PART7「Rの女」はこちら。
すでに伝説となっているから百恵人気は当時から盤石で、さぞやレコード(まだCDは影も形もない)は売れたと思うでしょう?でもそんなことはなかった。
そろそろ権威を持ち始めていたオリコンチャートで、百恵がシングル売り上げトップをとったのはわずか4曲にすぎない。
もちろんそれはピンクレディーの最盛期とかぶっていたことが影響しているはずだが、あの「プレイバックPART2」ですら2位止まりだったのだ。
しかし歌曲の質の面では他を圧倒した。特に阿木燿子×宇崎竜童コンビは「プレイバック~」以外にも「横須賀ストーリー」「イミテーション・ゴールド」「美・サイレント」「絶体絶命」と名曲ぞろい。
わたしが好きだったのは「ロックンロール・ウィドウ」。三浦友和と恋人宣言し、引退の予告までした百恵に未亡人ソングを歌わせるか阿木(笑)。もっとも、三浦友和はこの曲が大好きなのだそうだが。
阿久悠が、常に阿木燿子×宇崎竜童×山口百恵のコラボを意識していたのは有名な話。意固地になって(かどうかは知らないけど)歌謡曲保守本流となっていた阿久を無視しつづけたスタッフも、しかし根性がすわっている。
もうひとり、百恵が無視することで意識しつづけた人がいる。美空ひばりだ。
山口百恵が生まれ育った横須賀市不入斗と、ひばりが育った魚増の間はわずか17.5㎞。しかしなぜ二人の女性はそっちの町、こちらの町を歌わないか……まん中に米軍基地があるからである。(略)おそらく百恵に匹敵する神話を戦後社会において築き上げたのは、美空ひばりただ一人である。だが美空ひばりの物語が戦後半世紀の日本社会を舞台とした堂々たる長尺ものであるのに比べて、百恵のそれはわずか七年半にすぎず、その凝縮ぶりにおいてひばりを圧倒している。(略)横浜出身のひばりは百恵を無視し続けた。横須賀出身の百恵も同様に、横浜とひばりの曲をけっして歌おうとしなかった。
(平岡正明)
……百恵が背負った、横須賀とは何か。次号最終回。