンを見られた時に芙美が物凄く卑屈になっているが、
(どうせ親父に否定されるだろうと身構えている)ボケた親父が嬉しそうに「凄いねー^^」と肯定してくれた様子を見て芙美がパッと目を輝かせるシーンがとても印象的でした。

長女も夫の都合でアメリカに移住しているが、何年経ってもちっとも英語が話せない(英語をマスターしようとする気もないらしい?)
夫との会話は非常にぎこちなく、もしかしたらこの夫婦はお見合い結婚でお互いを曝け出す事もなく家族の体を作ってしまったのかな?と想像させられる。
全てはスクリーンを見ているコチラが勝手に想像しているだけで何も劇中で説明はないんだけど、「もしかしたらこーなのかな?」と常にこの家族の1人1人の気持ちや
背景を想像しながら観ていくというのはなかなか面白い体験だったと思います。

実際の認知症患者の介護の場面はもっとずっと陰惨な事も多いんだろうと思います。
本作でもふんわり楽し気な様子ばかりではなく、様々な厳しい選択を迫られるような辛い場面もきちんと描いています。
だけど、色んなことを少しずつ忘れて行って、少しずつ遠ざかって行く家族を思う時、何故かその人との楽しかった事ばかりが思い出されるものなんですよね。

先日の母の日に義母に会いに施設に行ってきました。
既に嫁である自分の事は全く記憶にはなくなっていて、何とかギリギリ息子達(旦那と旦那の弟)の名前だけは憶えている状態。
多分だけど…目の前にいるおっさんが自分の息子だとはもう理解していなさそうな様子でした。
会話は全く噛み合わず、コチラの問いかけにとてつもなくとんちんかんな答えが返ってくる。
だけど、きっと誰だか分からないであろう自分にも旦那にもピカピカの笑顔で一生懸命話をしてくれた義母…一日でも元気で長生きして欲しい。
もう私の事は何もかも忘れてしまったけれど、私はお義母さんに可愛がって貰った事はずっと忘れずにいますよ。

伝わらなくても残る思いはある。本作がそれを教えてくれました。
コメント
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