第5報はこちら。
マスコミについてやっぱり考えこんでしまう。
わたしの立場を表明しておくと、
・小沢一郎へのバッシングは理解しがたい。
・小沢を叩くことで延命を図っている菅政権はいかがなものかと思っている。
・だからといって自民党の時代に戻ってほしいとは毛ほども思っていない。
……よろしいですか。こういう人間の意見表明です。
震災への対策が充分だとは誰も思っていない。でも、そのことを批判する言辞に、誰もが違和感をもっているのが現状ではないのか。
メディアは体制を批判する義務がある。もちろんそれは承知している。ところが、前政権が倒れたことにくやしくてくやしくて仕方のないメディア(気をつかった表現)は、今日もさまざまな揚げ足取りをやっている。
効率が悪い。
これが、東北に住む人間の本音です。
そんなことをやっている暇があったら、原発のホントのところはどうなのか、新年度予算関連法案を通さない理屈はどこにあるのか、物流の回復への道筋はどうなんだ……語ることはいくらでもあるのに、彼らにとってそんなものの優先順位は低いようだ。
本当の意味での取材力を失っているからだと思う。
次から次へと首相がかわり、国民はそのたびに“溜飲を下げて”きた。言い換えれば、そのたびに新聞は売れ、何もしなくても視聴率はアップしてきたのだ。その理屈がいま崩壊しているのに気づいていないせいで、旧来の弾劾報道に終始しているのではないか。
翼賛的になってくれとはわたしも思わない。でも、被災地の人間に貢献する報道をもっと地道にやってくれよ。
批判的言辞が効率が悪いことを承知しながら、なんでこんなことを言うかというと、南相馬市の首長が、いくらなんでもなコメントをマスコミにたれながし、それを「しめた」と思っているメディアの姿勢が見えたから。首長の気持ちもわかる。でもそれを伝えるメディアのスタンスの拙劣さはどうだ。
批判はもうちょっと後でもいい。いま必要な情報をもっとくれ。
第7報につづく。