1958年、西ドイツ。15歳のマイケルは、美しい年上の女性ハンナ(ケイト・ウィンスレット)と恋におちる。マイケルは毎日のようにハンナの部屋に通い、二人は激しく求め合った。
やがてハンナは彼に本の朗読を頼み、それが二人の愛し合う前の儀式となる。チェーホフ、ヘミングウェイ、カフカ……ハンナを喜ばせたい一心で読み聞かせた名作の数々、全てが輝いて見えた一泊の自転車旅行──マイケルは初めての大人の恋にのめりこんでいくが、ある日突然、ハンナは姿を消してしまう。
原作「朗読者」は日本でもバカ売れし、この映画の公開でふたたび文庫がベストセラーになっている。もしも映画を観てから読みたくなったとすれば、それはわたしにも納得できる話だ。なぜなら、マイケルがとったある行動(正確に言うととらなかった行動)を心の中で処理するのは、映画の上映時間内ではむずかしかったから。
ミステリとしての「朗読者」における“謎”は、映画では観客が早い時点で推測できる造りになっている。問題は、ハンナの贖罪のためにその謎をマイケルはなぜ解いて見せないのか。これにつきる。
このあたりが、ドイツにおいてナチズムの幻影がいまだに大きいことを理解していないとなかなか。簡単に感動させたりはしないぞ、という作り手の志がうかがえてうれしい。
主人公はそのために苦い思いのまま生き続けなければならず、ひとりの女性の物語を、今度は心の通わなかった自分の娘に、ふたたび“語り”始めることでようやく救われる。この構図はうまい。
ケイト・ウィンスレットは「タイタニック」のときから盛大に脱いでくれるのでお気に入り。でもこの作品ではほとんどずーっと全裸ですごしている。気合い入ってるなー。
確かに構えとしては(例えが古いけど)「青い体験」「個人教授」のような“年上の女性がセックスの手ほどきをする”黄金パターンであり、その女性が消えてしまう「おもいでの夏」のような甘いストーリーでもある。しかし中身がこれだけ苦いと、コーティングのためにも激しいファックシーンは必要だったんだな、と納得。
共演者たちにオスカーをとらせる名人であるレイフ・ファインズ(彼自身は受賞していない)がひたすらうまいです。朗読の味わいなど、さすがシェイクスピア役者。お子様たちは「ハリー・ポッター」のヴォルデモートが彼だなどと気づきもしないだろうが。
さて、マイケルがハンナに朗読する作品は以下のとおり。作品の選択が、愛なのね。
・「ハックルベリー・フィンの冒険」…マーク・トゥエイン
・「アナトール」…アルトゥール・シュニッツラー
・「デイヴィッド・コパフィールド」…チャールズ・ディケンズ
・「ドクトル・ジバゴ」…ボリス・パステルナーク
・「East Coker」「Four Quarters」…T・S・エリオット
・「エミリア・ガロッティ」…ゴットホルト・エフライム・レッシング
・「エポーデス」…ホラティウス
・「たくらみと恋」…フリードリヒ・シラー
・「ジョーズ」…ピーター・ベンチリー
・「チャタレイ夫人の恋人」…D・H・ロレンス
・「犬を連れた奥さん」…アントン・チェーホフ
・「変身」…フランツ・カフカ
・「オデュッセイア」…ホメロス
・「骨董屋」 チャールズ・ディケンズ
・「老人と海」…アーネスト・ヘミングウェイ
・「タンタンの冒険旅行 ななつの水晶球」…エルジェ
・「To an Army Wife, in Sardis」…サッフォー
・「昨日の世界」…シュテファン・ツヴァイク
ある不幸がなかったら、物語好きの、真面目で気のいい女性だったかもしれないハンナに、マイケルは朗読を続けるが……。傑作です。ぜひ。