お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

その3 煩悩(ぼんのう)

2006年11月26日 | 仏教
 きょうは朝から雨 日の出が遅くなってきた上、天気が悪いと、なかなか夜が明けない。 きょうは何も行事がない日曜日ということで7時(佐賀の本日の日の出時刻)まで寝ていました。

 
 さて、きょうの仏教語は「煩悩」です。
 
 中村元先生監修の「新・仏教辞典 誠信書房刊」によると、

 煩悩とは、「身体や心を悩ませ、かき乱し、煩わせ、惑わし汚す精神作用の総称。仏教では人間が苦楽の世界に沈み常に束縛されるのは、意識無意識のうちに営む我欲・我執の目的を達するための心作用によるとして、悟りという仏教の最高目的を標準としてその実現を妨げる精神作用のすべてを指す」

と書いてあります。

 我欲・我執とは、単なるワガママという意味ではなく、それぞれが自分の生まれ育った中で持つ価値観に執着すること。自分の「考え」「思い」に執着、そして、自分を正当化しがちであることです。
 
 我執を離れることが悟り、仏となること。心穏やかに悩みをなくす理想像。

 でもね。煩悩を離れることができるでしょうか?

「煩悩があるから人間じゃないか」・・・それはそうです。かと言って「煩悩があって当然じゃないか。煩悩のあることの何が悪い」と開き直られたら、それは自己執着の自分教・・・

 人間である間、煩悩を離れられないのは、同じですが、

 仏教は、仏という理想像に自分が相対して、煩悩まみれの自分を恥ずかしく思うこと。反省しながら生きること。煩悩を持つ自分をしっかり認識して生きることではないでしょうか。

 
コメント (4)
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