昨夜はウチの寺から仏教讃歌コーラスに参加してくださっているメンバー8名で反省会
(お疲れ様会)をしました。
年に1回、気心知れた法専寺中心女性陣のお楽しみ会です。私が一番お世話になり甘えている方々。
今年は多布施(佐賀市の町名です。何とありがたい名前
でしょう)にある豆腐料理の店Mへ。
メンバー2人を私の愛車(軽)で迎えに行き、店に向かう時、ちょうど夕方のラッシュ時(田舎の佐賀でも渋滞は起こる)にかかりました。
こんな時、世間一般では「立ち往生」と表現しますが、
きょうの仏教語は「浄土」「往生」です
一般的に往生は「困った」「どうしようもなくなる」意味で使われることが多いのですが、
仏教語としての「往生」は、「浄土に往って生まれること」
浄土は単なるあの世ではなく、仏の世界、つまり清浄な悟りの世界です。
キリスト教の「天国」という概念とは異なります。
仏教では「天」(キリスト教の天国の意味ではありません)という場所は、まだ迷いの世界なんです。有頂天の「天」といったところでしょうか。
「浄土」は「天」を超えた「もう決して心コロコロ迷わない真如の境地・完全な智慧と慈悲の世界」です。
だから、仏教のお葬式、弔辞で「天国でやすらかに」「天国からお守りください」と言われるのを聞くと真宗門下としては、ちょっと違和感をもってしまうのであります。
「あのう・・亡くなった方は天国じゃなくて、お浄土
に往かれたんですけど・・・」と、ボソッとつぶやきたくなる。
浄土真宗の場合、故人が浄土に往生できるのは、僧侶の力でもお経の力でも参詣者の祈りの力でもなく、阿弥陀如来の救いの力=本願力
であります。
ところで渋滞に巻きこまれたらイライラせずに、明るくあきらめましょう。
渋滞の一因は今、渋滞の真っ只中にいる自分自身なんですから・・・

年に1回、気心知れた法専寺中心女性陣のお楽しみ会です。私が一番お世話になり甘えている方々。

今年は多布施(佐賀市の町名です。何とありがたい名前


メンバー2人を私の愛車(軽)で迎えに行き、店に向かう時、ちょうど夕方のラッシュ時(田舎の佐賀でも渋滞は起こる)にかかりました。
こんな時、世間一般では「立ち往生」と表現しますが、
きょうの仏教語は「浄土」「往生」です
一般的に往生は「困った」「どうしようもなくなる」意味で使われることが多いのですが、

浄土は単なるあの世ではなく、仏の世界、つまり清浄な悟りの世界です。
キリスト教の「天国」という概念とは異なります。
仏教では「天」(キリスト教の天国の意味ではありません)という場所は、まだ迷いの世界なんです。有頂天の「天」といったところでしょうか。
「浄土」は「天」を超えた「もう決して心コロコロ迷わない真如の境地・完全な智慧と慈悲の世界」です。

だから、仏教のお葬式、弔辞で「天国でやすらかに」「天国からお守りください」と言われるのを聞くと真宗門下としては、ちょっと違和感をもってしまうのであります。

「あのう・・亡くなった方は天国じゃなくて、お浄土

浄土真宗の場合、故人が浄土に往生できるのは、僧侶の力でもお経の力でも参詣者の祈りの力でもなく、阿弥陀如来の救いの力=本願力

ところで渋滞に巻きこまれたらイライラせずに、明るくあきらめましょう。
渋滞の一因は今、渋滞の真っ只中にいる自分自身なんですから・・・
