お寺のオバサンのひとりごと

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師との別れ

2007年05月24日 | 仏教
 よき師、法然上人の下で、親鸞聖人は、幸せな(心穏やかな)日々を過ごされたのだろうと想像します。
 でも、幸せは長くは続かなかった・・・(何だかドラマ風ですが)

 戦乱や大地震など続く京の都で、不安な日暮らしを送る民衆の中に入って、 出家の僧だけが救われる仏道ではなく、「普通の家庭生活の中での仏道」
 それも、「念仏だけで救われる」仏道を説いた 法然上人ですから、大人気でした。吉水は大にぎわい。

 それを旧仏教側(奈良の興福寺や比叡山)は不快に思っていたのですね。
 修行もせずに、念仏だけで救われると説くなど、邪道だ 仏教じゃない と、朝廷に訴えていたのです。

 その頃、法然上人の弟子に住蓮、安楽という声明(しょうみょう・節のついたお経を称えること)が、すばらしい(声がよく、上手な)僧がおられました。
 その法座に、吉水の人気を聞いていた、後鳥羽上皇の女官数名が、後鳥羽上皇の留守の間に、参詣。
 住蓮さん、安楽さんは、たぶん声よし、姿よし、ご法話もお上手なイケメン僧侶であった・・(と、これはオバサンの想像・・・妄想)
 
 その法座に感動した女官たちが、そろって髪をおろし、出家してしまうのです。
 後鳥羽上皇は、激怒 旧仏教側からの訴えもあり、法然教団の解散と念仏停止が言い渡されます。
 
 住蓮さん、安楽さん他、合わせて4名の僧侶が死罪。法然上人は、土佐へ、親鸞聖人は越後(現・新潟県国府)へ流罪。1207年、法然上人75才、親鸞聖人35才の時です。

 これが親鸞聖人にとっては、師との別れとなりました。
 
コメント (2)
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