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お寺のオバサンのひとりごと

心のマッサージにお寺へ行こう!

その6 浄土・往生

2006年11月29日 | 仏教
 昨夜はウチの寺から仏教讃歌コーラスに参加してくださっているメンバー8名で反省会(お疲れ様会)をしました。
 年に1回、気心知れた法専寺中心女性陣のお楽しみ会です。私が一番お世話になり甘えている方々。
 
今年は多布施(佐賀市の町名です。何とありがたい名前でしょう)にある豆腐料理の店Mへ。
 
 メンバー2人を私の愛車(軽)で迎えに行き、店に向かう時、ちょうど夕方のラッシュ時(田舎の佐賀でも渋滞は起こる)にかかりました。
 こんな時、世間一般では「立ち往生」と表現しますが、

 きょうの仏教語は「浄土」「往生」です

 一般的に往生は「困った」「どうしようもなくなる」意味で使われることが多いのですが、仏教語としての「往生」は、「浄土に往って生まれること」
 浄土は単なるあの世ではなく、仏の世界、つまり清浄な悟りの世界です。
 
 キリスト教の「天国」という概念とは異なります。
 仏教では「天」(キリスト教の天国の意味ではありません)という場所は、まだ迷いの世界なんです。有頂天の「天」といったところでしょうか。

 「浄土」は「天」を超えた「もう決して心コロコロ迷わない真如の境地・完全な智慧と慈悲の世界」です。

 だから、仏教のお葬式、弔辞で「天国でやすらかに」「天国からお守りください」と言われるのを聞くと真宗門下としては、ちょっと違和感をもってしまうのであります。
 「あのう・・亡くなった方は天国じゃなくて、お浄土に往かれたんですけど・・・」と、ボソッとつぶやきたくなる。

 浄土真宗の場合、故人が浄土に往生できるのは、僧侶の力でもお経の力でも参詣者の祈りの力でもなく、阿弥陀如来の救いの力=本願力 であります。

 ところで渋滞に巻きこまれたらイライラせずに、明るくあきらめましょう。
 渋滞の一因は今、渋滞の真っ只中にいる自分自身なんですから・・・


コメント (3)
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